自分を追い詰めるのは外部環境ではなく、しばしば自分が下した自分の判断から

自分を追い詰めるのは外部環境ではなく、しばしば自分が下した自分の判断から

振り返れば誰でも「あの時こうしていれば良かったのに」「あんなことをしなければ良かったのに」と思うことはいくつもあるはずだ。それは1つや2つどころではないはずだ。きちんと生きている人ほど多くの判断をしているわけで、そうした判断ミスの記憶も多い。しかし、そうした判断ミスがあっても人生が破綻しなかったということは、それは幸運なことであったはずだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

しばしば自分が下した自分の判断で追い込まれる

私たちの人生は世の中がどうだろうが、うまくいったりうまくいかなかったりする。そして、自分の人生を破壊するのは外部の環境だけでなく、自分の判断の積み重ねの結果でも起こり得る。

今、私たちは「いつでも自分が破綻する危うい世界で生きているのだ」と誰もが再確認するようになっている。

常識的に生きてきた人間の判断はだいたいは正しいことが多いのだが、それでも常に100%正しい判断ばかりを下せるわけではない。

すべての人間はどこかで判断を間違える。自分で自分の人生に莫大な損害を与えることもある。自分を追い詰めるのは外部環境ではなく、しばしば自分が下した自分の判断なのである。

たとえば投機にのめり込む人は、自分の人生をそれで破壊しようと思ってのめり込んでいるのではない。FX(為替証拠金取引)や、株の信用取引にのめり込む人は、破産しようと思っていない。

むしろ、どん底(ボトム)の生活から逃れる唯一の方法として、それにのめり込んでいる。

ちまちま働いていても現状は打破できない。しかし、投機で勝てば一発逆転できる。勝てば貧困から抜け出せる。勝てば借金も返せるし、欲しいものも買えるし、家賃も払えるし、食べたいものも食べられる。大勢の人から賞賛も得られるし、自己満足も得られる。

投機で買った人の話はたくさんある。必勝テクニックも溢れている。勝てる確率はゼロではない。負けることもあるが、勝てばすべてが解決すると考える。だから「勝つまで投機をする」という判断をする。

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魔が差すとは、やってはならない致命的な判断ミスのこと

判断ミスは一瞬の間に起きる。万引きや痴漢で逮捕される人はすさまじく多いが、手を伸ばせば届くところに欲望の対象があると、何十年も真面目に生きてきたはずの人が、ほんの一瞬の判断ミスで人生を棒に振る。逮捕された人は呆然としてこのように言う。

「魔が差した……」

その人は別に生まれながらの極悪人として生きていたわけではない。人生の99%は真面目に正しく生きていたはずだ。ごく普通の日常生活を送り、周囲からも信頼できる人という評判を得て頼られていたはずだ。

しかし、ふと魔が差してコンビニでつまらないものを盗み、あるいは電車で目の前の女性に触り、それが発覚して今まで築き上げて来たものをすべて失うことになる。

魔が差すとは、やってはならない致命的な判断ミスを犯すということだ。「その人らしくない一瞬の判断ミス」が一生を破壊する。

あるいは、間違った判断ミスを止められない人もいる。たとえば、糖尿病の人口は日本では316万6000人だが、その予備軍もいれると1000万人を超える。

糖尿病には2つの種類があるのだが、そのうちの二型糖尿病というのは「生活習慣病」と言われており、食生活の乱れや運動不足、肥満、ストレスなどで引き起こされるものだ。

「これ以上食べては健康に良くない」と分かっていても「少しくらいはいいではないか」という甘い判断を下す。

「運動しなければならない」と思っても「今日は止めておこう」とこれまた甘い判断をする。その結果として肥満になっても「まだダイエットはしたくない」とさらに甘い判断を繰り返していく。

こうした間違った判断を継続することで、最後に自分の健康を破壊し、自分の人生をも破壊することになってしまう。

しかし、こうした判断ミスをしている人を責められる人がいるだろうか。たとえば、「あなたがたのうちで判断ミスをしたことのない者が、 最初にその人を責めなさい」と言われて、責めることができる人がいるだろうか。

