売春地帯をさまよい歩いた日々:フィリピン編

売春地帯をさまよい歩いた日々:フィリピン編
ブラックアジア・フィリピン編
「フィリピンの女というのは、ひまわりだね」と私に言った男がいる。日本人女性と違って、ひまわりのように|燦々《さんさん》と明るいという意味だ。いつも太陽を向いて明るく大きな花をつけているような、そんなイメージがするフィリピン女性を愛する日本人は多い。底抜けの明るさ、自由奔放な振る舞い、信心深く家族思いな性格……。フィリピンは、一九九〇年代にフィリピンパブが勃興する前から日本人の男たちとの関係も深いことがよく知られていた。一九七〇年代がセックス・ツアーの行き先がフィリピンだったことを覚えている人も...
マニラ・エルミタ地区。ここは、かつて隆盛を誇った歓楽街、マビニ通りとデル・ピラール通りを擁していたところだ。しかし、一九九二年にマニラ市長に当選したアルフレッド・リムが、歓楽街の浄化政策を開始、有無を言わせぬ強引さで風俗店を閉鎖させた。リム市長は脅迫や抗議をまったく意に介さず、意固地なまでの厳格さでマビニ通りを「大掃除」していった。そして、風俗店とドラッグの売人《ディーラー》を荒っぽく叩き出して浄化に成功した。その有無を言わさぬ強引な手法と、死の脅迫や暗殺予告に屈せずに悪と戦う姿勢は海外にま...
夕方の喧噪《けんそう》が続いたまま、夜を迎えようとしているこの日、私はフィリピン首都マニラのキアポ地区の喧噪の中をゆっくりと歩いていた。キアポ教会周辺には、おびただしい数の露店、道わきに座り込んで古びた雑貨を売る物売りがいる。そこを外れると、今度はくず拾いや、誰彼ともなく手を差し出している物乞いが見える。みすぼらしく汚れた服を着た老婆が黙ってやってきて手を差し出した。どこか哀願するような目つきだったが、金を払うのを拒否すると怒りに変わる。老婆は何も言わずに去っていった。奥に入っていくと街は急...
タイとフィリピンは、夜をさまよい歩く男にとって、兄弟国だと言ってもいいくらいよく似ている。バンコクにはパッポンがあるように、マニラにはパサイがある。バンコクにナナ・プラザがあるように、フィリピンにはエドサ・コンプレックスがある。そして、バンコクにテルメがあるように、マニラにはLAカフェがある。また、タイには米軍が作り上げた歓楽街パタヤがあるが、フィリピンに目を向けると、そっくり同じ雰囲気の街がある。それが『アンヘレス』である。アンヘレスも米軍が作り上げたゴーゴーバー地帯である。酔っていると自...
フィリピンのアンヘレスで、モリーンと呼ばれていた女と知り合った。ダンサーにふさわしく、長身で足の長い女性だった。店の用意した白のカウボーイ・ブーツをはいてステージに立つと、数いるダンサーの中でも彼女は一際目立った。踊り終わった彼女がステージから降りてきたとき、他の女性と話をしていた。しかし、モリーンは強引に割り込んできて隣に座り、強引なアイ・コンタクトをしてくるのだった。水着姿の彼女の身体は引き締まっていて、本当に魅力的だった。目も大きく、何人かのダンサーがしているように、彼女も青いアイシャ...
まずいことになったとルビーを見てつくづく思った。一番まずいのは、彼女に一目惚れしてしまって、怒濤《どとう》のようなスピードで結婚の話まで進んでしまったことだった。一目惚れ、意気投合、相思相愛、一気呵成《いっきかせい》の結婚話。おおよそ、あってはならない展開が目の前で進んでいた。本当は、ここで優柔不断であることが一番問題をこじらすのは分かっている。ルビーから、離れて、二度と会わない選択をしなければならなかった。それなのに、何度も会うというミスを犯した。彼女の魅力にどっぷりと浸かっていたので、優...
久しぶりにアンヘレスの退廃に満ちたバー『トレジャー・アイランド』に行った。中に入ると何人かの顔見知りがいたが、誰にも声をかけず、奥に入ったところの空いている席に適当に座った。相変わらずこのバーの中は大混雑している。その中にまぎれていると、妙な居心地の良さを感じた。ここはアンヘレスでもっとも堕落した人間が集まる場所であり、だからこそ堕ちてしまった人間には自然と足が向く場所でもある。ママサンをしている女が私に誰かをあてがおうとやって来たが、私が隣にいた女性と熱心に話をしているうちに、やがてママサ...
