CATEGORY 歴史

◆遊郭に君臨した「角海老」の隆盛と衰退。裏世界のブランドはどうなるのだろう?

先日、紅子さんの個展があったので、久しぶりに吉原の「カストリ書房」に寄ったのだが、このカストリ書房のすぐ向こう側はソープランド角海老本店の威風堂々の景観が見える。 この角海老本店は2020年のコロナ禍の中で無期限の休業となって今もなお閉まったままで再開する気配がない。角海老グループ自体はまだ残っているし、経営しているソープランドはいくつもある。 『池袋角海老』『池袋千姫』『Polaris』『池袋夢 […]

◆売春、苛立ち、出口のない貧困。映画『(秘)色情めす市場』は貧困映画の傑作

1974年に日活ロマンポルノで制作された映画に『(秘)色情めす市場』というものがある。この映画の舞台は、大阪最大のドヤ街である釜ヶ崎(現あいりん地区)である。 私が日本で一番気に入っている場所がここなので、この映画を観たいとずっと思っていたのだが、この情緒も欠片もない情けない題名に何となく気後れして今までずっと後回しにしていた。 とは言いつつも中が気になって仕方がないので、先日やっと意を決して観て […]

◆「ちょんの間」の外国人女性と「30分という時間制限」に歴史があったこと

以前『グッドナイト・アイリーン』という東京・町田の「ちょんの間」で働いていたタイ女性の小説を書いたことがあった。(アマゾン:グッドナイト・アイリーン 町田「ちょんの間」にいた外国人女性) 「ちょんの間」というのは普通の人には聞き慣れないものだと思うが、実は1950年代から延々と続いている売春の形態で旅館、料亭、スナックを模した売春宿と思えば理解が早い。 女性が小料理屋っぽい店の入口に立っているので […]

◆「肉体の防波堤」「東京租界」。日本の闇が最も深かった時代を見つめよ

日本は1945年8月15日に敗戦を迎えたのだが、この当時の日本政府はこれを「敗戦」と表現しないで「終戦」と表現した。そして、日本に乗り込んで来たアメリカ軍を「占領軍」と言わずに「進駐軍」と言った。 言い方がどうであれ、日本はそれぞれの都市が大空襲で焼け野原にされ、二発の原子爆弾を落とされ、完膚なまでに叩きのめされて「敗戦して占領軍に支配された」という客観的な現実がそこにあったのは事実だ。 1945 […]

◆梅毒と奈良の大仏と始皇帝とニュートンの錯乱を結びつけるものとは?

かつて「過去の性病」と思われた梅毒は、日本に多くの中国人が流れ込むことによって20代の風俗嬢を中心に爆発的な流行を見ることになった。このまま放置しているのであれば、梅毒はもっと蔓延して日本のアンダーグラウンドを覆い尽くす。 日本の風俗は異常だ。風俗嬢は梅毒から逃れられない。 なぜ風俗嬢が助からないのかは、こちらのシリーズに記した。(ブラックアジア:【シリーズ】日本の女たちは性病まみれになっていくの […]

◆石川啄木。娼婦の身体に溺れ、借金まみれになって死んでいった詩人

「働けど働けど猶わが生活楽にならざり。ぢっと手を見る」という詩を詠んだのが石川啄木だった。この詩を読むと、その切なさに誰もが胸が痛むに違いない。 私もそうだった。10代の頃、何かの本で石川啄木は朝日新聞の校正係の仕事を得たが、どんなに働いても暮らしが楽にならず、肺結核でわずか26歳にて死んだと知った。 貧しい暮らしに、働いても働いても暮らしが楽にならず、極度の貧困の中で押しつぶされて死んでしまった […]

◆遊郭反対運動に深く関わって日本を変えようとしていた人々の正体

関西には「飛田新地」や「松島新地」という歴史ある売春地帯が今も生き残っている。 こうした地区の歴史を、いまや絶版になったいくつもの書籍を取り寄せて読み耽っていると、遊郭は常に遊郭閉鎖を求める声が巻き上がって何度も何度も存続の危機に陥っていたことが分かる。 そして、この「娼売は悪」「遊郭は許しがたい性の堕落」「風紀の乱れの増長」「遊女は奴隷契約の被害者」と激しく攻撃して遊郭や売春の根絶を訴えていた「 […]

◆ストーリーヴィル。1900年代初期アメリカ最大の売春地帯

1897年から1917年までの20年、アメリカのルイジアナ州ニューオリンズでは「あの地域」と呼ばれる売春地帯があった。それがストーリーヴィル(Storyville)である。 ここは、アルコールとギャンブルとセックスが公然と渦巻く不浄の地域であり、普通の人たちは決して近づかない場所でもあった。 住民が「あの地域」と言ったのは激しい嫌悪と拒絶感を伴っており「行ってはいけない場所」という意味で使っていた […]

