確かに全員が貧しいけれども、昔の長屋のような建物に住み、ごちゃごちゃした路地だが開けっぴろげで、共同体全員で助け合って暮らし、地域の子供たちがあちこちの家に勝手に入って遊び回るようなエリアがあっていいのではないか。しょうゆが足りなければ隣に借り、母親が隣近所の爺さん婆さんに子供を預けて出かけられるような、かつての昭和の下町のような世界が再びアンダークラス層で再現されてもいいのではないか。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
利益と効率を追求する過剰な競争意識がもたらす不安
カトリックの総本山はバチカンにあり、そのバチカンの元首にあたるのがローマ教皇である。バチカンはダーティーなカネの流れや神父の性的虐待スキャンダルで常々、その闇を指摘されているのだが、それでもカトリック教徒は13億人いて信者の基盤は揺るがない。
このローマ教皇が2019年11月23日に38年ぶりに来日し、被爆地である広島・長崎を訪問して核兵器の廃絶を訴えていた。平和を説く宗教が、核兵器の廃絶を訴えるのは当然のことであり、それについては特に感想もなければ感慨もない。
私が、このローマ教皇の来日で興味深いと思ったのは、そうした方面ではなく、東京都文京区の東京ドームで話された「日本の若者へのメッセージ」の方である。少し長いのだが、以下のように話していた。
『社会的に孤立している人が決して少なくなく、命の意味が分からず、自分の存在の意味を見い出せず、社会からはみ出していると感じている。家庭、学校、共同体は、一人ひとりが支えを見い出し、また、他者を支える場であるべきなのに、利益と効率を追求する過剰な競争意識によって、ますます傷ついている。多くの人が、当惑し不安を感じている。過剰な要求や、平和と安定を奪う数々の不安によって打ちのめされている』
日本は1990年代から明確に社会が変わり、明確に若者が使い捨てされる時代に入っていった。(ダークネス:1971年〜1974年生まれは、自分たちは過酷な時代に生きる世代だと認識せよ)
そして今、日本社会は貧困層(アンダークラス層)が生まれているのである。
彼らはフランシスコ教皇が言うように、社会から孤立し、社会に見捨てられ、自分の存在の意味を見出せなくなっている。そして、社会もまた「利益と効率を追求する過剰な競争意識」によってますます弱肉強食になっている。
こうした社会的構造が日本を覆い尽くし、救いのない苦しみを生み出している。フランシスコ教皇がそれを指摘したというのが私には興味深かった。
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アンダークラス層に追いやってしまう危機
アンダークラス層に堕ちている若年層は、最初から不利な条件の労働形態である非正規労働を選ばざるを得なくなっている。
これは女性も同様だ。日本は昔から男女の賃金に格差があったが、現代でもそれは変わっていない。現在、単身女性の3人に1人は年収125万円以下であり、貧困を余儀なくされている。
特に学歴のない単身女性と、年齢がいった単身女性が社会から孤立して追い込まれている。125万円と言えば、単純に月で割ると約10万円強である。10万円で、果たして暮らしていけるものなのだろうか。
たとえば、首都圏のワンルームの家賃が約6万円だとすると、10万円の給料のうち何もしなくても6万円が飛んで行く。電気・ガス・水道・電話代等は、どんなに必死で節約したとしても2万円だろう。
そうすると、8万円が右から左へと消えて行くことになる。
残りは2万円ほどしか残らないが、これでは食事すらも満足に取ることができない。こんな状況に陥っている若い女性が3人に1人なのである。
この3人に1人が貧困というのは、内閣府男女共同参画局の報告書の中で指摘され、単身女性の苦境は政府も把握している。そこで、政府は2020年から「同一労働・同一賃金」を推し進めることにしたのだが、その政府の施策は非正規雇用で苦しむ女性たちの救済にはならない可能性もある。
なぜか。企業は「同一労働・同一賃金」のために、非正規雇用者の賃金を引き上げるのではなく、正社員の手当を引き下げることを考えているからだ。(フルインベスト:「同一労働・同一賃金」によって、むしろ追い詰められる人が増える理由とは?)