フィリピンでは、一年間に必ず五人から六人ほどの日本人が殺される。殺される日本人というのはだいたい傾向がある。真っ先に上げられる特徴は「日本人の中年男性が被害者」であることだろう。そして、この被害者というのが普通の日本人ではないことが多い。だいたい三つに分類される。暴力団関係者、ドラッグ関係者、フィリピン女性と関わる者だ。要するに、夜の世界をうろうろするような男が、フィリピンで殺されたり、事件に巻き込まれたりする。真夜中の売春地帯にいるとき、たまに「ならず者」の男たちをしみじみと見つめることが...
サバン・ビーチはとても美しいところで、小高い山に登って遠景を見ると紺碧《こんぺき》の海が広がっていて思わず息を飲む。私はこの光景が好きで、プエルトガレラにいるときは、たまに山に登ってはひとりで海を見つめていた。心地良い風の中で、ミネラルウォーターをあおって自然を満喫する。山に飽きるとビーチ沿いを歩く。サバン・ビーチは野良犬と子供たちが大勢いて、子供たちは船が本土からやってくると泳いで船まで辿り着いて、白人にチップをねだる。白人たちはチップを海に投げると、子供たちが潜ってそれを拾う。それが子供...
堕落と退廃の極み、フィリピン・アンヘレスのフィールズ通りをぶらぶらと歩いているときだった。横から一人のドア・ガールが声をかけてきた。「どこに行くの? 中に入りなさいよ」人なつっこい目だった。優しい感じの瞳と、清潔な着こなしは好感が持てたが、その顔立ちに驚いた。まだ若かった頃、よく話していた日本の女友達とそっくりだった。|醸《かも》し出す雰囲気も、まぶしそうにこちらを見つめる目つきも、体つきも、いろんなものがよく似ていた。カミールというのが、彼女の名前だった。 昔の女友達に似ている彼女に惹かれ...
売春地帯『サバン・ビーチ』では何人もの女性と知り合った。すべてゴーゴーバーの女たちだが、彼女たちはフィリピンのありとあらゆる場所からやってきていて、中には「レイテ島から来た」という女性もいた。レイテ島と言えば日本では太平洋戦争で日本軍とアメリカ軍が激戦を繰り広げて多くの日本兵が餓死したという「歴史の島」であるが、レイテから来た女性は過去よりも今を生きるのに必死で、過去の戦争についてはほとんど何も知らなかった。彼女は素朴で飾り気がなく、それでいて華やかで健康的な色気があって私の好みに合致してい...
ある年の五月二十三日、乗客七十名を乗せたフェリーが転覆して十二人の乗客が死亡したが、その中には五十七歳の日本人も含まれていた。彼らはバタンガスを出発して、ミンドロ島のプエルトガレラに向かっていた。フィリピンのミンドロ島は小さくて美しい島だ。マニラからも近く、半日もあればそこに辿《たど》り着くことができるので、アジアの都会に倦《う》んだらそこでじっと時間をつぶすことができる。海はそれなりに美しい。ダイビング・スポットになっている場所もあるようで、観光客がダイビングを楽しみにやってきている。では...
シーリング・ファンをじっと見つめる癖のある、静かな女性と知り合った。彼女の名前はアンナと言った。サバン・ビーチで出会った女性だった。サバン・ビーチには五つほどゴーゴーバーがある。回遊するサメのように毎日バーを巡り歩いていると、そのうちにどこに行っても知り合いだらけになる。バーのいくつかは外国人オーナーが経営している。しかし、だからと言って特に何か違うわけでもなく、どこにでもあるごく一般的なゴーゴーバーであり、居心地はそれほど悪くない。在籍しているママサンも人が良く、どこのバーのママサンも、お...
