明治・大正・昭和と連綿と続く日本の近代史の闇で、貧困のあまり国外で身体を売る女たちがいた。「からゆきさん」と呼ばれた女たちだ。
彼女たちは長崎県南島原にある口之津港(くちのつこう)から密航して東南アジアや東アジアに流れていったことが記録されている。
明治35年から明治44年までの福岡日日(にちにち)新聞の10年間の記事を統計した著述家の森崎和江は、その多くが長崎県島原地方の女性と、熊本県天草地方の女性であることを突き止めている。
島原。そして天草。この2つの地方の女性が「からゆきさん」の多くを占めていたのは、実は口之津港の北側が島原で、南側が天草であるという単純な理由からだった。
当時、口之津港は外国行きの船舶の集積地であり、ここから朝鮮に向かう船もあれば、東南アジア各国に向かう船も出ていたのだ。