年齢でタイムリミットが来る。自分がどれだけ急ぐ必要があるのかは鏡を見よ

年齢でタイムリミットが来る。自分がどれだけ急ぐ必要があるのかは鏡を見よ

ほとんどの男性は想像以上に自分に無頓着だ。よほど見られる職業でもない限り、男性はいちいち自分の顔も容姿も気にしない。自分が歳を取ったという自覚は希薄で、相当「鈍感」でもある。だから、男性は大人になっても精神年齢はかなり低いところにある。本当は年を取っているのに「歳に気付いていない」のである。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

女性の方が男性よりも年齢を感じるのが早い理由とは?

あなたは、どれくらいの頻度で鏡で自分の顔を見るだろうか。

私自身は誰にも会わず誰とも話さない「閉じこもる期間」がしばしばあって、そのような時はほとんど鏡を見ない。ヒゲも剃らないし、髪を短髪にするようになってからは髪のセットもしない。

そのため、3日4日くらいは、鏡で自分の顔を確認しないこともしばしばある。浴室などに鏡はあるのだが、自分の顔をまじまじと見つめるわけでもないので「ほとんど顔を確認していない」とも言える。

私ほどではないと思うが、ほとんどの男性はそれほど真剣に自分の顔を見つめることはない。

しかし女性は違う。女性の場合は化粧もしなければならないし、身だしなみは男性と比較にならないほど気をつけるので、数日間も鏡を見ないというのは恐らく「あり得ない」はずだ。

数日見ないどころか、一日に何度も鏡で自分の顔を確認するはずだ。それも、チラリと見るくらいではなく、化粧崩れがないか、おかしなところがないか、入念にチェックしながら鏡を見つめる。

そう言えば、フィリピン・アンヘレスにいたマリーという女性は、とても長くてツヤのある黒髪を持っていたのだが、彼女は自分の髪を愛するあまり、ひたすら鏡を見つめていたのを思い出す。そういう女性もいた。(ブラックアジア:美しい長髪のマリーが、鏡の自分を見つめて自己陶酔していた

ところで、毎日のように鏡を見つめているとどうなるのか。

女性は「歳を取った」と、ほとんどの男性よりも早く詳細に自覚する。毎日毎日、肌の小さなシミを見つめ、肌の荒れを確認し、シワを数え、ほうれい線の深さを見ているからだ。

もともと観察眼の鋭い女性は、自分の顔にも鋭い観察眼を向ける。そして、自分が歳を取ったことを、小さな小さな変化の中でも確認する。

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鈍感な男性が「歳を取った」と思うようになる瞬間とは

ほとんどの男性は、女性ほど自分の顔に関心がない。また、自分の顔がどうであれ、女性ほど気にすることもない。顔のケアもしないし、年齢が顔に表れても大して何とも思っていない。

ほとんどの男性は想像以上に自分に無頓着だ。よほど見られる職業でもない限り、男性はいちいち自分の顔も容姿も気にしない。自分が歳を取ったという自覚は希薄で、相当「鈍感」でもある。

だから、男性は大人になっても精神年齢はかなり低いところにある。本当は年を取っているのに「歳に気付いていない」のである。

婚活でも、40代も過ぎた男性が同じ年齢の女性はまったく眼中になく、いつまでも20代の女性しか目に入らないという話は普通に聞く。「男性は若い女性が好きだ」というのもあるのだが、恐らくそれだけではない。

男性は自分が歳を取ったという意識が鈍感なので、自分の年齢や容姿に気付いていないというのもあったりする。いつまでも若いつもりでいる。錯覚を錯覚と思わないまま持ち続けている。

しかし、そんな鈍感な男性も、40代や50代になるとさすがに「俺も少し歳を取ったかな」と感じるようになる。それは鏡を見つめて気付くというよりも、日々の自分の行動から気付くのだ。

自分のやっていることにワクワクしなくなり、ルーチン作業のように同じことを繰り返し、新しいことを何もせず、新しい人とも会わず、ただ淡々と日常を過ごすようになっていく。そして、若かった頃のように「勢いで何かを片づける」というのができなくなる。

