迫りくる貧困スラムの登場。格差が広がる日本で「新たなスラム」の誕生は近い

迫りくる貧困スラムの登場。格差が広がる日本で「新たなスラム」の誕生は近い

60代、70代以上の世代は「山谷・釜ヶ崎」と聞けば、もう反射的に労働者が道ばたに転がる暗黒の地域を思い浮かべるだろうが、今の若い世代は「山谷・釜ヶ崎」と言われても場所も歴史も何も知らない。行政が歴史の暗部を消したのである。日本の行政はホームレスが嫌いなのだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

自分が情けない状況になってしまったことを知られたくない

コロナ禍によって多くの非正規雇用者が生活保護に落ちるかどうかのギリギリに追い込まれている。しかし、生活保護受給者は増えていない。若年層はどんなに追い込まれても生活保護を使わない。

生活保護を拒絶する人たちは大勢いる。その理由については、以前にも書いた通りだ。(ブラックアジア:「生活保護を受けた方がいい」と言っても、頑なにそれを嫌がる人がいる理由

ホームレスになり、幡ヶ谷のバス停で眠っているところを殴られて亡くなった大林美佐子さんも生活保護を拒絶していた人のひとりだが、その理由として扶養照会に抵抗感を持っていたのではないかと推測されている。(ブラックアジア:大林美佐子さんを悼む。今も無数の女性が支援から漏れたところで生きている

扶養照会というのは、親兄弟親戚に「金銭的な援助や同居ができないだろうか」と役所から連絡するものである。人は誰でも最低限の尊厳があるし、親兄弟親戚にだけは自分の窮状を知られたくないと思う。

多くの若者は親に自分が情けない状況になってしまったことを知られたくないはずだ。扶養照会を水際作戦だと考える人も多いが、それを別にしても若者は「何とかすれば何とかなるのではないか」と考えて生活保護を受けることに消極的になる。

こうして困窮した若者が、ネットカフェ・漫画喫茶に連泊するようになり、住み着いたような状況になり、一日一日を決死のサバイバルで生き延びている。こうした貧困を描写したのが拙著『ボトム・オブ・ジャパン 日本のどん底』である。

寒くなってきたし、もう野宿は厳しくなってきた。今もこのコロナ禍の中、ネットカフェの孤独な空間で生きている若者が大勢いるだろう。私は一匹狼で孤独も充分に耐えられるつもりだが、私でもネットカフェでくすぶるのは精神的にキツい。

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日本には「貧困スラム」という地区が消されている

現在の日本には極端なまでの「貧困スラム」と呼べる地区がない。行政はなるべく特定の「貧困スラム」を作らないように配慮しているように見える。

日本最大のドヤ街である西成区あいりん地区は、かつては「釜ヶ崎」と呼んだ。行政は意図的に「釜ヶ崎」という地名を消し去り、過去を払拭しようとした。これは東京の山谷にも言える。すでに台東区では「山谷」という地名はない。

60代、70代以上の世代は「山谷・釜ヶ崎」と聞けば、もう反射的に労働者が道ばたに転がる暗黒の地域を思い浮かべるだろうが、今の若い世代は「山谷・釜ヶ崎」と言われても場所も歴史も何も知らない。行政が歴史の暗部を消したのである。

日本の行政はホームレスが嫌いなのだ。そして、貧困層が集まるスラムも嫌いだ。それは、地域住民の暗黙の意見を代弁しているようにも見える。

公園の炊き出しは、住民が多くいる場所では絶対に開催できない。「炊き出しはホームレスを集める」と中止になる。

事実、そうやって炊き出しができなくなったケースもある。ホームレスが近所にいると、日本人は「苦情」を区役所に言って排除するように要求する。

そのため、行政も神経質になって排除していく。新宿の地下通路もホームレスの巣になっていた時期もあったが、あるとき行政はホームレスを一気に追い出した。そして人々は街が浄化されたとそれを喜んだ。

さらに、街はホームレスが集まらないように「排除アート」も設置する箇所も出てきた。(ブラックアジア:「排除アート」とは、アートのように見せかけたホームレス排除の芸術作品である

