日本はかつて「赤線地帯」や「遊郭」という名の売春地帯が存在していたが、この政府黙認の売春地帯というのは、いつから存在していたのだろうか。
歴史をずっと辿っていくと、実は鎌倉幕府に行き着くのだが、時の政府が公式に売春ビジネスを許可して税金を取ったというのは、1521年の足利幕府の時代ではないかと言われている。
足利幕府12代将軍であった足利義晴(あしかが・よしはる)は、増え続ける売春ビジネスを見て、売春宿の営業を許可する際、税金を徴収して鑑札(営業許可の札)を与えるという税収取り立てを思いついた。
そして、そのための役所をも新設して、その役所の名前を傾城局(けいせいきょく)と命名した。これ以降、日本では、売春ビジネスや売春宿のことを「傾城局」という呼ぶ習わしになっていった。
江戸時代にもなると、傾城局とは遊郭や妓楼や置屋を総称するような意味に変化していた。