45万人くらい問答無用でブロックしていい。苦しむなら防衛(ブロック)せよ

45万人くらい問答無用でブロックしていい。苦しむなら防衛(ブロック)せよ

自分にとって「有害だ、不快だ、邪魔だ、迷惑だ」と思えば、その時点でブロックして忘れてしまえば、それで問題は解決する。自分も誰かにブロックされるかもしれないが、それも大した問題ではない。どのみち人間は誰かに嫌われるし、こちらを嫌っている人がブロックしてくれているのであれば手間が省ける。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

「45万人までは問答無用でブロックしたい」のツイート

少し考えさせられることがあったので、こちらで深掘りしたいと思う。私は2021年1月23日に、Twitterで以下のように書いた。

『私の知り合いは「アカとバカとK-POPは問答無用でブロックする」と言っていたが、彼のポリシーは正しかったようだ。日本のTwitter人口は4500万人だが、そのうちの少なく見積もって1%の45万人くらいは不審者か異常者だと思うので、45万人までは問答無用でブロックしたい』

これを読んで、「Twitterをやめてしまったが私のツイートは読んでいる」という読者の方からこのような要旨のメールがきた。本人の許可を得られたので、一部を掲載すると、以下のものである。

昨日ツイッターで「少なく見積もって1%の45万人くらいは不審者か異常者だと思うので、45万人までは問答無用でブロックしたい」という文を読みまして、あっ、そういう考え方をしてもいいんだ、と目からウロコがドドドと落ちました。

私はアンチのツイートでキモチが折れツイッターやめてしまったんですが、最後の最後までブロックはできず。叩かれてもブロックしたらいけないんだと、なぜかずーっと思い込んでいてブロックする勇気ありませんでした。それでアカを削除してしまいました。(うーん、ちょっと考え方がヘンですが)

なんでブロックしなかったんかなと考えたんですが、誰かをブロックするのは、自分の負けとか思ってた自分が有ります。他人の話を聞かない人なんだと思われるのはヤなのでブロックしたらいけないと言い聞かせたのも有ります。

逃げたと思われるのがイヤだとか、そういうのがいろいろ。アンチとも対話しないといけないんだと思い込んでたというか思い込まされてた。2ちゃんの人じゃないですけど論破しないといけないと。そうゆうのは疲れるし苦手なのて自分でアカを消しました。

でも傾城さんはあっさりと「45万人までは問答無用でブロックしたい」なので、えっと言葉が出ませんでした。

45万もブロックしたら誰もいなくなるじゃん、と一瞬思ったんですけど、4500万の45万だから残り4455万!なわけで45万ブロックしてもいいんだ、と。。

これは私にとって天と地がひっくり返ると言うかコペルニクス的発想でした。めちゃくちゃ勇気が出ました。近いうちツイッター再開して傾城さんを見習って、これからはアンチを永久ブロック虐殺計画でいこうかと勇気が出ました。(カゲキですが)

ブラックアジアでは有料会員を募集しています。よりディープな世界へお越し下さい。

裏社会の人間は「人間として認めていない」のが言論人

45万人と言えば、調べてみると兵庫県尼崎市の人口が45万2563人なので、ちょうど尼崎市の人口分を全員ブロックするということになる。莫大な人口であるのは間違いない。そうなると、確かに「誰もいなくなるのではないか」という心配も起こる。

しかし、45万人はツイッター約4500万人のユーザーで見れば「たかが1%」でしかない。全体から見ると、はっきり言って45万人くらブロックしたところで大したことはない。

もっとも、「45万人までは問答無用でブロック」というのは、別にその数字にこだわっているわけではなく姿勢がポイントだ。私が言いたいのは、自分にとって「どうでもいい」と思うようなものは、別に何も考える必要もなくブロックしてしまえばいいという姿勢の方である。

よく言論人の中には「批判者の声(ツイート)をブロックで封じるのは卑怯だ」という人もいる。エリートな世界にいる人ほど、そういう考え方をする人が多い。そういう人の意見を聞くと「きれいな世界しか知らない人なのだ」と心の中で苦笑する。

人間社会の裏側には、異常者・変質者・粘着者・妄想系・電波系・暴力団・半グレ・チンピラ・ゴロツキ・詐欺師・犯罪者がうじゃうじゃいる。言論人は、このような人間を日常で相手にしているだろうか? もちろん、していない。

ほとんどの言論人はうわべで偉そうなことを言っているが、彼らは暴力団・半グレ・チンピラ・ゴロツキ・詐欺師・犯罪者と付き合いはないし関わらないし、裏社会の人間にケンカをふっかけることもない。

そんなことをしたら、言論ではなく暴力で報復されるからである。

彼らのまわりには裏社会の人間はひとりもいない。別の言い方をすれば、彼らは「話が通じる人間」しか見えていなくて、裏社会の人間は最初から視界に入っていない。裏社会の人間を、無意識に「人間として認めていない」という言い方もできる。

最初から裏社会の人間が視界に入らない生活をしているので、だから「対話しないでブロックするのはどうか」みたいなことを言える。「関わると暴力で報復される」という前提が致命的に欠けているのである。

要するに「批判者の声(ツイート)をブロックで封じるのは卑怯だ」というのは、「肉体的言語=暴力」を持つ人間を排除した「きれい事の世界」しか想定していないということでもある。

