梅毒と奈良の大仏と始皇帝とニュートンの錯乱を結びつけるものとは?

梅毒と奈良の大仏と始皇帝とニュートンの錯乱を結びつけるものとは?

かつて「過去の性病」と思われた梅毒は、日本に多くの中国人が流れ込むことによって20代の風俗嬢を中心に爆発的な流行を見ることになった。このまま放置しているのであれば、梅毒はもっと蔓延して日本のアンダーグラウンドを覆い尽くす。

日本の風俗は異常だ。風俗嬢は梅毒から逃れられない。

なぜ風俗嬢が助からないのかは、こちらのシリーズに記した。(ブラックアジア:【シリーズ】日本の女たちは性病まみれになっていくのか?

梅毒は治療すれば治る病気だが、かつては身体がボロボロに腐って鼻や口唇が欠け落ちたりする恐怖の「伝染病」だった。

この恐怖の性病「梅毒」の特効薬を発見したのはアレクサンダー・フレミングである。この医師こそ人類の救世主であり、救済者である。

私たちはこのイギリスの医師にもっと深く感謝しなければならないし、功績を讃えなければならないはずだ。そうでなければ梅毒はもっと深刻な病として人類を苦しめていた。(ブラックアジア:誰でもできる。確実に効かないクスリを見抜く方法とは?

ただ、今は治療可能な梅毒も、いずれ抗生物質が効かなくなってスーパー梅毒になってしまい、再び不治の病になってしまう懸念もある。梅毒もまた抗生物質に耐性をつけて「進化」しているからだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

紫金膏で梅毒と水銀が出会った

梅毒が全世界で蔓延するようになったのは15世紀に入ってからだ。その蔓延には諸説が大量にあるのだが、最も有力視されているのはコロンブスが率いた探検隊員がアメリカ大陸で感染し、ヨーロッパに持ち帰ったという説である。

日本にも室町時代にはすでに梅毒患者であると思われる症状が記載されているのだが、これが爆発的に流行したのが江戸時代だった。江戸時代は梅毒で鼻が欠けてしまった遊女(夜鷹)が夜の暗がりの中で安く身体を売っていた。

当時、梅毒のことは「瘡毒(そうどく)」と呼ばれていたのだが、遊女たちはこの瘡毒から逃れようと必死になっていた。瘡毒を放置しておけば、やがて身体中に腫瘍が次々と発生し、腐り、やがて発狂して死んでしまう。

人々は何とかこの病から逃れようと必死だったのだ。

現代でも人々は「頭に来る」という言い方をするが、この表現は梅毒が全身に回って最後に人間を発狂させるから「頭に来る」という言い方が生まれたというのを知っておいた方がいい。そんな表現が一般化するほど梅毒の蔓延はひどかった。

頭に来てしまった梅毒患者はもはや手の打ちようがなかったので、彼らは山に捨てられた。そして歴史から消された。こうした闇は和漢三才図会のような書物にしか記されていないが、治療のない時代の梅毒末期の人たちがどれだけ悲惨だったかは私たちも想像することができるはずだ。

この中で、遊郭の女たちが頼りにしていたのが「紫金膏」という薬だった。両国吉川町の紫金膏が有名で、この薬は「兜膏」と言われて遊郭の遊女たちに重用された。ところが、この薬も、今の医学から見ると凄まじく危険なものだったのだ。なぜか。

この薬の成分は「水銀」だったからである。

実のところ、水銀は今でこそ人体に危険だと知られるようになって避けられている。水銀の危機を全日本人が知ることになったのは、1956年に起きた「水俣病事件」からではないか。

それまで、水銀は「赤チン」と呼ばれて親しまれてきた「赤ヨードチンキ」のような薬にも使われていたし、顔料にも使われていたし、化粧用品にも使われていた。

水銀の危険性が水俣病で知られるようになってから、日本では化粧品・医薬品・農薬に水銀を使うのは厳重に禁止されるようになった。1974年のことだった。1974年と言えば、ずいぶん最近のことのように思える人もいるはずだ。そうなのだ。最近のことなのである。

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「たたり」の正体は水銀だったのか?

