日本は明治・大正・昭和初期までは貧困が広く深く蔓延していたので、女性が「身を売る」というのは決して珍しいことではなかった。
現在、東南アジアや南米やアフリカの貧困国に売春地帯や売春女性が溢れているように、日本も昔は売春女性が溢れていた。教育も資産も仕事もない女性ができることと言えば、それしかないのである。
だから、昔の日本は売春女性を表す言葉が、驚くほど豊富に存在した。
売笑婦、売春婦、酌婦、夜鷹、娼婦、娼妓、淫売、淫婦、淫売婦、私窩子、湯女、芸者……。これらの言葉は、すべて同時代に使われていた「身を売る女たち」を指す言葉である。
売春は合法でもあったので、遊郭・赤線地帯の娼婦を「公娼」と呼び、それ以外を「私娼」と区分けする言い方もよく使われていた。
恋する詩人だった与謝野晶子は、公娼と私娼の区分け以外にも、集娼、散娼という区分けも述べていて興味深い。