1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから

野良猫が警戒心を失ったら、あっという間に死ぬ

エリートや上級国民は、異常者・変質者・粘着者・妄想系・電波系・暴力団・半グレ・チンピラ・ゴロツキ・詐欺師・犯罪者と関わらないで、安全で安心な世界でつつがなく暮らしていけるのかもしれない。安心安全なバリアーで囲まれた世界で知的論争を楽しめるかもしれない。

しかし、一般人やアンダーグラウンドの人間は、上層部よりもどん底《ボトム》の世界に近い。まわりにはアンダーグラウンドに転がり落ちていった人も大勢いる。下心を持った妙な人間も次から次へとやってくる。現実社会でもSNSでも、変わりはない。

上級国民みたいな安心安全なバリアーなんかどこにもない。うかうかしていたら一瞬でカモにされるし、標的にされるし、脅される。

エリートや上級国民は「家猫」みたいな環境で生きているが、一般人やアンダーグラウンドの人間は「野良猫」みたいな環境で生きているのだ。野良猫が警戒心を失ったら、あっという間に死ぬ。

だから、異常者・変質者・粘着者・妄想系・電波系・暴力団・半グレ・チンピラ・ゴロツキ・詐欺師・犯罪者に囲まれて生きている野良猫は、SNSでも何でもさっさとブロックして自分の身は自分で守った方がいいのである。

防衛(ブロック)に何の良心の呵責も要らない。

私の知り合いは「アカとバカとK-POPは問答無用でブロックする」と言っているのだが、別にブロックの基準やルールは公言する必要もなければ厳密である必要もないので、自分の心のままにやればいい。防衛(ブロック)は用意された機能であり、それを使うのは権利だからである。

自分にとって「有害だ、不快だ、邪魔だ、迷惑だ」と思えば、その時点でブロックして忘れてしまえば、それで問題は解決する。

自分も誰かにブロックされるかもしれないが、それも大した問題ではない。どのみち人間は誰かに嫌われるし、自分を嫌っている人が自分をブロックしてくれているのであれば手間が省ける。

インドの貧困層の女性たちを扱った『絶対貧困の光景 夢見ることを許されない女たち』の復刻版はこちらから

落書きを放置していたら、より落書きされていく

次々とブロックしていたら情報が偏ると考える人もいるが、1%ブロックしたところで99%が残っているのだから問題ない。そもそも、一般人は別にSNSで中立を保つ必要はない。自分の世界を構築するのがSNSで中立を保つのがSNSではない。

どんなに素晴らしい人格や性格を持っていたとしても、行き違いや信念や癖や言動で、多くの敵を作るし、少なからずの人に嫌われる。しかし、問題はない。これについては以前にも書いた通りだ。(ブラックアジア:世の中の99%の異性に嫌われても、まったく問題がない理由

下手に好かれようとするから苦しむ。誰ともうまくやろうとするから絶望する。なぜなら、最初からできないことをやろうとしているからであり、やる価値のないことをやっているからである。

誰かの考えを変えるよりも、自分と同じ考え方をしている人を探した方が早い。日本人は1億2000万人もいるのだから、いくらでも取捨選択ができる。現代は、田舎に住んでいてもインターネットによってどこの誰ともつながることができるのだから、村社会で生きていた頃とは違う発想をしなければならない。

昔はひとつの情報を得るにも図書館に通ったり、キーパーソンに手紙を書いたり、聞き込みをしたりする必要があったが、今はひとりでは一生処理できないほどの莫大な情報がインターネットを通して流れ込んでくる。

それと同様に、今はインターネットとSNSによってひとりでは一生処理できないほどの莫大な人間関係が流れ込んでくる。その莫大な人間関係の中には、明らかに自分には「有害・不快・邪魔・迷惑」な存在もあるのだから、それを次々とブロックしない方が私にとっては「おかしなこと」である。

現実社会に異常者・変質者・粘着者・妄想系・電波系・暴力団・半グレ・チンピラ・ゴロツキ・詐欺師・犯罪者がうじゃうじゃいるということは、インターネットの世界にも彼らが紛れ込んでいるということでもある。

自分には必要ないと思ったら、きちんとブロックして精査しないと大変なことになる。ゴミを放置している場所には、より多くのゴミが集まる。割れたガラスを放置していたら、よりガラスは割られていく。

落書きを放置していたら、より落書きされていく。そして、ついには落書きに覆われてすべてが機能しなくなる。

SNSのコメントに残された中傷に苦しんで自殺する人もいる。そこまで追い込まれる人もいるのだ。追い込まれたらどうしたらいいのか。

悩んでないで断捨離だ。

ひとまずは「有害・不快・邪魔・迷惑」なものを片っ端からブロックすることで問題を解決してみることをオススメする。45万人をブロックしたら、きれいな環境になるだろう。

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え(岸見 一郎、古賀 史健)』

ブラックアジア会員登録はこちら

CTA-IMAGE ブラックアジアでは有料会員を募集しています。表記事を読んで関心を持たれた方は、よりディープな世界へお越し下さい。膨大な過去記事、新着記事がすべて読めます。売春、暴力、殺人、狂気。決して表に出てこない社会の強烈なアンダーグラウンドがあります。

ライフスタイルカテゴリの最新記事