なんと、政府の施策は非正規雇用者を安定させるよりも正社員をも非正規雇用者に合わせてアンダークラス層に追いやってしまう危機を生み出してしまうのかもしれないのである。
1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから
どん底まで追い込まれているアンダークラス層の女性
企業は常に利益と効率を追求する。だから、自らの利益のためには常に従業員の賃金を下げる方向にベクトルが向く。フランシスコ教皇の言う「利益と効率を追求する過剰な競争意識」は、かくして労働者全員を蹴落とすことになっていく。
単身女性でもこのような悲惨な状況だが、もし彼女たちに子供ができてシングルマザーにでもなったら、もっと悲惨なことになる。子供がいることによって、母親は働くにも非常に大きな制限を受けることになる。
しかし、収入が少ないからと言って、子供に節制を要求することはできない。現在の単身女性やシングルマザーの女性が置かれている深刻な経済問題は、まぎれもなく途上国と同じ、絶望的な「貧困問題」であると認識しなければならない。
だからこそ、こうした単身女性やシングルマザーが、次々と風俗の世界に流れ込んでおり、風俗で働いたことがない女性でも「バニラ」のような風俗の求人を見て心が揺れ動いたりしているのである。
今のところ、貧困問題が解決される可能性はゼロだ。元凶となっている「利益と効率を追求する過剰な競争意識」が相変わらず続いていくからである。
日本の風俗の主流はいまやデリヘルが制しているのだが、20代の女性たちも、30代の女性たちも、いや40代の女性たちも50代の女性たちも普通にデリヘルで身体を張って働いているのである。(ブラックアジア:野良犬の女たち)
もちろん、誰もがデリヘルで働けるような容姿を持っているわけではない。そんな女性は普通のデリヘル店では働けないので激安デリヘルに勤めることになるのだが、それでも客がつかない。
仕方がないので、ネットカフェで暮らして歌舞伎町のホテル街の路上に座り込んでじっとしている女性もいる。(ブラックアジア:大久保公園にずっといる「正体不明の女たち」は誰だったのか?)
そういった生活を繰り返して妊娠し、ネットカフェのトイレで赤ん坊を産んで歌舞伎町のコインロッカーに捨てて逮捕された女性もいた。
アンダークラス層に堕ちた女性が、どん底まで追い込まれているのが分かる。
地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから
今の日本にはアンダークラス層を包み込む場所がない
ネットカフェで暮らす若年層は増えているのだが、他にもシェアハウスという形態もある。見知らぬ他人と部屋を共有して暮らす。ネットカフェとはまた違うスタイルだが、プライバシーが保てないところで暮らすわけで劣化した住環境であるのは間違いない。
日本でシェアハウスが定着したと聞いたとき、なるほど貧困国で当たり前の現象が、いよいよ日本にも広がっているのだと納得したものだった。
現在はこういった苦境にある若年層はまだ「単身」だが、彼らもやがて同じ境遇の異性と知り合って一緒に暮らしていく。しかし、ふたりになっても底辺をさまよう生活は変わらないので、住まいに困るようになる。
ところで、貧困国には当たり前にあって、日本には見当たらないものが貧困街やスラム地帯である。東南アジアではこうしたエリアが普通に存在していて貧困層を包み込むのだが、今の日本にはそれがない。
アンダークラス層を包み込む場所がないのだ。だから、皮肉なことに、貧困層が孤立するという状況になっている。日本もいよいよシェアハウスまで辿り着いた。次は何が生まれるのだろうか。
こういったことを言うと、「隔離だ」「差別だ」と誤解されるのだろうが、私は積極的にアンダークラス層「だけ」が集まり、安心して暮らせるエリアを作った方がいいのではないかと最近は思うようになってきている。
確かに全員が貧しいけれども、昔の長屋のような建物に住み、ごちゃごちゃした路地だが開けっぴろげで、共同体全員で助け合って暮らし、地域の子供たちがあちこちの家に勝手に入って遊び回るようなエリアがあっていいのではないか。
しょうゆが足りなければ隣に借り、母親が隣近所の爺さん婆さんに子供を預けて出かけられるような、かつての昭和の下町のような世界が再びアンダークラス層で再現されてもいいのではないか。
昭和の一時期、確かに日本はそんな世界があったのだ。
