ジョー・バイデン大統領の隠せない老いに、自分がどのように老いるのか考えた

ジョー・バイデン大統領の隠せない老いに、自分がどのように老いるのか考えた

アメリカの大統領ともなると、ありとあらゆる情報が集まり、有能なスタッフや超一流の医師もつく。それでも「老い」による衰えをカバーすることができないのはジョー・バイデンが証明した。バイデン大統領の隠せない老いに、自分がどのように老いるのかも考えざるを得なかった。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

ジョー・バイデン大統領の隠せない「老い」

ジョー・バイデンの大統領選からの撤退は、もはや避けられないものであった。側近にも見放され、バイデンがもっとも信頼していたオバマ前大統領からも「撤退したほうがいい」といわれていた。

それほど、バイデン大統領の「老い」は顕著で、まわりに不安を感じさせた。

ジョー・バイデンの「老い」によるパフォーマンスの低下は、トランプとの討論会で顕著に表れた。声がかすれ、言葉が詰まり、創出された雇用数を1500万人ではなく「1万5000人」と言い間違えたりした。

熟練の政治家としての、かつてのジョー・バイデンの姿はそこになく、アメリカのマスコミはこれを「大惨事」と表現して報道した。

バイデンは27歳でデラウェア州ニューキャッスル郡議会のメンバーに選出されてからずっと政治の世界で働き、さまざまな困難に打ち勝ち、人脈を広げ、オバマ政権の副大統領を務め、そして大統領にのぼりつめた。

しかし、「老い」がバイデンをむしばんでいるのは明白だった。ぎこちない歩き方、転倒、反応の鈍さ、事実誤認、人名などの致命的な言い間違いは、すべてバイデン大統領の「老い」からきているものだ。

無理をしているのはあきらかだ。健康寿命を使い果たしているようにも見えた。そのため、認知機能や大統領としての適性に対する懸念が一気に噴出して、これまでバイデン擁護であったリベラル派のマスコミでさえも「バイデン大統領は大統領選から降りるべき」と見放してしまった。

一方のドナルド・トランプ前大統領も78歳でけっして若いわけではない。今後も、アメリカの大統領選は二転三転していくのだろう。仮にトランプ前大統領が返り咲いたとしても、次はトランプに「老い」の問題が発生する。

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体力の衰えが技術でもカバーできなくなってしまう

年を取れば肉体的な能力が衰える。それは誰もが経験することだ。若い時代はあっという間に終わってしまう。そして静かに老いがやってくる。人は肉体の衰えを少し先に延ばすことはできても、とめることはできないのだ。

アメリカの大統領ともなると、ありとあらゆる情報と、有能なスタッフと超一流の医師がつくことになるが、それでも「老い」による衰えをカバーすることができないのはジョー・バイデンが証明した。

私たち自身も老いることによって、これまでできたことができなくなり、わかっていたことがわからなくなり、健康を害し、思いもよらない問題を抱えることになるのは避けられない。

職業的に年齢をもっとも早く痛感するのは、間違いなくアスリートのはずだ。彼らは運動能力を競い合っているのだが、年齢による衰えがもっとも早く顕著に表れるのがスポーツの世界だからである。

10代の肉体の柔軟性や体力は桁外れである。20代ではやや体力が衰えたとしても、それを技術でカバーできる。しかし、30代にもなると、だいたいどのスポーツのアスリートであっても体力の限界にぶつかる。

年齢がいくと、体力も技術も全盛期のようにはいかず、体力の衰えが技術でもカバーできなくなってしまうのだ。アスリートの選手生命が短いのは、肉体の衰えが競技のパフォーマンスに直結するものだからである。

私たちの大半はアスリートではないのだから、極限的な肉体的パフォーマンスを求められていない。そのため、老いを感じるのは彼らよりも遅いかもしれないが、それでもいずれ「老い」を感じる瞬間がやってくる。

ある人はこれに焦って、食事を改善するとか、適度な運動をするとか、サプリメントに頼るとか、アンチエイジングの医療に頼るとか、必死になって若さを維持しようと努力するのだが、今のところ何をどうしても「老い」を防ぐことはできない。

それは100%確実にやってくる。誰でも、遅かれ早かれジョー・バイデン相応の状態になっていく。

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老いのスピードは相当速いのではないか?

