
高級地区は金持ちだけが住み、環境が整備されているのでハイセンスな雰囲気となる。最初は「ハイセンスな街」「住みたい街」みたいな紹介をされる。しかし、経済格差が極度に進むと、その街に対するイメージは悪化する。どういうことなのか?(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
住む人は簡単に「分離」できてしまう?
政治家、エリート層、経営者、あるいは富裕層が、自らの私利私欲のみを追及して「経済的に脱落していく人間のことなんか知るか」と冷笑していると、最終的にはどのような光景になっていくのか。
欧米では、すでに超富裕層は何千億円もの資産を持つのが当たり前となり、中には「兆」の単位の資産を持つ人間も出てきている。
一方で、グローバル化やハイテクによる合理化が突き進んだ結果として、人々の可処分所得は下がっていき、中には金融資産をまったく持たず、生活保護で何とか息をしている人たちや、ホームレスと化してしまった人たちも大勢いる。今後は、AI(人工知能)でも、人々は経済選別されるだろう。
これが突き進む先は「分離」だ。
超富裕層はロケーションが良くて地価の高い地域《エリア》に豪華絢爛な邸宅や都内の超豪華なタワーマンションなどに集まって暮らすようになり、貧困層はどんどん土地の安い場所、劣悪な場所に移り住むようになる。
別に「金持ちはこちらに住め、貧困層はあっち側に住め」と誰かが命令するわけではない。そして、住む場所が強制されるわけでもない。しかし、月収が20万円程度の人には、家賃が一ヶ月100万円以上もする超高級物件には絶対に住めない。
100万円以上どころか、月収20万円程度だと家賃15万円の物件も厳しいだろう。つまり、家賃が高いだけで、住む人は簡単に「分離」できてしまうのだ。
高級地区《エリア》は金持ちだけが住み、環境が整備されているので非常にハイセンスな雰囲気となる。分離がまだ甘い時や分離の過渡期のとき、そこは「ハイセンスな街」「住みたい街」みたいな紹介をされる。
このとき、住めない人間には、多少の嫉妬や羨望がそこにある。しかし、自分も成功したら「あちら側にいけるかも」という何となく淡い思いも同時にある。今の日本はそのような状況だ。
しかし、「分離」がさらに進んでいくと、「ハイセンスな街」「住みたい街」に対するイメージは悪化する。どういうことなのか?
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住みたい街に対する羨望が消えたあと
経済格差による人間の「分離」がますます深いものとなり、もはや持たざる人間が持つ側に成り上がるのが不可能な環境になっていくと、「ハイセンスな街」「住みたい街」に対する羨望は消える。
その代わりに生まれるのは「憎悪」である。
乗り越えることができない資本の壁が決定的になると、自助努力や向上心の哲学は失われていく。なぜなら、いくらコツコツ自助努力しても、「あちら側」に到達することができないからである。
「努力すればあちら側にいけるかも」という淡い期待は現実に押し潰され、自助努力や向上心が馬鹿馬鹿しくなる。
「一生懸命に勉強して有名大学に入って、卒業したら前途洋々の未来が待っているのだから、勉強したらいいではないか」といわれても、あちら側の人間は大金を大学や大学教授に支払って裏口入学し、努力もなしに学歴を得たりする。
そういう不平等な事実を見聞きするようになって、何も持たない層は馬鹿馬鹿しくなる。チートが横行すると、まじめにやるのは馬鹿に見える。
企業はうまく税金を回避して内部留保を膨らましていくが、国民は所得税を天引きされた上に消費税という網をかけられ、社会保険料という税金とは称されていない税金まで取られて手取りは驚くほど少なくなる。
企業の創業者や一族は自社株を大量に保有して、たっぷりと配当をもらって肥え太っていくが、一般国民は株式をほとんど保有せず、銀行預金のケシ粒のような利息で貯金が増えることはまったくない。
経営者はお手盛りでどんどん自分の賃金を引き上げていき、年収が億単位になる経営者も大勢いるのだが、従業員は「コスト」扱いされてリストラされ、再就職は非正規雇用の仕事しか見つからず、企業から使い捨て要員にされた上に派遣会社には中間搾取される。
そのような現状の中で、「経済的に脱落していく人間のことなんか知るか」という態度をあらわす傲慢な成功者も大勢出てくる。当然、持たざる者は、社会のあり方に大きな不満を持つようになる。
そして不満が極限まで行き着くと、どん底に落ちた人間の心に「憎悪」が芽生えていくのだ。
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自分たちは「籠の鳥」のように生きる
一部の人間だけが、うまくやっている。
一部の人間が、持たざる階層の人々を嘲笑する。
政治家やエリート層や経営者や富裕層だけがますます富んでいき、持たざる者がその輪から排除されるようになっていくと、ピラミッドの頂点にいる人間たちは憎悪の対象となり「貧困層の敵」と化す。
数からすると、エリートやエスタブリッシュメントの総数は極度に少なく、持たざる層は圧倒的に多い。だから少数の「頂点」にいる人間は、まわり中が敵となる。憎悪の対象であり、敵なのだから、いつ襲われるのかわからない。
だから、彼らは自分たちの住む地域《エリア》のセキュリティをひどく気にするようになる。そのエリアはセキュリティの門《ゲート》をくぐらないと入れないような仕組みになる。
それが「ゲートシティ」である。
