最近、少し衝撃を受けたことがある。「ストリート・チルドレン」のことだ。ストリート・チルドレンというのは、孤児だったり、親に捨てられたり、貧困で家を持たなかったりして、路上生活を強いられている子供たちのことである。
かつては東南アジアにもストリート・チルドレンは大勢いた。1990年代後半のカンボジアも、中央市場(プサー・トメイ)の近辺にはボロを着たストリート・チルドレンがたむろして私にカネをねだりにきたし、一部の子供たちはシンナーを吸っていた。
インドやバングラデシュに行けば、本当にたくさんの子供たちが路上生活を強いられていたのを見て、そのおびただしい貧困人口には衝撃を受けたものだった。
こうしたイメージがあったので、私の頭の中には「ストリート・チルドレン=貧しい途上国の子供たち」というイメージが定着した。
しかし最近、私はある英文の報道を見てギクリとした。『The Japan Times』の記事なのだが、そこにはタイトルで「Toyoko Kids: The lonely street children of Tokyo」と書かれていた。日本語に直訳すれば「東京の子供たち:東京の孤独なストリート・チルドレン」となる。
記事に描かれている子供たちは、私も書籍『病み、闇。ゾンビになる若者、ジョーカーになる若者』で取り上げたトー横界隈の子供たちのことである。私はこのトー横界隈の子供たちを1年以上見てきたが、彼らを「ストリート・チルドレン」という認識をしたことはなかった。
しかし、よくよく考えれば、たしかに彼らは現代の日本社会が生んだ「ストリート・チルドレン」であったのだ。彼らの少なからずは家出した少年少女である。
家がないまま歌舞伎町の街を漂流して生きている。家があったとしても、家庭から疎外され、学校からも疎外され、居場所がなくなって、何日も帰らずに集団で近くのホテルで寝泊まりしている。それはまさに記事の指摘どおり「ストリート・チルドレン」に間違いない。
そして、私はそのときに思ったことがある。