タイとフィリピンは、夜をさまよい歩く男にとって、兄弟国だと言ってもいいくらいよく似ている。
バンコクにはパッポンがあるように、マニラにはパサイがある。バンコクにナナ・プラザがあるように、フィリピンにはエドサ・コンプレックスがある。そして、バンコクにテルメがあるように、マニラにはLAカフェがある。
また、タイには米軍が作り上げた歓楽街パタヤがあるが、フィリピンに目を向けると、そっくり同じ雰囲気の街がある。
それが『アンヘレス』である。
アンヘレスも米軍が作り上げたゴーゴーバー地帯である。酔っていると自分がタイにいるのかフィリピンにいるのか分からなくなってしまうに違いない。タイ・パタヤが「ソドム」だとすると、フィリピン・アンヘレスは、さしずめ「ゴモラ」というべきだろうか。
スケールの違いはあるとしても、退廃の度合いは同じくらいだ。むしろ、アンヘレスの売春地帯は、よけいなものが他にない分だけ、退廃はパタヤよりも深いかもしれない。
それにしても、本当に奇妙なまでにタイとフィリピンの売春世界は似ている。
フィリピンのマルコス政権は、一九七〇年代から一九八〇年代まで、売春ビジネスで国が荒れるのを見て見ぬふりをした。
タイのタノム政権やチャチャイ政権も、売春を放置していた。そっくりフィリピンと同じだ。
フィリピンでは、マニラ市長に当選したアルフレッド・リムが売春地帯を一掃するために社会提起した。タイでは、プラチャイ・ピアムソンブーン内相が「新しい社会構造の構築」と称して売春地帯や盛り場に規制をかけた。そっくりフィリピンと同じだ。
タイの歓楽街も、フィリピンの歓楽街も、ベトナム戦争のアメリカ軍のリクレーションとして作られた。まったく違う二国の歓楽街が似ているのは当然だ。産みの親が同じだったからである。
若い女性をカウンターに立たせ、半裸、もしくはトップレスで踊らせて、酒を飲みながらそれを見つめ、気に入った女性がいたら……
(インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきた売春地帯の闇、電子書籍『ブラックアジア フィリピン編』にて、全文をお読み下さい)

店の説明の部分は若干古い内容であると思います。しかし、全体の要旨は変わっておりません。ビートルズやローリング・ストーンズについての説明は、もう分からない人も多いかも知れませんが、そのままにしております。
【鈴木傾城】
全然関係無いかも知れないのですが、昔、「ゴールデンハーフ」という三人組みのグループがあって、「黄色いさくらんぼ」という歌が流行ったんです。覚えている方も多いと思います。子供心になんだか色っぽい歌だなあと思っていました。グループの中ではエヴァちゃんが好きでした。あの歌、もしかしてこの「チェリー」とかベースにあったんじゃないかとひらめいてしまって。黄色いさくらんぼ・・・ううむ。
前後しますが、次の音楽についての補足のご記事、ミック・ジャガーが若いぃ(笑)!思わず押入れのLPジャケットをひっぱり出してしまいました。うちではもうLP、聴けないんですけどね。 aurore
「黄色いさくらんぼ」って知らなかったのでユーチューブで聞いてみました。アメリカじゃむかしから処女はチェリーと言ってました。この歌きっとまちがいなくさくらんぼは処女を指してますね。むかしの人って。。。(笑
『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』
鈴木さん、この本はご存じでしょうか?
偶然アマゾンで見つけたのですが、とても面白そうなので、私も購入してみようと思っています。
昔の記事掘り起こしシリーズ。
先日「ゴモラ」に行ってきました。「ソドム」との対比を、との思惑もありましたが、確かによく似ています。
ビーチや観光スポットがなく閉塞感がある、との意見も聞いていましたが、もともとインドア派の私はホテルのプールサイドでまったりする時間があればそれで十分なので、しっかりリゾート感がありました。
◯8歳の娘さんとその保護者的なウエイトレスと仲良くなって、ウォーキングストリート内でバーホッピングからの深夜のディスコでフィーバー(←古語辞典参照のこと)と、 目一杯はじけてきました。
同じような遊び方をしても、「ソドム」よりはお金の減り方が少ないですね。食べ物の質は「ソドム」の圧勝ですが。
いずれ世界遺産になるであろう退廃の街を、どちらも生きているうちに体験できました。たとえ神の雷に撃たれて滅びようとも、本望でございます。oyr
【追記】↑の方のコメントにある『日本を捨てた男たち〜』を読みました。すごく面白いです。登場人物は、ほんまアホやなぁ〜、とは思いますが、私自身同じようなことにならなかったとは限らない、とも思いました。