日本で大災厄をもたらした水俣病は、チッソ水俣工場がメチル水銀を含んだ工業廃水を水俣湾に大量に排出していたことによって起きた事件だった。

水銀を含んだヘドロが堆積し、それによって魚や貝が汚染され、その魚介類を猫やカラスや人が食べることによってメチル水銀中毒症が広がった。

この水俣病が日本最大にして最初の「水銀汚染事件」だったと日本人は考えている。しかし、日本と水銀汚染の歴史は実はもっと古いかもしれないという「説」も現れている。

710年から784年まで日本の首都だった平城京の時代の話である。

平城京と言えば、「奈良の大仏」と共に思い出す人は多い。奈良の大仏、正確には「東大寺盧舎那仏像」は今でも多くの観光客を引き寄せる壮大な仏像だ。

平城京の時代に19年の歳月をかけて作られたこの「奈良の大仏」には、金(ゴールド)を塗って仕上げるために約50トンもの水銀が使われた。

金と水銀を混ぜ合わせた合金を奈良の大仏に塗り、その後に炭火で加熱すると水銀が飛んで金だけが残る。それによって大仏が金でメッキされるという工法だった。

ところが、炭火で水銀を加熱して水銀を含んだ蒸気が大量に奈良盆地に降り注いだので、首都・平城京は一帯が水銀で汚染されてしまった。そして、平城京の人々はみんなまとめて水銀中毒になってしまったのだった。

中でも大仏の設立の作業をしていた人々が、次々と手足の震え、運動障害、重度の倦怠、口腔の損傷を引き起こすことになった。当時の人々は水銀が原因であるというのは分からなかったので、これは「たたり」であると認識された。

平城京がわずか74年で首都を遷移せざるを得なかったのは、そこにあった。「たたり」ではなかった。水銀中毒だったのである。これが日本で起きた最も最初の大規模水銀汚染だったのではないかと考えられている。

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数千年に渡って危険が認識されていなかった

水銀は今でこそ扱いを間違えると人間に重篤な被害を与えるものであることが知られているのだが、そうした常識が定着したのは比較的最近の話である。それまでは水銀は「美容に効く」「永遠の命を授ける物質」として何千年も言い伝えられてきた。

「永遠の命を授ける物質」と思ったから、不老不死を求めていた秦(しん)の始皇帝は秘薬だと思って水銀を飲んでいたのだ。(ブラックアジア:「死」が重要なのは、それがこの世で唯一絶対の平等だから

永遠の命を求めて水銀で自滅してしまったのが始皇帝だが、何らかの物質を掛け合わせるとゴールドが生み出せるのではないかと考える「錬金術」の魔力に取り憑かれて水銀で自滅してしまいそうになった人物もいる。

アイザック・ニュートンだ。

万有引力を発見し、近代の自然科学の巨人となった天才科学者であるニュートンは50代になってから精神錯乱に見舞われていたのを知る人は少ない。

金や銀のような貴金属は数が少ないがゆえに貴重品である。それは「財力」の象徴(アイコン)でもある。今でも金銀財宝という言葉が残るように貴金属は富と密接に結びつく。

この貴金属を何でもない物質から生み出してその術(わざ)を独占すれば、世界有数の富裕者と化す。それが「錬金術」の動機である。ニュートンは科学的関心から錬金術に興味を持ち、そして錬金術にどんどん傾倒していったのだった。

その錬金術の過程で、ニュートンは莫大な実験を繰り返していたのだが、そこで物質の合成に使っていたのが水銀だった。ニュートンは実験の過程で大量の水銀を吸い込み、その影響で精神錯乱に追い込まれてしまった。

アイザック・ニュートンですらも、水銀が危険なものであると気づかずにいた。水銀は普遍的に使われていたからだ。大して危険なものではないと思われていた。

水銀は「梅毒の薬・奈良の大仏・始皇帝の秘薬・ニュートンの錯乱」を結びつける中心(コア)となる物質なのだが、この結びつきは示唆に富んでいる。水銀は危険なものであるとは数千年に渡って認識されていなかったということだからだ。

そうであれば、今の私たちも何らかの物質が精神を錯乱させ健康を害するものを知らずに使っている可能性は高いと思わないだろうか。いずれ、私たちはその事実を知って驚愕することになるのかもしれない。(written by 鈴木傾城)

アイザック・ニュートン。アイザック・ニュートンですらも、水銀が危険なものであると気づかずにいた。水銀は普遍的に使われていたからだ。大して危険なものではないと思われていた。

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