ほとんどの日本人が拒絶する価値観。それは「無責任になる自由」というもの
日本人以外に、日本人並みの責任感を求めたら「無理難題を押しつけられた」と思われ、激怒されて殺される。逆にいえば、日本人も外国のそうした環境では、無責任になっても責められない。「無責任になる自由」がある。しかし、日本人の多くは無責任になれない。(鈴木傾城)
日本人以外に、日本人並みの責任感を求めたら「無理難題を押しつけられた」と思われ、激怒されて殺される。逆にいえば、日本人も外国のそうした環境では、無責任になっても責められない。「無責任になる自由」がある。しかし、日本人の多くは無責任になれない。(鈴木傾城)
高学歴の親は、自分が高学歴だからこそ「今の社会は学歴社会である」という確固たる認識を持ち、学歴のないことに危機感を覚えたりする。「学歴社会なのだから高学歴を目指すのは当たり前」と思う。そして、子供をひたすら勉強に追いやっていくのだが……。(鈴木傾城)
(ダークネスの方で安楽死を取り上げました。『寝たきりは「静かで安らかな状態ではない」ということを、まずは認識すべき』。こちらでも改めてこの記事をトップにします) ちなみに私は安楽死・尊厳死も賛成しています。なぜ「高齢になり、寝たきりになり、意識も薄れ、永遠に介護されないと生きていけないのなら死ぬ」という考え方がいけないのか。「尊厳を持って死にたい」という人もいる。日本はそろそろ「死の選択肢」を考え […]
独善的なワンマンが上に立って統治する組織では、組織の中でワンマンを脅かすほどの権威や才能や能力を発揮する人間は必ず排除される。これは別に珍しい話ではない。才能や能力があれば評価されると単純に思ったら大間違いで、逆に潰され排除される動きが発生する。(鈴木傾城)
政府、企業、家族……。かつて私たちを守ってくれていたものは、もう機能していない。誰も私たちを守ってくれなくなった。だから、私たちはひとたび坂道を転がり落ちると一気に貧困化することになる。この残酷な事実を認識するのは重要だ。こんな世界で私たちは生きている。(鈴木傾城)
裏切る相手と一緒にいられるのは短い間である。その短い間でも危険なのだ。そのため、仲間を決して裏切らないことを証明した人間が、リーダーにふさわしい人間として成り上がっていく。「仁義を貫く」という言葉もあるが、その意味するところは「騙さないで筋を通す」ということである。(鈴木傾城)
ジャングルで出会うもっとも危険な生き物は猛獣ではなく人間であるとよく言われる。女性はジャングルどころか、街でも知らない人間が危険だと今も感じるだろう。人類はみんな兄弟ではないし、世界は平和でもない。人間にとって、他者が侵略者だった時代は長かった。(鈴木傾城)
Facebookは28日、社名を「Meta(メタ)」に変更したと発表。ブランドを捨てなければならないほど、評判はガタ落ちになった。本来であれば、親しい人たちをつなげる素晴らしい機能は、行き過ぎて地獄を生み出している。そして、SNSの王者であるFacebook社が、巡り巡って人々に嫌われるようになり、いよいよSNSの成長も限界に達してきている。SNSの時代は終わりの始まりに入ったように私には見える。 […]
元々、ブラックアジアは東南アジアの暗いアンダーグラウンドの世界を題材にしているのだが、これを私自身がコミカライズ化したら、きっと誰も読めないような凄まじくダークな絵柄でブラックな内容になってしまうに違いない。もっとも私がマンガを描けるわけがないので、ただの夢想だが……。(鈴木傾城)
遺伝的に良い遺伝子を持つ子供は環境も良いことが多く、遺伝的に良い遺伝子を持たない子供は環境も悪いことが多いということは、知的能力の格差が環境面でもかなり開いてしまうということを意味している。それが分かっても、自分の遺伝子を取り替えることはできない上に親を取り替えることもできないわけで、与えられた遺伝子と環境の中で生きるしかない。(鈴木傾城)
コロナ禍のステイホームによって増えているのが「コロナ太り」だ。かくいう私もかなり太ってしまった。ひとまずは「腰痛」を何とか軽減させたいので、体重を減らすしかなくなった。今、働き盛りの半分以上は「コロナ太り」となっている。あなたは大丈夫だろうか。(鈴木傾城)
若者になればなるほど、大部分が長文を避ける。長文を好む若者もいると思うが、それは世間を俯瞰して見ればとても少数派である。長文は避けられる。今は「日本人の3分の1は日本語が読めない」のだが、そのうち日本人の半分は日本語が読めない世界に突入するのではないか?(鈴木傾城)
