教育虐待。「学歴がなければ人生は終わり」と思う親が自分の子供を追い込む地獄

教育虐待。「学歴がなければ人生は終わり」と思う親が自分の子供を追い込む地獄

高学歴の親は、自分が高学歴だからこそ「今の社会は学歴社会である」という確固たる認識を持ち、学歴のないことに危機感を覚えたりする。「学歴社会なのだから高学歴を目指すのは当たり前」と思う。そして、子供をひたすら勉強に追いやっていくのだが……。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

子供の受忍限度を超えて勉強させる教育ママ

「教育虐待」という聞き慣れない言葉が静かに広がっている。どういうものだろう。これは武蔵大学の武田信子教授が提唱したもので、「子供の受忍限度を超えて勉強させること」を指す。

子供はもう勉強したくない。心底疲れ果てている。しかし、親がありとあらゆる叱責、強制、時には罵倒、身体的暴力さえも用いて子供に勉強を強いる。テストでも高得点を求め、子供が水準に達していなければ激しく怒り、なじる……。

そういう親の行為を「教育虐待」と呼ぶようになってきている。

そいう言えば、もう数十年も前から「教育ママ」だとか「お受験ママ」という言葉が飛び交っていた。

バブル崩壊前までは「一生懸命に勉強して、一流の大学に入って、一流の上場企業に入って、結婚して、マイカーやマイホームを持って、子供を育てて、その子供も一流企業に入社させる」のが成功者の人生であると認識されていた。

子供にそういう人生を歩ませるためには、まずは一生懸命に勉強させる必要がある。一流大学に入れるような学力が必要なのだ。だから、子供が嫌がろうが何だろうが、とにかく勉強一筋に追い込んでいくのである。

「人間社会はれっきとした学歴社会である」と教育ママたちは認識している。学歴が最初の人生の分かれ目であり、絶対に失敗できない分岐点であると絶対的に信じて揺るぎがない。

「学歴が良ければ素晴らしい人生になる。逆に学歴がなければ人生は終わり」

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学歴社会なのだから高学歴を目指すのは当たり前?

教育に関わる教授やジャーナリストたちは、「教育虐待をするようになるのは高学歴の親が圧倒的に多い」と述べる。

もちろん、低学歴の親も「自分たちが学歴がないことで苦労した」という認識で教育虐待をするようになることもあるだろう。

しかし低学歴の親のほとんどは「自分たちが学歴を持っていないのだから子供に勉強を追いやる資格はない」と無意識に思う。その前に教育の重要性に気づいていない親もいる。

しかし高学歴の親は、自分が高学歴だからこそ「今の社会は学歴社会である」という確固たる認識を持ち、学歴のないことに危機感を覚えたりする。「学歴社会なのだから高学歴を目指すのは当たり前」と信じて疑わない。他の選択肢は考えられない。

人間社会は学歴社会であるという認識は、実は客観的に見ると正しい。

立派な学歴を持った人間は、とにかく信頼されるし、重宝されるし、一目置かれるし、引き立てられる。社会的には非常に有利な立場である。

実際に学歴が高い親は、自分が一流の学歴を持っていることでどれだけ社会で有利な立場になったのかを認識しているし、そこにプライドを持っているので、「ここだけは譲れない」と思う。

彼らはプライドを持つあまり、その反動として学歴のない人間を意識的にも見下すようになり、「学歴のない奴は失敗した人間ども」と考えて、その人間的価値をも否定するような言動をするようになったりする。

「自分は頑張って勉強してきた。今の地位や高所得はその成果だ。勉強もしないで遊んでいた奴らは落伍者であり、実際に低所得の駄目な人生を送っている。そうなったのは勉強しなかったからであり、自業自得だ」と思う。

そのような心理状態になると、「自分が一生懸命に勉強して成功したように、子供も勉強して自分のように成功しなければならない」と思うようになる。そして、スパルタ教育をしたりする。

テストで高得点を取れなければ何時間も叱る、正座させる、食事を与えない、叩く、間違ったところを何時間も復習させる……。子供が泣いても許さない。そういうことをするようになる。

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今は厳しいと恨まれても大人になったら感謝してくれる?

