
私たちは誰かを「敵」だと認識すると同時に、敵もあなたを「敵」だと認識する。人間社会において敵対関係は例外ではなく普通のことである。この中で生きるためには、「敵をなくそうとする理想論」では無理だ。敵対は避けられないという前提に立つ必要がある。(鈴木傾城)

プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。経済分野を取りあげたブログ「フルインベスト」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。連絡先 : bllackz@gmail.com
なぜ社会は「敵」を作り続けるのか
国は国と対立し、民族は民族と対立し、人は人と対立する。SNSで対立構造はより鮮明となり、人々は激しい誹謗と中傷の渦の中で生きるようになってきている。キャンセル・カルチャーもまた活発となった。
総務省の2023年調査では、日本のSNS利用率は全年代平均で80%を超え、10代から40代では90%近い水準に達している。SNSでは激しい意見が投稿され、異なる立場は可視化され、衝突は拡散されていく。
日本でも激しい対立が起きているが、その背景には経済的不安も重なっていることが人々をいらだたせているという分析もある。それも一理あるのかもしれない。人々は貧困と格差の中にあると、強い不満と閉塞感にとらわれていく。
将来の見通しが不安定な状況が続くと、人々は「誰がこんな社会にしたのか?」を探し始める。つまり、敵を見つけようとするのだ。そして、人々はすぐに答えを発見する。それは上級国民であったり、政治家だったりする。
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この対立はもちろん、リアルな政治の現場にも持ち込まれる。選挙戦では政策の詳細よりも対立軸が強調されるのはいつものことだ。人間心理として、敵を明確にしたほうが支持は集まりやすい。
ただし、そんなのは今に限った話ではないのだ。いつの時代でも、人間とはそういうものなのだ。石器時代でも、おそらく他の部族は敵であり、ときには殺し合いをしていたはずだ。そうした痕跡も残っている。
人間社会は、日常のあらゆる場面で「敵」が設定され、共有され、消費されていく。なぜ人は、ここまで一貫して「敵」を求め続けるのか。
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アイデンティティは「敵」によって鮮明になる
人は自分が何者かを単独では定義できない。かならず他者との比較によって自己を確認する。社会心理学では、集団への帰属が自尊心に直結することが繰り返し示されてきた。
自分が属する集団が評価されれば、自分も価値があると感じる。この単純な心理が、対立を生み出す起点になる。
たとえばスポーツの代表戦では、普段は関心の薄い人までが国旗やチームカラーを共有し、勝敗に強く反応する。試合が終われば関心は薄れるが、対戦中は「われわれ」と「彼ら」が明確に分かれる。
この区分があるからこそ、勝利は高揚を生む。敵がいなければ、帰属の感覚はここまで強化されない。
これは国家や企業、宗教、政治的立場でも同じである。
2023年の国際比較調査では、政治的立場が異なる相手を「信頼できない」と答えた割合が米国で約40%に達している。相手の政策ではなく、相手の存在そのものが否定される傾向が強まっている。
これは思想の違いというより、自己の立場を守る防衛反応である。自分の属する陣営が正しいと確信するほど、反対側は「誤り」ではなく「脅威」になる。
皮肉なことだが、「敵」は自己の価値を確認するための鏡である。敵がいることで、自分の立場は明確になり、強烈になる。相手を憎悪すればするほど、逆に自分が帰属する陣営に愛着が深まる。
逆に相手から敵対化されればされるほど、アイデンティティが確立されていき、強化されていく。カルト教団が世間から攻撃されたら、より結束が強力になって狂信化していくのは、そこに理由がある。
「敵」が強烈であればあるほど、アイデンティティも強烈になる。敵を持っている人間ほど、自分を持っている。
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あなたを「敵」だと認定している人間
経済や社会の変化が加速すると、人は原因を特定できない不安にさらされる。その不安を解消するにはどうしたらいいのか。まずは「敵」を作り上げて、それを攻撃することによって解決する。
不安の根源を「敵」がもたらしたという確信があれば、その敵を打倒することによって不安が消えるという理屈になるのだ。
実際、社会問題を追及していけば「敵」は見つかる。たとえば、30年も日本が成長できなかったのは馬鹿な政治家の馬鹿な政策・政治のせいだし、格差が広がっているのは資本主義のせいだ。
この社会を維持しているのは上級国民たちだが、上級国民たちはみんな揃って富裕層だったりする。
そのため、ある人は政治家を「敵」と見なし、ある人は「資本主義」を敵と見なし、ある人は「上級国民」を敵と見なし、ある人は「富裕層」を敵と見なす。
その人の観点によって誰が敵になるのかは分かれるのだが、「敵」が見えてくると、それまでの漠とした不安は、それを攻撃することで解決される。これはシンプルな話だ。原因が見えたら、それを解決したいという当たり前の人間心理がここにある。
原因が特定されて「誰」が問題の発生源だったのかわかると標的が定まり、あとは行動するだけになる。もし、それが隣国であれば隣国が攻撃対象になるし、思想の違う国であれば、それが敵対国家となる。
そのように考えれば、人間社会に平和など実現できるはずがないということに気づくはずだ。人々は常に「敵」を探し、いつでもそれは容易に見つかる。
「自分は敵を作ることも探すこともない」という人でも、誰かに「敵」扱いされるので、結局は闘争の中に巻き込まれていく。
私たちは覚悟しなければならない。人間社会はその構造上、かならず誰かを「敵」と認定し、誰かに「敵」と認定されることで成り立っているからだ。すでに、あなたを「敵」だと認定している人間がどこかに存在している。
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自分の利益をどのように取るのかに集中
私たちは誰かを「敵」だと認識すると同時に、敵もあなたを「敵」だと認識する。人間社会において敵対関係は例外ではなく普通のことである。この中で生きるためには、「敵をなくそうとする理想論」では無理だ。
敵対は避けられないという前提に立つ必要がある。
どれだけ中立を装っても無駄だ。どんな発言、どんな立場、成功、失敗の何もかもが「敵」を作り出し、誰かの逆鱗に触れる。評価されれば嫉妬されるし、主張すれば反発される。沈黙すれば無関心という敵意を向けられることもある。
結局、現実的なのは、全員に好かれるという幻想を捨てることしかない。みんなに好かれるとすればするほど、それに失敗してそれに失敗して傷つく可能性は高まる。なぜなら、不可能なことをしているからだ。
そういう努力はせず、最初から敵視されることを計算に入れておくのが合理的だ。どのみち、何をやっても言っても反発が伴う。生きているだけで「敵」が生まれる。それを想定内の「損失」として織り込む。
私なんかは若い頃からドロップアウトのでまわりの日本人から「落伍者」として扱われ、東南アジアの歓楽街に沈んだのでフェミニストからも「敵」扱いされて、まわりはほぼ「敵」みたいなものだった。
私は誰も敵にしたいとは思っていなかったが、それでも「敵」だと思われるのであれば、もう好かれる努力は最初からしないほうが合理的だという達観が生まれた。敵対は避けられないというのを早くから知った。
そうであれば、敵がいるという現実を受け入れた上で、自分の立場と利益を冷静に管理するしかない。敵をなくすことはできないが、敵に振り回されないことはできる。人はかならず誰かの敵になるので、そこは「損切り」しておく。
その前提の上で、自分の何を守り、自分の何を差し出し、自分の利益をどのように得るのかに集中するしかない。間違えても、「敵」をなくそうとは思わないことだ。それが確実に失敗する仕事だからだ。






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