個人事業主や起業家は自分の意志で経済活動をする。何をしても自由だ。しかし、彼らは大きなリスクを背負っていて、自分の試みが手痛く失敗しても誰も助けてくれない。自分で何でもできる代わりに、他人は一切助けてくれない。「自由」であるというのは、残酷な世界である。(鈴木傾城)
SNS企業の仕掛けで影響力や発信力を数値で可視化されると、一部の影響力のある人とそうでない人の差が明確に示される。この数値化はSNSが作り出す「格差」なのである。多くの人はSNSが示す数値化を、まだ格差を増長するものであるということをはっきり認識していない。(鈴木傾城)
好きな仕事で食べて行けるのであれば、どれだけ長時間労働でも人は耐えられる。好きなのだから長時間だろうが何だろうが気にならないのである。しかし、好きでなければ長時間労働は耐えられない。過労働で死ぬこともある。労働時間が問題ではない。好きなことをやっているのかどうかの問題だ。(鈴木傾城)
言うまでもないが、白い碁石は白のままで黒い碁石は黒いままだ。碁石の色を変えることはできない。碁盤の上で重要なのは「陣地」なのである。つまり、「相手をこちらの色に染める」ことではなく「自分と同じ色の陣地を広げること」が重要なのだ。(鈴木傾城)
あまり認めたくない人もいるかもしれないが、何かの場面で助かるかどうかは、その人が善人や正しい人であるかどうかとあまり関係がない。悪行の限りを尽くしてのうのうと生き残る人間もいれば、善の限りを尽くしても非業の死を遂げることもある。そういう現象がある。(鈴木傾城)
振り返れば誰でも「あの時こうしていれば良かったのに」「あんなことをしなければ良かったのに」と思うことはいくつもあるはずだ。それは1つや2つどころではないはずだ。きちんと生きている人ほど多くの判断をしているわけで、そうした判断ミスの記憶も多い。しかし、そうした判断ミスがあっても人生が破綻しなかったということは、それは幸運なことであったはずだ。(鈴木傾城)
生きているだけで疎んじられ批判され、それがSNSで「見える化」される。そんな時、自分を理解してくれない人がいることに思い悩む人も多い。結論から言うと、最も合理的かつ効率的なのは、反対者や批判者はあっさりと「切り捨てる」ことなのである。(鈴木傾城)
認知症になりやすい人となりにくい人がいて、責任感と勤勉さと自制心がある人は認知症になりにくいと言われている。しかし、それは比較の問題であって、そうであれば絶対に認知症にならないというわけではない。誰でも認知症になり得る。それは、もう始まっているのかもしれない……。(鈴木傾城)
自分の能力がどこまでも向上すると思うのは幻想だ。それは危険だし現実的ではない。肉体的な能力のすべては10代から20代の前半がピークであり、それ以後はどんどん衰えていくだけだ。肉体的な能力はピークを過ぎれば、その後は何をどうやっても若い頃のパフォーマンスを取り戻せない。(鈴木傾城)
人は長い人生の中で、醜悪で過激な本音を静かに隠しながら、本音とはまったく違う建前をうまく演じる方がトラブルなく生きられることを学ぶ。だから「表の顔」を作って、今の生活が壊れないように努力しているのだ。そうなのだ。実は表側がニセモノなのだ。(鈴木傾城) コンテンツの残りを閲覧するにはログインが必要です。 お願い Log In. あなたは会員ですか ? 会員について
貧困に落ちている人は「生き急ぎ」が発生する。宵越しの金は持たず、暴飲暴食に深酒もする。彼らは環境が悪いから健康に気をつけるのではなく、逆に自ら肉体の破壊に結びつくものに突き進む。どのみち生が短いのであれば、やりたいことはさっさとやっていた方が得だからだ。(鈴木傾城)
自分に合っていない仕事というのは、どんなに肉体的に楽であっても精神的にキツいので長く続かないし、楽だから好きになれるというものでもないのである。多くのストレスは「合わない仕事」が引き起こしている。しかし、多くの人はそれでも合わない仕事を辞めない。「安定」が欲しいからだ。(鈴木傾城)
一度に10人も20人も紹介されたら、途中で覚えられなくなってしまって結局は全員の名前を忘れる。新しい仕事や作業の手順を上から順番に大量に説明されたら、やはり覚えきれなくて全部忘れてしまう。許容量を超えると脳は動きを停止する。これは誰でも経験があるはずだ。(鈴木傾城)
ほとんどの男性は想像以上に自分に無頓着だ。よほど見られる職業でもない限り、男性はいちいち自分の顔も容姿も気にしない。自分が歳を取ったという自覚は希薄で、相当「鈍感」でもある。だから、男性は大人になっても精神年齢はかなり低いところにある。本当は年を取っているのに「歳に気付いていない」のである。(鈴木傾城)