遊郭反対運動に深く関わって日本を変えようとしていた人々の正体

遊郭反対運動に深く関わって日本を変えようとしていた人々の正体

関西には「飛田新地」や「松島新地」という歴史ある売春地帯が今も生き残っている。

こうした地区の歴史を、いまや絶版になったいくつもの書籍を取り寄せて読み耽っていると、遊郭は常に遊郭閉鎖を求める声が巻き上がって何度も何度も存続の危機に陥っていたことが分かる。

そして、この「娼売は悪」「遊郭は許しがたい性の堕落」「風紀の乱れの増長」「遊女は奴隷契約の被害者」と激しく攻撃して遊郭や売春の根絶を訴えていた「特定の人たち」がいたことも浮かび上がってくる。

かつての日本は、良くも悪くも性的には奔放な文化を持っていた。「性を楽しんでいた」と言っても過言ではない。さらに社会的にも、不倫どころか妾(めかけ)という堂々たる愛人すらも公然と持てるような文化的許容があった。

しかし、一方でこうした性的な奔放さや乱れを激しく嫌う道徳的かつ模範的な人々もいた。

彼らは遊郭で娼妓と関わる男たちを「風紀を乱しており、道徳的に許しがたい」と嘆いた。また貧しい女性たちを集めて身体を売らせる業者の「悪辣極まる商売」にも「女性の人権を侵害している」と糾弾した。

それにしても彼らは「何者」だったのか。彼らは今も同じことを言って、堕落に生きる男どもを常に吊し上げている。今も昔も「ハイエナの宿敵」となっているのが誰なのか、はっきりと正体を見よう。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

「新島襄」という男の本質は何だったのか?

日本がまだ遊郭を容認し、身体を売る女たち(遊女)と関わるのは何ら問題ないと社会全体が考えていた明治の1870年代、「遊郭のような存在があってはならない」という強い意思を持っていた人間がいた。

新島襄(にいじま・じょう)という男だ。

後に同志社大学を設立するこの男はアメリカ・ボストンで日本とは違う価値観を学び、そして日本に戻ってからアメリカで覚えた価値観を強く布教するようになった。同志社はその過程で生まれてきたものである。

この新島襄という男がかぶれた思想は「キリスト教」だった。キリスト教の価値観から見ると、日本社会の遊郭・遊女公認の社会は「堕落の極み」にしか見えなかったのである。

この新島襄に心酔して1878年にキリスト教に入信し、後に同志社理事になったのが湯浅治郎(ゆあさ・じろう)という男だった。実際に遊郭という巨大売春地帯を叩き潰すための社会運動を始めたのがこの男だった。

この社会運動は遊郭を運営する業者たちやハイエナたちの激しい抵抗に遭っていくのだが、インテリたちはこぞって新島襄や湯浅治郎を支持して醜業(売春)反対の機運は高まっていくことになった。

その「インテリ」のひとりに与謝野晶子(よさの・あきこ)という詩人がいた。

「柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君」と、道を説く人、つまりキリスト教信者を挑発していたこの詩人も、晩年にキリスト教の洗礼を受けた人物だ。飛田新地の設立には強く反対していた。(与謝野晶子は売春地帯を廃止せよと叫んだが現実に敗北した

こうした中、日本の「堕落」を正そうとする人物も国外から流れ込んでいたのだが、そのひとりにメアリー・トゥルーというアメリカ人女性がいた。彼女は何者だったのか。

キリスト教の宣教師だった。実はこのキリスト教伝道師が育てた熊本出身のひとりの女性が「遊郭廃止・娼妓開放」の中心人物になっていく。

1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから

日本を変える「彼ら」はいったい何者だったのか?

キリスト教宣教師だったメアリー・トゥルーと出会い、大きく感化され、後に築地新栄教会で洗礼を受けた熊本出身の女性は矢嶋楫子(やじま・かじこ)という女性である。

矢嶋楫子は、今でもキリスト教系の完全一貫制の大学として名を馳せている「女子学院」の初代院長なのだが、彼女は明治時代に遊郭廃止を強く訴えて社会変革を促してきた女性だ。

ちなみに、彼女の姉の子供である湯浅初子(ゆあさ・はつこ)は同志社・湯浅治郎の妻である。

キリスト教の系譜がここでつながった。このキリスト教徒・湯浅初子もまた矢嶋楫子と共に「遊郭廃止・娼妓開放」の社会運動を推し進めている。

それだけではない。矢嶋楫子の後を継いだのは姪の久布白落実(くぶしろ・おちみ)だが、彼女もまた生粋のキリスト教徒で遊郭廃止の運動に邁進していた。

彼女たちの遊郭廃止を強力に支援していた人物の中には内村鑑三(うちむら・かんぞう)や新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)という人物がいる。

