自分に合っていない仕事というのは、どんなに肉体的に楽であっても精神的にキツいので長く続かないし、楽だから好きになれるというものでもないのである。多くのストレスは「合わない仕事」が引き起こしている。しかし、多くの人はそれでも合わない仕事を辞めない。「安定」が欲しいからだ。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
妙な言い方だが、日本人は安定のために人生を犠牲にする
最近の社会情勢は企業にとっても非常に厳しくて、大手企業に入ってもリストラされるし、中小企業に入ったらリストラの前に会社が吹っ飛んで消えてしまうこともしばしば起こり得る。安定がない。
多くの若者はそうした推移をよく知っているので、どうしても安全と安泰を取りたいと思う学生の少なからずが、絶対に潰れない就職先「公務員」に入りたいと願うようになっている。(マネーボイス:大学生の49.6%が「公務員になりたい」と回答、日本はあと数年で救いようのない国になる=鈴木傾城 )
ところが、せっかく公務員になっても辞める人も、ごく少数だが存在する。
公務員の仕事がどうしても合わないと思い悩み、心が折れ、やっていけなくなってしまう。人からどんなに「公務員ほど安定した仕事はない。辞めるのは絶対にもったいない」と言われても続けられない。
私ならどうだろう。仮に、もし私が若い時にどこかのお偉方に「お前の人生は不安定過ぎるので公務員にしてやろう」と言われて無理やり公務員にされたら、私はやっていけるだろうか。いや、無理だっただろう。最初からやらないが、やっても辞めていたのは100%間違いない。
第一に、私はまったく「安定」を求めていないし、協調性にも欠けている。学校生活でさえも問題を引き起こしていたのに、規則でがんじがらめにされる職に就いてうまくいくわけがない。
どんな仕事であっても「合う・合わない」がある。端的に言うと、かなり多くの人が「合わない仕事」で悩んでいる。
もしかしたら、あなたもそうかもしれない。
多くの人は、どんなに合わない仕事でも延々とそれを続けるのは「安定」を求めているからだ。特に日本人はその傾向が強い。小さな安定でも安定は安定だ。その安定のために、やりたいことをしないで人生を犠牲にする。妙な言い方だが、安定のために人生を犠牲にするのである。
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肉体的に楽であっても精神的にキツいので長く続かない
合わない仕事は気合いが入らない。そのため、やること為すことがおざなりになり、トラブルや失敗や問題が増えて、それがよけいに仕事に対する意欲を奪っていく。
自分に合っていない仕事というのは、どんなに肉体的に楽であっても精神的にキツいので長く続かないし、楽だから好きになれるというものでもないのである。多くのストレスは「合わない仕事」が引き起こしている。
しかし、多くの人はそれでも合わない仕事を辞めない。「安定」が欲しいからだ。
名のある企業に勤めていれば、なおさらそうだ。まわりから羨望され、信用され、そこそこ収入が高い。福利厚生も整っている。きれいなビル、最先端のオフィスで働ける。そこにいれば仕事は合わなくても、若干のプライドはくすぐられる。さらにそこらの中小企業よりは比較的「安定」もある。
その安定が強いために、合わなくても辞められない。
合わない仕事、やりたくない仕事であっても、「安定」さえあればいいと思ってしまう人はとても多い。仮にそれが自分の健康をどんどん蝕み、ストレスを生み、精神をどんどん蝕んでいくとしても、「安定」のために我慢する。
仕事に対する向き不向きがあって、不向きな仕事に就いていると、どんどん精神が病み、荒み、心身が荒廃していく。
ストレスは集中力を削ぎ、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、頭痛、虚脱感、倦怠感、摂食障害などの病気を発病させ、さらに長引けば統合失調症や鬱病といった深刻な精神の病で人生を破壊してしまうかもしれない。
しかし、当座の「安定」があると、自分の心がじわじわと蝕まれていくのを自覚しながらもギリギリまで耐えようとするのだ。つまり、安定のために自分を犠牲にしてしまうのである。
実のところ、「安定」を望む人が多数派だ。自分が壊れていくかもしれないギリギリの瀬戸際に追い込まれても「安定」を離さない。まるで人生を我慢大会のように見立てて生きているかのようだ。
しかし不思議なことに、多くの日本人はそれが当たり前の生き方であるかのように思っている。好きなことは何一つできないけれども、「安定だけはある生活」を甘受しているのだ。