◆映画『赤線地帯』に見る、1950年代の日本の裏社会の出来事

日本は1945年に敗戦を迎え、日本に上陸したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)はすぐに公娼廃止指令を出した。 しかし、日本には「遊郭文化」が根付いていたので、そう簡単に売春ビジネスは消えなかった。遊郭は「特殊飲食店(カフェー)」に鞍替えして生き残った。 政治家や官僚も遊郭で政治を語り、男は遊郭で友情を深めるのが当たり前の時代だった。GHQの命令には、日本人の上から下までみんな反対した。 やがて、 […]

◆遊郭で使われていた隠語と「あげまん・さげまん」のこと

大阪のドヤ街あいりん地区の中には「飛田新地」と呼ばれる特殊な売春地帯がある。 この飛田新地の外れには「百番」と呼ばれるかつての遊郭を利用した建物が料亭として経営されている。観光客もやってきて、それなりに繁盛しているようだ。(傾城フォト(百番より)) 「百番」はとても威風堂々とした建物で、夜にこの建物を見ると惚れ惚れして見つめてしまうしかない。昔の日本の建物は美しかったのだ。 かつて、日本には「遊郭 […]

◆からゆきさん(6)彼女たちの優しさはどこから来たのか?

明治・大正・昭和と連綿と続く日本の近代史の闇で、貧困のあまり国外で身体を売る女たちがいた。「からゆきさん」と呼ばれた女たちだ。 彼女たちは長崎県南島原にある口之津港(くちのつこう)から密航して東南アジアや東アジアに流れていったことが記録されている。 明治35年から明治44年までの福岡日日(にちにち)新聞の10年間の記事を統計した著述家の森崎和江は、その多くが長崎県島原地方の女性と、熊本県天草地方の […]

◆与謝野晶子は売春地帯を廃止せよと叫んだが現実に敗北した

日本は明治・大正・昭和初期までは貧困が広く深く蔓延していたので、女性が「身を売る」というのは決して珍しいことではなかった。 現在、東南アジアや南米やアフリカの貧困国に売春地帯や売春女性が溢れているように、日本も昔は売春女性が溢れていた。教育も資産も仕事もない女性ができることと言えば、それしかないのである。 だから、昔の日本は売春女性を表す言葉が、驚くほど豊富に存在した。 売笑婦、売春婦、酌婦、夜鷹 […]

◆からゆきさん(5)400年の歴史を持つ傾城局はやがて国辱に

日本はかつて「赤線地帯」や「遊郭」という名の売春地帯が存在していたが、この政府黙認の売春地帯というのは、いつから存在していたのだろうか。 歴史をずっと辿っていくと、実は鎌倉幕府に行き着くのだが、時の政府が公式に売春ビジネスを許可して税金を取ったというのは、1521年の足利幕府の時代ではないかと言われている。 足利幕府12代将軍であった足利義晴(あしかが・よしはる)は、増え続ける売春ビジネスを見て、 […]

◆からゆきさん(4)二木多賀次郎と、村岡伊平治について

シンガポールのシンボルは「ライオン」だ。だから、マー・ライオンがシンガポールの観光名所になっている。しかし、シンガポールにはライオンがいたわけではない。シンガポールにいたのは「虎」のほうだ。 1870年頃のシンガポールは重要な港町ではあったが、それでもシンガポール全体が都市だったのかというと、まったくそうではなかったようだ。 「付近はまだ草茫々としていて、虎も折々出て人をさらひ、鰐は少しも珍しくな […]

◆からゆきさん(3)セックスに対する爆発的な需要があった

シンガポールは1819年にイギリスの領土となっている。 そして、イギリス人のトーマス・ラッフルズのインドと中国を見据えた自由貿易政策が行われて、当時の企業が続々とそこに拠点を構えるようになっていった。 この頃のシンガポールは、アジアでも有数の港町として名を轟かせていた。 活況に沸き、次から次へと植民地労働の出稼ぎの男たちが流れて来るようになっていた。 出稼ぎの多くの男たちは、まずはシンガポールに上 […]

◆からゆきさん(2)日本人墓地に記されたからゆきさんのこと

シンガポールの日本人墓地には「からゆきさん」と呼ばれていた日本人娼婦たちの墓がある。 かつて、バッタンバン船(と呼ばれていた)で死ぬような思いをしてやってきた貧しい女性たちは、この熱帯の地で売春をして生きていた。 その証(あかし)がシンガポール日本人墓地にあった。 この墓地の説明によると、1870年頃から日本人女性がシンガポールに現れるようになったと書かれている。 1870年当時と言えば、その3年 […]