そんな状態だから、自分の住んでいる場所に貧困者が集まってスラムのようになるのも絶対に住民は認めない。不動産の価値が下げる存在は、日本人にとって絶対に許しがたい存在なのである。

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戦前戦後は「貧困スラム」と言ってもいいような場所があった

実はどこの国でも、貧困者は邪魔になると行政から強制排除されるのだが、日本はかなり徹底されているので、「貧困スラム」という地区はできないようになっている。

日本でも貧困層が爆発的に増えているのに、目立った「貧困スラム」がなかなか生まれないのは、行政が「かなり仕事をしているから」なのだ。全世界に「貧困スラム」があるのに、日本だけは「貧困スラム」が消えている。

日本人はあまり意識していないが、これはある意味、かなり特殊な社会である。日本人は「貧困スラムなどなくて当たり前」と考えるのかもしれないが、世界は180度逆で「貧困スラムはあって当たり前」なのである。

日本の戦前戦後は貧しさが蔓延しているような時代だった。だから、戦前戦後は「貧困スラム」と言ってもいいような場所がどこにでもあった。「部落」と呼ばれる場所の中には、貧困スラム同然のような様相になっていた。

現在の上野公園あたりは、かつては葵《あおい》部落が存在していたことを知っている人もいるかもしれない。

こうした光景も日本が高度成長を迎える中でどんどん変わっていき、部落も長屋も文化住宅も消えて小ぎれいなマンションや住宅になった。1980年代には貧困の光景がほぼ消えて、一億総中流の時代になった。

しかし、1990年代のバブル崩壊で日本のピークは過ぎてしまい、1990年代以降は豊かになるよりも現状維持に、2000年代に入れば現状維持よりも貧困に堕ちる人が増える社会となっていった。

こうした流れは今も続いているが、街自体は「貧困スラム」が消えてしまっているので、ある一ヶ所に貧困層がたくさん集まるという流れにはなっていない。

しかし、これからはどうなのだろうか。

1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから

いよいよ、「人も街も荒廃していく」フェーズに入ったのだ

今後、格差がさらに鮮明になっていくと、いよいよ富裕層と貧困層は住む場所からして「完全に分離」していくことになるのではないか。

日本では、今でも富裕層と貧困層が一緒くたになって同じ地域に住んでいる。しかし、あまりにも格差が広がってしまうと、貧困層が一般の区域に居られなくなってもおかしくない。

排除されるというよりも、家賃が高くて住めなくなる。その結果として貧困層は安い地区に集まるようになるが、そうなると逆に金持ち層はそれを嫌って出て行くので、ますます所得によって住む場所が分離していく。

今まで日本は行政にも資金的に余裕があったから、「貧困スラム」を作らないように仕事をすることができた。

しかし今後は、日本もより経済的に悲惨なことになってしまい、貧困層もあまりにも増えて行政が対処能力を失ってしまうことも起きる。地方はすでにそうなりつつあるのだが、都市圏でも富裕層と貧困層はゆっくりと確実に分離する。

1980年代のバブル期、「日本は経済大国なので貧困層は生まれないし、格差が広がることもない」と日本人は驕り高ぶった。「終身雇用も年功序列も崩れることはないし、リストラも一流企業では絶対にない」と思われていた。

1990年代までは、みんなそれを信じていた。しかし、日本が豊か立った頃の常識はすべて崩れ去った。だとしたら、また「貧困スラム」が再び姿を現したとしても、不思議ではないのかもしれない。

世界はスラムなんか当たり前にある。どこの国でもそうだ。アメリカにもスラムはある。格差が極度に広がっていく日本で、「スラムが生まれない」と考える方が逆に不自然だと思うのだが、どうだろうか。

今後の日本はいよいよ「人も街も荒廃していく」フェーズに入ったと覚悟すべきだ。

ボトム・オブ・ジャパン
『ボトム・オブ・ジャパン 日本のどん底(鈴木 傾城)』

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