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安定を取るか喜びを取るか熟考する必要がある
日本人の安定志向は、ある意味「筋金入り」でもある。その安定志向が安定した社会を生み出し、安定した気質の人々を生み出しているわけで、私自身は日本人の安定志向を完全に否定するものではない。
社会全体で見ると、ギリギリの生活であっても安定していればそれを継続しようとする日本人の行動パターンは穏やかな社会を生み出しているので悪い話ではないようにも思える。
しかし、あまりにも安定志向の度が過ぎれば、個人が安定志向に押し潰されて不幸になってしまう。日本は、安定志向から逸脱して生きる人がもっと増えてもいいのではないかとも思っている。
全員が全員とも安定した人生を捨てられるわけではない。日本では、たとえ安い給料でも不満のある仕事でも、それを続ける人の方が多い。「今の生活が維持できる」と思ったら、それにこだわる。
そういう人は、誰が何を言っても仕事を辞めることは絶対にない。とにかく、今ここにある安定にしがみつき、離れない。
家族がいれば、なおさら慎重に慎重を期す。自分が路頭に迷っても、妻子を路頭に迷わすわけにはいかないと誰もが考える。だから、その仕事が自分に合っていようがいまいが、とにかくそこで働き続けて安定を得る。
しかし、逆に安定した生活でも合わない仕事を続けていることに心がえぐれるようなストレスを感じている人もいる。
日本社会全体が安定志向なので、何となく自分も好きでもない仕事をだらだらと続けているが、本当は「飛び出したい」「抜け出したい」「好きなことをして生きたい」と思って歯ぎしりしている。
社会全体は「安定した仕事は辞めるな」と言っているが、「安定」よりも「好きなこと」をしたいのであれば、「安定」を捨てる覚悟をするのは必要な決断だ。
誰もができる決断ではないのかもしれない。しかし、できる人はやった方がいい。なぜなら、自分の人生を生きるというのは、自分の相性に合う仕事に就くという意味でもあるからだ。安定はなくても、好きな仕事で生きていけるというのは「とても贅沢なこと」である。
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安定にこだわって、やりたいことをやっていなかった
たとえ安定があったとしても、合わない仕事で人生を消耗することに耐えられない人は、結局は「自分を破壊する」ことにつながっていく。人生は一度しかないが、時計の針は逆戻しすることはできない。
つまり、老いてから「安定にこだわって、やりたいことをやっていなかった」と後悔しても、その時はもう遅いのである。そうであれば、安定のために「合わない仕事」を続ける努力をするのではなく、自分のやりたいことをする人生を目指した方がまだいい。
自分がとにかく安定を求める気質なのか、それとも冒険を求める気質なのかは、正直に自分と向き合えば分かるはずだ。心がうずき、それを求めているのに、安定のために我慢していると人生が無駄になる。
人生は、思っているほど長くない。仮に80歳まで生きると考えて自分の歳を引いて、それを日数で示して欲しい。現在30歳の人でもたったの1万8250日、40歳の人では1万4600日、50歳の人であれば1万950日くらいでしかない。
時間は絶対に巻き戻せない。人生はやり直しが効かない。生きられるのは1回だけだ。その1回を自分がどうでもいいと思っている仕事で消耗していいわけがない。どうせ生きるなら自分に合う生き方をすべきなのだ。
日本人はとにかく「安定」を求める生き方が正しいと誰もが無意識に思う。
しかし、もし自分が安定した生活や収入よりも、強く「やりたいこと」に惹かれるのであれば、たとえ安定した収入を得られる組織にいるのだとしても、そこを抜けて自分の道を進んだ方が後悔がない。
ほとんどの日本人は安定のために人生を犠牲にする。「安定なんかどうでもいい」みたいなことを言っていたら、いろんな人が寄ってたかって意見してくる。しかし、まわりがそうだからと言って自分もそうしなければならないというわけでもない。
自分が他の日本人と違ってズレていると思うのであれば、やりたいことをやってみるのもいいかもしれない。
「人生を安定させるために、人生を犠牲にする」。
正直、グサリと来ます。
安定を求めひたすら株式や暗号通貨への投資をさけ、
年功序列の大企業に勤務し、上司にこびへつらってきた人たちこそが
今後最も不安定化する確率が高いのは皮肉です。