親が高学歴で経済的に豊かな家庭の子供は、親の理解もあって高学歴になる確率は高い。優秀な親のDNAを引き継いでいることもあるし、勉強する環境が整っているということもあるし、教育に対する親の理解が深いというのもあって、相乗効果で子供の学力も上がっていく。

しかし、いくら親が高学歴で経済的に豊かであったとしても、子供が必ずしも優秀な知能指数を遺伝しているわけではない。

知能指数が平凡な親からも高い知能の子供が生まれることもあれば、高学歴の親を持った子供でも知能がそれほどでもなかったりすることは何ら珍しいことではない。親と子供は別の人間である。何が遺伝して何が遺伝子ないかは分からない。

同じ親の兄弟でも、一方が優秀で一方が箸にも棒にもかからないというのは当たり前にある。子供にも気質や性格があって、どうしても勉強に向かない気質や性格だったりすることもあるのだ。

しかし、子供のそうした勉強に対する適性をまったく無視して、とにかくひたすら子供に勉強を押し付け、プレッシャーをかけ、精神的に追い詰めていくのが教育ママなどに代表される「親」の姿である。

父親が子供に激しい押し付けをすることもあれば、母親がそうすることもあれば、両親が揃ってそうすることもある。明らかにそれは子供の心身を消耗させ、疲弊させているものであり、確かに「虐待」であると認識しても間違いない。まさに「教育虐待」である。

しかし、問題は教育虐待をする親は「子供のために良かれ」と思ってやっているので、自分たちが教育虐待をやっているという意識はない。「今は厳しいと恨まれても大人になったら感謝してくれる」とも考えている。

虐待という意識はないのである。

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勉強に興味も関心もない子供には生きづらい社会

そうやって子供を勉強に追い込み、勉強以外は価値がないと刷り込み、子供を洗脳しつつ勉強に追い込む。それに応えられる子供であればいい。しかし、勉強に合わない子供であれば、親が必死になればなるほど逃げ道がなくなって精神的に追い込まれていく。

そして、子供はつぶれていく。

つぶれ方は子供によって違う。うつ病のようになって完全に無気力化して、不登校になって自室に引きこもったまま出てこなくなる子供もいれば、親に反発し、憎み、勉強を放棄するどころか、進んで非行の道に入っていったりする子供もいる。

そして、ブチ切れて家庭内暴力をするようになる子供もいれば、親を殺害する子供すらもいる。1980年に神奈川県川崎市で起きた事件は、まさに教育虐待が生み出した殺人事件だった。

父は東京大学、母親は名門の家系の出身、兄は早稲田大学、祖父は一橋大学、父の兄弟は筑波大学、慶應義塾大学出身……。

ところが彼は早稲田大学の受験に失敗し、1浪した後にストレスで潰れていく。ある時、親のキャッシュカードから黙って少額を使ったことをなじられて、「お前はクズだ」と父親に罵られ、母親にも「お前は駄目な子だ」と見捨てられた。彼はその日の夜、金属バットで両親を殴り殺したのだった。

教育虐待の最悪の結末だったと言える。

この事件は1980年に起きたものだが、現代が学歴社会であることはまったく変わっておらず、むしろ学歴によって経済格差は凄まじく開く局面にある。とすれば、今後もますます焦燥感に囚われて教育虐待をしてしまう親も出てくるだろう。

現在、ひきこもりは約140万人になったと内閣府は発表している。そのうちの少なからずは教育虐待からそうなった可能性もあるはずだ。勉強に興味も関心もない子供には生きづらい社会であるのは間違いない。

野良犬の女たち
『野良犬の女たち ジャパン・ディープナイト(鈴木 傾城)』

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