老いは、本人が受け入れようが受け入れまいが、そんなことは関係なく進行していく。私自身も老いが忍び寄ってきているのだが、やはりそれを痛感するのは体力の減退である。最近はじっと立っているのがつらいし、長い距離を歩くのもうんざりする。持続的に腰も痛む。

野良犬のような人生だったのだから、夜中にほっつき歩くのは今でもやめられないのだが、それも3日に1回から、一週間に1回、10日に1回、二週間に1回と、どんどん頻度が落ちている。

老いを少しでも遅らせるには、健康的な生活習慣を維持する必要がある。たとえば、適度な運動、バランスの取れた食事などを心がけなければならない。それはわかっている。

しかし、私は運動は死ぬほど嫌いで、寿命が10年縮まるといわれても、運動しないですむならよろこんで10年早く死ぬつもりでいる。

運動嫌いなら食生活で何とか健康を維持するという手もある。ところが困ったことに、私は食生活もめちゃくちゃだ。子供の頃から、超加工食品やジャンクフードしか食べないという偏食一辺倒の生活が続いている。

また、健康のためには「早寝早起き」も良いといわれているが、私は20歳の頃に社会からドロップアウトしたので、人生の大半がほぼ昼夜逆転のライフスタイルだった。基本的に真夜中に起きて活動する生活がデフォルトになっている。今でもそうだ。

私は「老い」を遅らせるためにやらなければならないことを、何ひとつできない運命にあるということになる。私がいったん老いはじめると、そのスピードは相当速いのではないか。一気に年齢以上の老けかたをするように思える。

ジョー・バイデンは2024年時点で81歳である。健康に無頓着な私は、70代のどこかで今のジョー・バイデンと同じくらいになるのではないかと自分で計算している。

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老後の不安なんか1ミリも感じたことはない

もっとも、私自身はどんなに長く生きても、74歳で人生を終わりにしようと思っているので、70代でジョー・バイデンくらいのレベルになっても、まあまあ「そんなものか」という気持ちでいる。

「74歳で死ぬと考えるのは少し早い」とはよくいわれるが、私は野良犬みたいなものだから、野良犬にふさわしく野垂れ死にくらいがちょうどいい。

室内犬は手厚い介護を受けて長生きできるかもしれないが、野良犬は手厚い介護なんかない。老いて心身がだめになったら、本人が望んでいなくてもさっさと死ぬ。野良犬の人生はそういうものだ。

私はジャンクフードまみれなので、死ぬときは心臓発作か何かになるのかもしれない。どうせ心臓発作なら、いっそのこと腹上死あたりがちょうどいいと思っている。(ブラックアジア:老ハイエナの老いかたを考える。ハイエナは孤独死するくらいなら腹上死しろ

よく「長生きしたほうがいい」と私に諭す人もいるのだが、どのみち私のような健康無視の生活をしていたら、長生きしたくてもできないだろう。それなら最初から「長生きできない」と割り切って、人生を逆算して生きるほうが効率的だ。

奇妙なことに、寿命を区切った考えかたをしていると老後の不安がまったくない。「そこから先がない」のだから当然だ。少なくとも私は、老後の不安なんか1ミリも感じたことはない。

日本人男性の健康寿命は、2019年のデータによると約72.68歳である。それまで医療が発達して、少しは健康寿命も数年くらいは伸びているかもしれないが、私の場合は74歳というのはちょうど健康寿命を失う年齢になるのではないか。

その頃に寿命が終わるというのは、だいたいちょうどいいように見える。

今回のジョー・バイデンの「老い」を見て、自分が死ぬまでにどこまでのレベルの「老い」になっていくのか、それをしみじみを考えてしまった。人は誰でも老いてしまうのだが、果たしてあなたは「老い」をどう思うだろう?

病み、闇。
病み、闇。: ゾンビになる若者、ジョーカーになる若者(鈴木傾城)

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