フィリピンのマニラの売春バーに、一人の女性がいた。ひっきりなしにタバコを吸い、いつもイライラしていて、落ち着きのない女性だった。彼女は若い女性を何人も束ねていて、彼女たちを男に斡旋してはリベートを取るビジネスをしている。こういったビジネスをする女性の元締めのような姉御が、東南アジアの歓楽街にはどこにでもいる。彼女もその一人で、男がやって来ると、飛んで行って若い女性を紹介するのだ。強引で、短気で、しつこかった。そんな彼女の、金に飢えた、ギラギラした目が忘れられない。金しか信用しない、金がすべて...
フィリピン・アンヘレスの狭い安っぽいバーに入ると、踊っていた何人かが振り向いて、ちらりとこちらを見た。彼女たちはすぐに目をそらして踊りに戻ったが、あまりやる気が見られないのは、気の抜けた踊りを見ていると分かる。アンヘレスのバーはバラツキが大きい。女性たちが極端にハイテンションなところもあれば、ほとんどやる気のないバーまで各種揃っている。逆に言えば、その日の自分のコンディションに合わせてバーの渡り歩き(バー・ホッピング)をできるのが素晴らしい。ソファーに座ると、一人のウエイトレスがにこやかに笑...
人間の目は正確ではない。正確だと思っているのは本人だけで、実は人間の目はいろいろなものを見ながら、足りない部分を「補間」してしまうのである。だから、売春地帯ではそんな人間の目の錯覚を利用して、いろいろな方法で女性を十歳や二十歳、場合によっては三十歳以上も若く見せるテクニックを使っている。六十代の女性を三十代に見せるなんて、東南アジアの場末の売春宿ですら朝飯前にやってのける。女性のシミも、シワも、吹き出物も、ニキビの痕も、やつれた目の下の隈も、あたかもマジックのように消してしまう方法があるのだ...
日本でメイドの恰好をするのが流行っていた頃、私はフィリピンで本物のメイド出身の女性と知り合っていた。中東でメイドをやっていた女性だ。メイドというのは、他人の家に住み込み、料理を作ったり後片付けをしたり、部屋を片付けたりする仕事である。可愛らしい服装がどうしたという前にそれはとても重労働であり、多くの国では「金で雇った奴隷」としか認識していない。しかも、若い女性が見知らぬ家でそういった仕事をするのだから、とてもセクハラに遭いやすく、レイプされても虐待されても泣き寝入りになる危険な仕事でもある。...
寝不足のままマニラ・バクララン地区の夥《おびただ》しい人の群れの中をさまよい歩いていた。陽気な屋台の男に手招きで呼ばれたので、そこで軽い食事を取り、人々の喧噪《けんそう》を見つめていたが、何となく心は晴れなかった。ちらちらとキリスト教のシンボルや十字架が目に入るが、努力して見ないように、そして考えないようにする。予定もなく、特別行きたいところもなかったので、再びアンヘレスに行くことに決めた。パサイやエドサは、どうも洗練されすぎていて食指が動かない。どちらかと言えばアンヘレスの場末の雰囲気しか...
かつて、アメリカの基地があったフィリピン・パンパンガ州のアンヘレスには、アメリカ軍兵士の男たちが現地の女性に産ませて捨てた子供たちがたくさんいる。このクラーク基地は、一九〇三年にはすでに基地として存在し、一九九一年にピナツボ火山が噴火するまでアメリカ軍のアジアでの最重要拠点として存在していた。実際、一九六〇年代から一九七〇年代のベトナム戦争でも、このクラーク基地は重要な出撃地となっている。基地人口は多い時で一万五〇〇〇人の兵士がいた。人口約十五万人に過ぎないアンヘレス市で、一万五〇〇〇人の兵...
フィリピン女性は誰もがラテン系で、明るく楽しく陽気だというイメージがある。しかし、もちろんそうでない女性もいる。ジャニスは、まさにそうだった。真夜中の世界で生きているのに、男に見つめられているのを分かっていて無視したり、自分が相手を見つめるときは、遠回しに見つめたりする。堕ちた女性は、仲間の冗談にいちいち怒ったり根に持ったりしない。しかし、ジャニスは自分が仲間の卑猥な冗談のネタにされたら、本気で怒る。変わっていた。売春地帯に堕ちてきたというのに、根が真面目すぎて空転している雰囲気があった。堕...
『ブラックアジア 売春地帯をさまよい歩いた日々』タイ編、カンボジア編、インドネシア編、インド・バングラデシュ編、フィリピン編。

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