スラム

◆タイのゴミまみれ住居。大量の虫が湧く中で、家族はなぜそれを受容したのか?

大阪のドヤ街である西成区あいりん地区で、ひたすら集めている生活保護の人に会ったことがある。 彼はいつ会ってもたくさんのビニール袋やズタ袋を手にしていて、街で不要品を拾っては部屋《ドヤ》に持って帰っていた。そのため、彼の部屋はゴミでいっぱいになって本人すら入れないような状態になった。 見かねた相談員が新しい部屋を用意すると、そちらもゴミまみれにしてしまう。この人と話をしてみると、やや論理的ではない話 […]

極貧のスラムにはそこに入った者を逃がさない「魔の手」のようなものもあるのだ

私は二十歳になってから早々に日本社会からドロップアウトしたし、親からも関係が切れてしまったし、仕事もしていなかった。ただ非常に運が良いことに、私が二十歳の頃から日本はバブル経済に入った頃だった。 株式市場が爆上げしていったので、株式市場に出入りしていた私は1990年までその恩恵を受けて、東南アジアでぶらぶらするくらいの金は働かなくても作ることができた。 このバブル経済がなければ、間違いなく私は浮浪 […]

迫りくる貧困スラムの登場。格差が広がる日本で「新たなスラム」の誕生は近い

60代、70代以上の世代は「山谷・釜ヶ崎」と聞けば、もう反射的に労働者が道ばたに転がる暗黒の地域を思い浮かべるだろうが、今の若い世代は「山谷・釜ヶ崎」と言われても場所も歴史も何も知らない。行政が歴史の暗部を消したのである。日本の行政はホームレスが嫌いなのだ。(鈴木傾城)

今の日本が生きにくいのは、貧困地区と金持ちの地区が分かれていないから?

少子高齢化も解決できない日本は、ゆっくりと国としての体力を喪失している。アンダークラスの増加が止まらない。そんな現状からして、やがては経済格差による棲み分けが始まっていくのは明白だ。気が付いた時は、間違いなくアンダークラスだけの地区が出現している。そして、日本もそれを受け入れるようになる。世界中の多くの国は最初からそうなっていて、それが自然なのだ。(鈴木傾城)

貧困街やスラム地帯は「社会にとって必要なのではないか」と思うようになった

確かに全員が貧しいけれども、昔の長屋のような建物に住み、ごちゃごちゃした路地だが開けっぴろげで、共同体全員で助け合って暮らし、地域の子供たちがあちこちの家に勝手に入って遊び回るようなエリアがあっていいのではないか。しょうゆが足りなければ隣に借り、母親が隣近所の爺さん婆さんに子供を預けて出かけられるような、かつての昭和の下町のような世界が再びアンダークラス層で再現されてもいいのではないか。(鈴木傾城 […]

◆スラムを撤去しても、貧困問題が解決しない限りインドには未来がない

インドの商業都市ムンバイは、都市中心部を取り囲むように広大なスラムが林立していることで有名だ。 そのスラムは「ダラピ」と呼ばれているのだが、そこは一度入ったらどうやって抜けたらいいのか分からなくなるようなスラムである。 インドは中間層が増えてきて、ショッピングモールで家族で買い物をするような層が増えているのだが、その陰で数十年前と何一つ変わらず極貧の中にあって、スラムで呻吟している家族も膨大に存在 […]

消えていくスラムと、消えていく想い出と、先進国のこと

東南アジアの貧困地帯は最初は怖かった。最初にスラムに立ち入ったのはクロントイ・スラムだった。私はクロントイが巨大スラム地帯であると知っていたわけではない。 私は当初、ヤワラーの旅社(ゲストハウス)に泊まっていたのだが、次第にパッポンが私の主戦場になってくるに従って、拠点をマレーシアホテル界隈の格安ゲストハウスに置くようになっていた。 パッポンは真夜中の街だ。昼間に起き出して食事をしたいのと冒険をし […]

◆プノンペンのスラム建築は、そろそろ見納めになるのか?

カンボジアは1950年代は「東洋の真珠」として知られる豊穣でのどかな国だった。 しかし、徐々に隣国のベトナム戦争に巻き込まれ、狂気の共産原理主義者「ポルポト政権」が樹立した1974年からは国土は「キリング・フィールド」と化して荒廃した。 プノンペンはこのポルポト政権時代は誰もいない無人都市と化して、いくつかの刑務所が政治犯を次々と処刑するだけの場所と化した。S21(トゥール・スレン)と呼ばれる場所 […]