◆からゆきさん(1)シンガポール史の裏面に、明治の女性の影

シンガポールは清潔で最先端の国だが、この国にも売春地帯がある。それは政府公認の売春地帯であり、今でもそこでは哀しい目をした女性たちが立っている。 こういった女性たちの姿については、ブラックアジア第二部で詳しく触れた。(ブラックアジア第二部) そこに立っているのは、スリランカ女性、インド女性、インドネシア女性、タイ女性、ラオス女性、ミャンマー女性、そして中国本土の女性たちだ。 シンガポール自体は多民 […]

◆明治・大正時代の日本の少女は、このような顔や身体だった

1870年〜1920年の日本と言えば、明治・大正時代に当たるが、この当時の日本は、まだ多くの国民が非常に貧しい時代であり、日本のあちこちに遊郭が存在し、海外へは「からゆきさん」が出ていた時代だ。 貧しさゆえの売春、売春のための海外渡航……。 そんな時代があったということは私たちは歴史の教科書で知ってはいるが、この当時の日本女性たちはどのような女性だったのかは、あまりイメージできないのではないか。 […]

◆阿部定(さだ)事件。彼女は、どこから来た女だったのか?

戦前の事件なのに、今でもなお名前を知られている特異な猟奇事件が「阿部定事件」である。 この事件は、どこかで女性が相手の男性器を切断する猟奇事件が発生するたびに「元祖」として、繰り返し繰り返し紹介される。 内容はよく知らなくても、阿部定(さだ)という名前だけでも知っている人も多い。 この女性は事件を起こした当時は「女中(現代の言葉で言うとウエイトレス)」だったので、ずっと女中だったと思っている人が多 […]

◆アメリカの「差別の時代」を生きたひとりの女性歌手のこと

1925年アメリカ。ひとりの黒人少女がレイプされた。彼女を犯したのは白人の男であった。 しかし、その結果罪に問われたのは10歳の彼女の方だった。少女は性的に堕落した不良少女として感化院に放り込まれ、無実の罪を償うために日々を過ごすことになる。 当時のアメリカは黒人差別のまっただ中にあった。黒人は白人の所有物、すなわち「奴隷」だった。 コンテンツの残りを閲覧するにはログインが必要です。 お願い Lo […]

◆傾城(けいせい)という言葉に娼婦の存在が埋め込まれている

徳川家康は戦国時代を生き抜いた稀代の策略家であり、戦略家だった。 この男が豊臣秀吉を破って天下を制定したとき、西方の大名たちを弱体化させるために公娼制度と参勤交代を敷いたのは有名だ。 家康は、江戸の吉原に一大遊郭を作り上げ、これを手厚く保護した。そして、参勤交代で江戸にやってきた大名たちを遊郭へと誘導したのである。 何が狙いだったのか。 コンテンツの残りを閲覧するにはログインが必要です。 お願い […]

◆カンボジアの近代史に登場した政党

カンボジアの現代史を見ると、様々な政党が入り乱れて闘争しているのが分かる。これらの政党はそれぞれ政党名や略称があってわかりにくいので、表にしてまとめてみた。 コンテンツの残りを閲覧するにはログインが必要です。 お願い Log In. あなたは会員ですか ? 会員について

◆カンボジア共産党の歴史

カンボジアの現代史を語る上でどうしても主役の座に踊り出るのは「共産主義」というキーワードである。 現在のフン・セン首相が標榜しているのも共産主義であり、前ヘン・サムリンもまた共産主義者であり、ヘン・サムリンの前に立ちはだかっていたポル・ポトもまた根っからの共産主義者である。 コンテンツの残りを閲覧するにはログインが必要です。 お願い Log In. あなたは会員ですか ? 会員について

◆ポルポト政権誕生までの政治状況16 – 殺し合い、潰し合い、同盟、陰謀

ロン・ノル政権がクーデターによって発足してから、カンボジアは堰を切ったように荒れ始めた。 カンボジア内に潜む南ベトナム解放戦線のベトナム兵士と敵対し、クメール・ルージュと敵対し、シハヌーク国王と敵対し、ここにアメリカが絡んで状況は複雑怪奇なものとなっていったのだ。 コンテンツの残りを閲覧するにはログインが必要です。 お願い Log In. あなたは会員ですか ? 会員について

◆ポルポト政権誕生までの政治状況15 – カンボジア、火の海になる

アメリカの傀儡政権であったロン・ノルのクメール共和国は、発足当時からまったく国民に支持されなかった政権であった。 一部では腐敗した王族政府がなくなったことに対して歓迎の意を示す国民も一部にいた。 コンテンツの残りを閲覧するにはログインが必要です。 お願い Log In. あなたは会員ですか ? 会員について