マニラ・エルミタ地区。ここは、かつて隆盛を誇った歓楽街、マビニ通りとデル・ピラール通りを擁していたところだ。
しかし、一九九二年にマニラ市長に当選したアルフレッド・リムが、歓楽街の浄化政策を開始、有無を言わせぬ強引さで風俗店を閉鎖させた。リム市長は脅迫や抗議をまったく意に介さず、意固地なまでの厳格さでマビニ通りを「大掃除」していった。
そして、風俗店とドラッグの売人《ディーラー》を荒っぽく叩き出して浄化に成功した。
その有無を言わさぬ強引な手法と、死の脅迫や暗殺予告に屈せずに悪と戦う姿勢は海外にまで名を|轟《とどろ》かせたものだった。そして、その実績を引っさげて大統領選に打って出たが、ここでリムは失敗してしまった。
苦渋の中で再び市長選に立候補したが、これも落選した。そのあと、リムは何とか市長に当選したが、マニラのゴッドファーザーは以前と比べると、ずいぶん力を失った。
現在、リムがクリーン化させたマビニ通りとデル・ピラール通りは、かつての隆盛を感じさせない程度の風俗店くらいは残っている。
しかし、もはや取り立てて騒ぐほどの場所ではないし、真夜中に歩いていると、どこか陰鬱なたたずまいさえ感じる。以前はアジアを代表する売春地帯だったかもしれないが、もはやそんな面影などどこにもない。
自然淘汰ではなく強制的に閉鎖を余儀なくされた場所は、新しいテナントがなかなか寄りつかないものだ。カタギのビジネスマンであれば、曰《いわ》くつきの場所で新規ビジネスを開拓するリスクは負いたくないに違いない。
一方、アンダーグラウンドの人間はと言えば、当局に目をつけられている場所でリスクを負いたくない。当局が無理やり閉鎖させた売春地帯の痕というのは、いつまで経っても暗さが残り、|宴《うたげ》のあとの寂しさがつきまとう。
真夜中の二時頃、このデル・ピラール通りをぶらぶらと歩いていると、二人の肩幅の広い女が歩いていた。細身のジーンズをはいて、露出度の高い水色のブラウスを着ており、遠目にも非常に目立つ。
しかし、四つ辻の角にコンビニエンス・ストアがあったが、その明かりに照らされた彼女たちの姿は、どこか違和感を感じさせた。
やがて、一人の女が道を横切ってやってきた。近くで彼女を見て、やっとその違和感の正体が分かった……
(インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきた売春地帯の闇、電子書籍『ブラックアジア フィリピン編』にて、全文をお読み下さい)
フィリピン・マニラのデル・ピラール通りにある LA CAFE は、結局アルフレッド・リム市長に閉鎖されています。しかし、現在は BAY CAFE として、ほとんど同じ形態で営業しているようです。
もう長らくフィリピンにも行っていないので、実態は分かりませんが、ほとんど変わっていないのではないかと推測します。
【鈴木傾城】
某海外デートサイトの中においても8対2の法則を感じます。
少数の美人とそこそこの女性の層対、その他大勢のそうでない者たち
自ら声を掛けてくるのはその圧倒的多数の側にいる女性たちです。
翻って声を掛けられる男性もまずG20に加盟しているような国の男、
欧州、米系白人、日本、香港、台湾、シンガポールなど経済的な先進国の男で且つ、適年齢で写真写りも良く、プロフィールから見て英語をある程度まともに扱えそうな男たちに集中してアプライが来るのだと思います。
その他180カ国の男達には経済的援助や自身を困窮から救い出す「白馬の王子様」にはなり得ないとの思いがあるのでしょう。
学力にしろ、企業内ヒエラルキーにしろ、社会的地位や財力など望むらくはトップ数%以内なのでしょうが、この領域は本人の資質はもとよりDNA、家柄、血脈など個人の努力だけでは如何ともし難い、高過ぎる壁があるかと思います。
支配者層にはなれない一般庶民であれば、高望みをせず平穏に暮らすには努力で何とかできる領域に於いては上位10%以内、総合力で12%程度、不得意分野においても何とか15%以内に入ることができればば、あまり引け目も感じず、劣等感も強くは感じることなく比較的スムーズにやり過ごせるように感じます。
タガログ語を思い出した。
美しい女、マガンダン・ババエ。(かな?)笑
私はやはりブスはパスしてしまってました。
綺麗な娘でないと買う意味はない、と単純に考えていたからです。
本来のブラックアジアらしい記事ですね。
深い経験を持った傾城さんが書くと、まるで自分がその場にいるような臨場感があります。
素晴らしい記事です。
因みに、ベイカフェからLAカフェが復活しています。
今夜も男と女がひしめき合っていることでしょう。