彼らは北海道で札幌農学校(北海道大学)に入学していたのだが、この大学の創設時に副校長だったのが生粋のキリスト教徒であったウィリアム・クラーク博士であった。

内村鑑三も新渡戸稲造も、この大学で大きく感化されてキリスト教に入信し、矢嶋楫子たちの遊郭廃止の運動を支援するようになっていく。

ところで、遊郭には東北の貧しい女性が親に売られて娼妓となっていたのだが、この惨状を現地の岩手県花巻で見ていたのが山室機恵子(やまむろ・きえこ)という女性だった。

彼女もまた「遊郭廃止・娼妓開放」の社会運動にのめり込んでいくことになったのだが、彼女は何者だったのか。彼女もまたキリスト教徒だった。

そして、山室機恵子の最初の夫は山室軍平(やまむろ・ぐんぺい)である。この人物もまたキリスト教徒だった。新島襄が興した同志社大学の出身だ。

このふたりは共に「遊郭廃止・娼妓開放」の社会運動を命がけで推し進めていた。

地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから

日本を清廉潔白な社会にしようとしていた人々の正体

矢嶋楫子に大きな影響を受け、大阪で大火で燃えた難波新地の再建に強く反対して計画を撤回させたのは林歌子(はやし・うたこ)という女性だった。彼女は何者だったのか。

彼女もまたキリスト教信者だった。

林歌子が矢嶋楫子に応援を求めて共に活動したのは、矢嶋楫子は1911年に大火で燃え落ちた吉原遊廓の再建を身を挺して反対し、「吉原全廃運動」として進めた経緯があるからだ。

吉原全廃運動は矢嶋楫子の人脈を活かした大規模な運動となって全国に名を轟かせるようになった。

しかし結果から言うと、矢嶋楫子の吉原全廃運動は敗北した。キリスト教徒たちは日本の闇を消し去りたいと願っていたのだが、社会はそう思っていなかったのである。

男たちは遊郭を求め、貧しい女たちもまた「身体を売って稼ぐ」というビジネスを奪われたくなかった。

矢嶋楫子の吉原全廃運動は失敗したが、林歌子の難波新地の再建阻止は表面上は成功した。しかし、結果的にはこちらもまた「別の新地を別の場所に生み出した」だけで完全勝利には程遠かった。

矢嶋楫子と林歌子が行った全廃運動で移された場所は「飛田」だった。これが後に「飛田遊郭=飛田新地」となって現代までしぶとく生き残ることになる。この飛田反対運動は矢嶋楫子の姪の久布白落実が関わったが、やはり敗北だった。

こうやって見ていくと、堕落に生きる男どもを批判し、売春ビビネスを激しく糾弾し、日本社会を清廉潔白なクリーン社会にしようとしていた人々の正体が見えてくるのではないか。彼らは何者だったのか。

「遊郭廃止・娼妓開放」に関わった莫大な人々の中から中心人物を少し拾っただけでも、それが見えてくるはずだ。

新島襄(キリスト教徒)
湯浅治郎(キリスト教徒)
メアリー・トゥルー(キリスト教徒)
湯浅初子(キリスト教徒)
久布白落実(キリスト教徒)
内村鑑三(キリスト教徒)
新渡戸稲造(キリスト教徒)
林歌子(キリスト教徒)

彼らは欧米の価値観を日本に持ち込んで日本社会をグローバル・スタンダードに変えようとしていた「キリスト教徒」だったのである。

ところで、日本を清廉潔白な国にしようとする理想はいいのだが、彼らは「欧米には売春ビジネスはない」とでも思っていたのだろうか。彼らが信奉する欧米社会でも売春施設はあるし、奴隷制度も残っていた。

彼らはそれを見なかったのか。それとも、ただ単に欧米にかぶれて日本を欧米化したいだけだったのか。どちらでもいいが、今でも売春ビジネスは世界にあまねく存在しており、それは消し去ることすらもできない。堕落はキリスト教徒よりも強いのが現実だ。(written by 鈴木傾城)

吉原遊廓の伝説の花魁(おいらん)だった小紫(こむらさき)。日本のキリスト教徒たちは、女性の人権のために遊郭を全廃してすべての女性を自由にしようと社会運動を起こしていた。しかし、当の欧米も売春ビジネスは消えていない。

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