時代は目まぐるしく変わっているのだが、10年1日のごとく過ごすようになって生活が固定化されると、なぜか「歳を取った」という感覚が生まれてくるようになってしまうのだ。

生活がルーチン作業になったりアグレッシブでなくなったり同じことの繰り返しを好むようになったりすると、自分のことを振り返る余裕が生まれるからかもしれない。

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「歳を取ってもやりたいことはできる」というのは嘘

年齢を自覚するのは女性の方が早いのが普通だ。これは「自覚」の問題である。実際には意識しようがしまいが、平等に歳は取っている。時間を自由自在に止めたり早めたりする能力は誰も持っていないので、この点だけは平等だ。

男性は自分が歳を取ったと感じるのは女性よりも遅いかもしれないが、気付いていなくても確実に刻々と年齢を刻んでいる。これは、実のところ非常に重大であり、かつ早めに自覚しなければならないことでもあると私は思っている。

なぜか。それは誰もが知っていることなのだが、誰もが意識的に避けている問題に直面せざるを得ないからだ。その問題とは以下のものである。

「時間は巻き戻せない」
「肉体の衰えは止められない」
「可能性が狭まる」

10代や20代の頃は「早く大人になりたい」という意識を持っていることもあったかもしれない。しかし、30代や40代を過ぎると「もっともっと歳を取りたい」と思う人はいなくなる。皆無ではないかもしれないが、かなり減少する。

なぜなら、歳を取れば取るほど、容姿が衰えるだけでなく、体力も衰え、知力も衰え、同時にたくさんあった可能性も消えていき、自分の人生の限界が見えてきて、生き方に失敗したと思っても取り返しがつかないからである。

「歳を取ってもやりたいことはできる」とか「歳を取っても可能性はいくらでもある」という人もいるが、客観的な事実を検証すると、それは単なる希望的観測にすぎないことが分かる。

歳を取れば体力的にも「できないことの方が多くなる」し、「可能性もどんどん消えてしまう」のが実態である。仕事にしても就ける仕事はどんどんなくなっていく。年齢が上がれば上がるほど就職も難しくなっていく。

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人生には間違いなくタイムリミットが存在する

皮肉なことに、人は自分の年齢よりも他人の年齢の方が早く気付く。自分の顔は自分では見れないが、他人はしょっちゅう見ているので自分を棚に上げて他人の年齢を客観的に見つめることができるからだ。

以前から知っている人を見て「この人は歳を取ったな」と思う時、それは自分も歳を取ってしまったということでもある。

他人を見て「この人は歳を取ったな」と感じた時、その相手に無限の可能性を感じることはない。しかし、そう感じる時は、自分もまた一緒に歳を取っているという事実も感じなければならない。

人生には間違いなくタイムリミットが存在する。そのタイムリミットは最後には「死」という結末で終わるのだが、今までこの「死」を逃れることに成功した人は一人もいない。それは、誰もが迎える結末である。

だからこそ、鏡を見て自分の顔を確認し、自分の意識と自分の年齢をしっかりと一致させておいた方がいい。それは自分の年齢を自覚するということでもある。

もし「俺も歳を取ったな」と思ったとしたら、それは自分が意識していた年齢が「現実に合わせて引き上げられた」ということであり、現実を自覚したということでもある。現実を直視するというのは、ショックかもしれないが悪い話ではない。

歳を取ったという現実を自覚するというのは、すなわち「可能性が刻一刻と消えている」ということを自覚したということでもある。

年齢に関係なく、好きなことがいつでもできるわけではない。歳を取ったというのは、それだけ可能性が狭まったということであり、何もしないで放置していたら時間切れになるということでもある。

時間を意識していないと、やりたいことの可能性がどんどん消える。やらなければ、やれなくなる。何かやりたいことがあって、年齢を感じているのにまだ「やりたいこと」をやっていないというのであれば、急ぐ必要がある。

自分がどれだけ急ぐ必要があるのか。
それを確かめるために鏡を見る必要がある。

『時間はどこから来て、なぜ流れるのか? 最新物理学が解く時空・宇宙・意識の「謎」(吉田 伸夫)』

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