孤立はアンダークラス層「だけ」が集まるオープンな「かつての昭和の下町」のようなエリアを作ることで解決できるのではないか。貧困街やスラム地帯というのは、アンダークラス層には実に機能的なシステムになっていたのではないか。
貧困や格差はもちろん解決するに越したことはない。しかし、その解決に相当な時間がかかるのであれば、貧困街やスラム地帯は「社会にとって必要なのではないか」と私は思うようになっている。
あなたは、どう思うだろうか……。
鈴木さんのおっしゃりたいことは分かります。しかし実現できないでしょう。なぜならアホ丸出しの人権屋が「貧乏人を集めるのは差別だ、排除だ、レイシストだ」とわめくからです。ヤツらはバカなので何でも差別差別言います。そして世の中をよけいに息苦しい社会にするのです。
社会貢献第一とか利他の心が大事とか言ってる経営者が保有している大量の株式や現金を
自らほぼ全て社会に還元すればいいのですが
連中は本音は自分だけ助かればいいし自分だけいい暮らしできればよいと思っているので
皆で圧力かけて責任を取らせ富の配分配を行わせる必要があります。
今は貸間と言ってもピンとこないでしょうが、今から60年余り前に戸建ての一室の6畳間だけを借りて親子5人が生活していました。風呂や台所は使わせてもらえず、当時の私は幼稚園児だったのでどういう生活をしていたのかよく憶えていません。
その前は父親がギャンブルに狂って大きな家を売って小さな家に住み替え、差額でギャンブルの資金にして仕事はしなくなりました。その小さな家も売って又してもギャンブルに使い果たし、小さな店舗を借りて夜は戸板の上に布団を敷いて寝ていましたから、6畳間とは言え畳になっただけ良かったと言うものです。
2回引っ越しを繰り返し、ついに6畳×2+台所付きになったのは中学生の頃です。風呂は無かったので相変わらず銭湯通いでした。高校1年になった時向かいのボロ戸建てを買ってやっと風呂付生活と人間らしい生活は出来ました(笑)。昔は皆貧しかったので特に貧乏しているとは思わなかったですね。
どん底の人生から記憶が始まっているのですが、改心した父親は地方公務員になり母の商売も順調なので高校生の頃やっと中流になったと思ったものです。
日本が高度成長を始めるのはこの頃で、所得倍増政策と相まって今思えば日本も豊かになったものです。
ところで月10万円しか無ければ、6万円のワンルームなど贅沢と言うものです。二人でシェアすれば3万円で済むし、シェアする相手がいなければ4万円の風呂無しボロアパートに住むなりして節約するしかありません。もちろん自炊生活が基本です。
私の友人で都心の風呂無しボロアパートに住んでいる男は、スポーツクラブに入ってそこで毎日シャワーを浴びて風呂代を節約しています。私の近所のテニスクラブは平日会員だと月3000円でシャワー付きですから、銭湯に2日に1回行くよりトータルで安くつきます。
少ない金で生活するには毎日の支出を管理して記録し、無駄を排除するべきです。スーパーの見切り品半額を買ったりですね、本は図書館で借りればタダです。自転車を1万円余りで買って20km位だったら自転車で行けば健康にも良いし金もかかりません。要は節約生活をゲームと思って楽しみながらやれば長続きすると思います。
寅さんみたいな人がいて食卓を囲んでわいわいがやがやする昭和の光景は懐かしいですよね。そういえば「男はつらいよ お帰り寅さん」今年やりますね。タイムマシンがあったら寅さんみたいな時代に戻りたいよね。もう日本には寅さんみたいな人は出てこないんかなぁ。
アンダークラスだけが集まる場所として都営住宅を再建させたら良いのですよ。
月11万の障害年金で家賃5万5千円で生活が苦しかったのですが、都営住宅に当選して特別減免したら
「5千円」以下になりました。
今の都営住宅は70代以上の高齢者層が劇的に増えて、毎月葬式の告知が掲示板に貼られて事故物件になってます。自治会自体も高齢者世帯と事故物件が増えすぎて機能するのが困難です。某棟の某階に幹事不在という事態が起きてるぐらいです。
神奈川県が公営住宅に応募に際して「60歳以上」という要件を撤廃し、入居条件を緩和しましたが積極的に開放したら良いのです。老人を年金ばかりか住居まで厚遇するので、矛盾が起きてるのです。
あと日本人の「穢れ」の思想も問題です。露骨に殺人事件や自殺現場でなければ事故物件にどんどん住んだら良いのです。現に事故物件に住んでる私は何もありませんし。