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人生とは、命綱なしで断崖を上っているようなもの

私たちが今までの人生を何とか乗り切ることができたのは、もしかしたら「運」だったかもしれない。人生でまったく何の判断ミスをしなかった人はいないが、それでも今は何とかなっているというのは「運」がなければならなかった。

私も人生を振り返って、いくつかの判断ミスをしたと思うものがある。大きな判断ミスもあれば小さな判断ミスもある。もっと違うやり方をしても良かったと悔やむこともある。「やるべきことがあったのにやらなかった」というミスもある。

しかし、これまでを振り返って「判断ミスがいくつかあった」と思うのは私だけではないはずだ。

振り返れば誰でも「あの時こうしていれば良かったのに」「あんなことをしなければ良かったのに」と思うことはいくつもあるはずだ。それは1つや2つどころではないはずだ。きちんと生きている人ほど多くの判断をしているわけで、そうした判断ミスの記憶も多い。

しかし、そうした判断ミスがあっても人生が破綻しなかったということは、それは幸運なことであったはずだし、多少は問題が残っていたとしても運が良かったと思うべきだ。

社会は無数の落とし穴があり、そんな中で人間は命綱なしで断崖を上っているようなものである。足を滑らすといつでも「どん底(ボトム)」に落ちていく。生活保護受給は200万人を超えており、約2万人近い自殺者がいる。

断崖にいて足元が崩れ落ちた時、咄嗟にどこに足をかけたのか、どこに手を持っていったのかで助かる人と助からない人がいる。本当にそれは一瞬の判断である。

社会が暗転して自分の足元が崩れ去るというのは断崖が崩れ去るのに似ている。自分が破綻していないというのであれば、その一瞬で助かっているのだから運が良いと判断しても間違いない。

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不利な環境の中で合理的な判断を下していく努力

複雑化・高度化した社会システムの中では、エラーを防止するために何重もの防御システムが張り巡らされている。しかし、それでも問題を根絶することができない。その中で最も防ぎにくいのが「ヒューマンエラー」である。

人間が判断を間違って大規模災害を起こすのだ。

人間は往々にして、判断能力が低下し、錯覚し、見逃し、思い込み、迷い、逆上する。パフォーマンスは一定せず、熟練した人間であっても、初心者でもしないような単純な部分で致命的なミスを犯すこともある。

だから、高度化したシステムは何重ものエラー防止の構造を合わせ持つのだが、それでも人間はその防止機能をすり抜けるような判断ミスを犯す。

自分の判断を過信するのは危険だ。世の中は自分中心に回っていないので、自分の判断を覆すような「想定外の出来事」は常に起きる。そして、自分の決断が自分を窮地に追いやる。

それでは何も判断しない方がいいのかというと、それはそれで「判断をしなかったという判断ミス」になる。

判断ミスを減らす努力や生き方や考え方を取り入れるのも重要だが、何をどうしても判断ミスは避けられずに自分に襲いかかってくるとあらかじめ考えておくしかない。

長い人生の中では、何らかの判断ミスで窮地に堕ちるのは避けられないと覚悟する。

そして今度はそこから教訓を得て、判断や行動を軌道修正していく能力もまた必要だ。堕ちないように防御しつつも、堕ちてしまったら軌道修正して生き残る。

こうした能力は常に発揮できるとは限らない。しかし、なるべく発揮できるようにする必要がある。自分にとって著しくも不利な環境であったとしても、その不利な環境の中で合理的な判断を下していく努力は重要だ。

いつか判断ミスで窮地に堕ちるのは避けられない。しかし、どんな時も合理的に判断をして、正しいと思う方を選び取れるようにしておく。こうした努力の積み重ねで、乗り切るしかないのが人生だ。

『問題解決力を劇的に上げる 判断力の基本(島原 隆志)』

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