関西には「飛田新地」や「松島新地」という歴史ある売春地帯が今も生き残っている。
こうした地区の歴史を、いまや絶版になったいくつもの書籍を取り寄せて読み耽っていると、遊郭は常に遊郭閉鎖を求める声が巻き上がって何度も何度も存続の危機に陥っていたことが分かる。
そして、この「娼売は悪」「遊郭は許しがたい性の堕落」「風紀の乱れの増長」「遊女は奴隷契約の被害者」と激しく攻撃して遊郭や売春の根絶を訴えていた「特定の人たち」がいたことも浮かび上がってくる。
かつての日本は、良くも悪くも性的には奔放な文化を持っていた。「性を楽しんでいた」と言っても過言ではない。さらに社会的にも、不倫どころか妾(めかけ)という堂々たる愛人すらも公然と持てるような文化的許容があった。
しかし、一方でこうした性的な奔放さや乱れを激しく嫌う道徳的かつ模範的な人々もいた。
彼らは遊郭で娼妓と関わる男たちを「風紀を乱しており、道徳的に許しがたい」と嘆いた。また貧しい女性たちを集めて身体を売らせる業者の「悪辣極まる商売」にも「女性の人権を侵害している」と糾弾した。
それにしても彼らは「何者」だったのか。彼らは今も同じことを言って、堕落に生きる男どもを常に吊し上げている。今も昔も「ハイエナの宿敵」となっているのが誰なのか、はっきりと正体を見よう。