SNS企業の数値化戦略によって、私たちはすでに新たな格差社会に入っているのだ

SNS企業の数値化戦略によって、私たちはすでに新たな格差社会に入っているのだ

SNS企業の仕掛けで影響力や発信力を数値で可視化されると、一部の影響力のある人とそうでない人の差が明確に示される。この数値化はSNSが作り出す「格差」なのである。多くの人はSNSが示す数値化を、まだ格差を増長するものであるということをはっきり認識していない。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

人間は限界を超えて無理に「つながり」を強制されている

日本人は、一日にスマートフォンを平均136.3分使い、そのうちSNSの利用時間は77.8分であったことが「スマートフォンでの情報収集に関する定点調査2021」という調査で明らかになった。

SNSと言えば「人と人をつなげるシステム」だが、すでに多くの人がSNSによるつながりに時間を取るようになっているということだ。当然、著名人や影響力のある人ほどフォローしている人の数も、フォローされている人の数も多い。

フォローしている人や、フォローされている人は、SNSでは数値で出てくる。そして、何かを発言したり、アップしたりすると、「いいね」等々が付いたりするのだが、それも数値で出てくる。

普通、リアルな世界では「その人がどれくらい友人がいるのか」「発信力があるのか」を定量的に推し量れないのだが、SNSはすべて数値で出す。

「数値」というのは、人々を競わせる作用がある。だから、SNS企業はことさらその人の存在や発言を「数値」で見せるようにして、必死でSNSを使わせるように仕向けるのである。

そうやって人々がどっぷりSNSを使うようになると、そこで広告を流したりして儲けることができるようになる。

「影響力の可視化」というのは人々を追い立てるSNS企業の仕掛け(ワナ)なのだが、ほとんどの人はそこに思い至らないので、気が狂ったように数値を引き上げようとする。

人々は「数値」を示されることによってSNS企業のワナに落とされるのだ。

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SNSでこの「数値のワナ」に落とされた人は必死で数値を追う

Facebookでも、Twitterでも、Instagramでも、多くのSNSは「数値」をことさら強調し、その数値を無意識に競わせる仕掛けを用意している。

「フォローする、フォローされる」というのは「つながり」を示すものだが、これを数値化することによって、SNS企業はユーザーを無理に「つながり」の競争に追い立てていくのである。

SNSでこの「数値のワナ」に落とされた人は必死で数値を追い、疲れ、怒りさえも感じるようになっていく。しかし、SNS企業は「数値」を強調するので、そこから抜けられない。

10年ほど前からそういう時代が構築されるようになり、2021年現在、人々はもう自分の存在や発言が可視化されてしまう世の中にどっぷりと慣らされた。

その結果、SNS上で自分のフォロワーが少ないことに悩んでみたり、何とか増やそうと苦闘したり、あるいはフォロワーを不正に買ったりする人も出てくる。数値を何とか引き上げないといけないような、疲れる時代が到来したのだった。

影響力を数値で可視化されると、一部の影響力のある人とそうでない人の差が明確に示される。この「数値化」は実世界で言うと何に当たるのかというと「格差」なのである。

私が興味深いと思っているのは、多くの人はSNSが示す数値化を、まだ「格差」を増長するものであるということをはっきり認識していないことだ。

客観的に見ると、SNSの数値化によって「影響力格差」が生まれているのだが、人々はなぜかそれを「格差」と思わない。早く気づいた方がいい。それはSNS企業が作り出した「格差社会」だった。

SNS企業の「数値化戦略」によって、私たちはすでに新たな格差社会に入っているのである。

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フォロワー数の平均は648人、ほとんどは2000フォロワー以下

別に自分のフォロワーが「1」だろうが「10」だろうが気にしない人もいるのだが、多くの人は数値化されると数値で判断するようになるので、フォロワーが「1000」の人と「10」の人であれば、「1000」の人の方が重要人物だと判断する。

実際にはフォロワー「10」の人の方が鋭い知性と能力があったとしても、評価されるのはフォロワー「1000」の方だろう。もちろん、上には上がいて、「1万」の人もいれば「10万」の人もいれば「100万」の人もいれば「1000万」の人もいる。

ちなみに現在、最もフォロワー数が多い順に第五位まで並べると、以下のようになっている。

バラック・オバマ 1億2980万フォロワー
ジャスティン・ビーバー 1億1380万フォロワー
ケイティ・ペリー 1億 880万フォロワー
リアーナ 1億260万フォロワー
クリスティアーノ・ロナウド 9300万フォロワー

現在、地球上で最も影響力のある人間はバラック・オバマ元米大統領であると言うことができる。ちなみに、Twitterフォロワー数の平均は648人で、ほとんどの人は2000フォロワー以下である。

こうやって数値に出されると、人は自分がそれよりも少ないとか多いとか一喜一憂するわけで、その結果「少しくらいは発信力を付けるためにフォロワー数を上げたい」と望むようになる。

まさにSNSは、そういう気持ちにさせるように構築されている。だから、知らずしてSNSに取り憑かれるようになっていき、SNS企業の思う壷に落ちる。

「フォロワー数なんかどうでもいい」と思う人もいるのだが、そう思わない人が大半なので鼻で笑われて見捨てられていく。これがSNSの世界なのである。

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ほとんどの人はそこまで考えないで目の前の数字に踊らされる

SNSがもたらしたのは「影響力格差」「発信力格差」とも言うべきものである。

本当のところ、誰が何を言おうが、その発言がどれだけ影響力があろうがなかろうが、そんなことには興味のない人の方が多いはずだ。

しかし、数値化されると否が応でもそれを意識させられる。そして、数値が低いと、致命的であると考えるようになる。他人と比較してマウントの取り合いが発生したり、劣等感やコンプレックスの元凶になったりする。

実のところ、自分のフォロワーが多かろうと少なかろうと、そんなことはどうでも良くて、自分は自分のやりたいようにやればいいのだが、SNSはどうしても数値化されることによって「他人の目」を意識させるようになっていく。

影響力・発信力を高めることが「義務」になってしまうのだ。いや、それは一種の「強制」と化していると言った方が正確かもしれない。

SNSなど、ただ単に「自分を表現して誰かとつながる場」でしかないのだが、そこにフォローからフォロワーからリツイートからいいねから、あらゆるものが数値化されることによって、マウントと競争と格差をもたらすものになった。

だから、気疲れもすれば、心も病んでしまう。かなり無理をしているのだ。

SNSが強制のようになってしまっている今の人々は、数値化のワナに落とされて、多くの人が圧力をかけられている状態であると言っても過言ではない。

現実よりも「SNS=周囲の目」の方を恐れ、未だかつてないほどに圧力をかけられている。もしかしたら、SNS企業は悪意を持ってそれを取り入れたのではなく、たまたまそうなったのかもしれない。

しかし、数値化して人々を競わせることによって、人々がSNSに時間を使うようになって自分たちが儲かるという事実は強烈に自覚しているはずだ。

何も自覚していないで、ただ数値に目がくらんで踊らされているのは一般ユーザーなのだ。

では、人々は、ある時「なぜフォローやフォロワーやリツイートやいいねが数値化されているのだ? 競わせるワナなのか?」と気づく日が来るだろうか?

もしかしたら来ないかもしれない。ほとんどの人はそこまで考えないで目の前の数字に踊らされるだけだからだ。そして、新たな格差社会に放り込まれてもがくのである。

邪悪な世界の落とし穴
『邪悪な世界の落とし穴 無防備に生きていると社会が仕掛けたワナにおちる(鈴木 傾城)』

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