貧困層が増えると犯罪も増えて治安が悪化するのだが、ゲートシティの内部は清潔と安全と安心が保たれる。自分たちを憎悪する人間、敵が排除されるからである。そのゲートシティの中で暮らしている限り、「見苦しいどん底の人間たち」と会うこともない。
実際、中南米は凄まじく貧富の差が広がったせいで、エスタブリッシュメントはゲートシティから出ないで生活しており、子供たちがゲートシティから出る時はボディーガードがつく。
富裕層は攻撃対象になるので、大金を手に入れたまま自分たちは「籠の鳥」のように生きるしかなくなる。その「籠の鳥」が政治・経済の実権を握っているので、彼らはますます自分たちが有利になるような社会を構築し、それは成功する。
しかし、多くの貧困層がわずかなエスタブリッシュメントに富も権力も安全も安心も奪われるのだから、誰も国を支えようとしなくなる。結局、そうした激しい格差が生み出す「分離」は最終的には凄まじい社会の荒廃に向かっていく。
ただし、「ゲートシティ」が生まれたからといって、すぐに国家崩壊に結びつくわけではない。いったん生まれた階級はかなり長期間に渡って続くと考えたほうがいい。
最近、日本も貧富の差がどんどん開くようになっている。貧困に落ちている側の閉塞感や絶望感は昨今の物価高で増幅されている。
にもかかわらず、政治家やエリート層や経営者や富裕層は、税金を取り立て、利権を追い、自らの私利私欲だけを一心不乱に追う。ゲートシティを作れば問題ないように思っているかもしれないが、分離と憎悪の先には社会の荒廃しかない。今の日本は、その荒廃に向けて突き進んでいるように見える。
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一筋縄ではいかないのが経済格差なのだ
これから経済格差は、日本社会が直面する深刻な課題のひとつとなっていく。とすれば、「累進課税制度の強化すればいい」という声がかならず上がる。富裕層に対する課税を適切に増加させることで、税収を増やし、それを社会保障や福祉の充実に回すことが可能になるからだ。
しかし、誰が政治をコントロールしているのかを考える必要がある。
政治に対して大きな発言権を持つのは、つねに富裕層である。彼らはロビー活動や人脈を通して政治家にアプローチすることができる。そうすると、政治家は富裕層の意見を汲む政治をするようになる。
富裕層は累進課税なんか望まない。だから、累進課税なんかは取り入れられないし、取り入れられたとしても、かならずザル法となって巧妙な抜け道が用意される。累進課税制度の強化は掛け声だけの理想論になっていくのだ。
「それなら最低賃金を上げろ」という声も出てくる。最低賃金を上げることで、人々の所得が増加し、生活基盤が安定すると労働者は考える。だが、急激な引き上げは中小企業に負担をかける。その結果、従業員の解雇や雇用の削減に踏み切らざるを得なくなり、むしろ失業率が上昇するリスクがある。
さらに、最低賃金を上げたら、企業は賃金コストの増加を製品やサービスの価格に転嫁するので、失業が増えた上に物価も上がって貧困層がより貧困化していくリスクもあったりする。
一筋縄ではいかないのが経済格差なのだ。
本来であれば、国がガンガン景気を良くして、企業が設備投資をして人を高賃金で大量に雇い、全員が潤うような政策を採るのが正しい解決法でもある。だが、今の政治家にはそんな力量はゼロに等しい。国を発展させるどころか、むしろ衰退させているのが現実だ。
この状況が続くなら、日本はもっと貧困化していき、縮んでいく経済の中で大きなパイを少数の金持ちが総取りし、残りの人は少ないパイを奪い合いながら貧しくなっていく未来が待っているということである。
そして、いつしか経済格差は富裕層と貧困層を分離して、どこかの段階でゲートシティが生まれていくことになる。そうならないように願っているが、このままではそうなってもしかたがない状況でもある。
日本のゆく末が思いやられる。

つまるところ、ブルジョワジーは城壁(防壁)の中に立て篭もるしかないでしょうねえ語源通りに。富の偏りはその人の能力努力によってあっても良いと私は思うが-私自身は一向に富の偏りには与れないにしても-偏るにも程があるってもんです。
怒れる貧しき庶民の群衆が壁に詰め寄る光景は歴史に幾度かあったけれど、ハイテクも極まりつつある現在、近未来においては防壁からレーザービームで薙ぎ払われるなんてことになるかも(過剰防衛かどうかは後の勝者が決めること)
立て篭もったものに下手に詰め寄るよりは、兵糧攻めにしてやりゃいいと思いますよ…汚れ仕事力仕事、作る人運ぶ人、あらゆるサービスの提供を拒否すりゃいいのです。よし飢えて死ねども金で横面張られはせぬぞの心意気が必要ですけどね。
あっち側に行きたいなんて思ってるうちはだめですね。
富裕層どころか、中間層や普通の会社員でさえも恨み、妬み、僻みの対象になりえる世の中だと思います。
例えば年収500万円と言えば、地方なら贅沢しなければ人並みの暮らしは出来るくらいの収入ですが(世帯人数にもよるけど)非正規の人にとってはそれですら難しいですからね。地方だと。
また、経済格差の話からは少しそれマスが、京アニ放火犯の青葉みたいな奴は、まともな仕事をすることも出来ないし、ああいう奴は真面目に働いてる人達を妬みますからね……
ああいう奴の対処は、人権無視上等のやり方じゃないと無理ですから、出来る事と言えば義務教育の時点で道徳の授業を強化して、「人生、思い通りにならない事の方が多い」「うまくいかないことを、人のせいにしない」「人を妬まない」「自分の人生は自分で切り開くしかない」と言ったことを教えていくくらいしか無いんじゃないかなぁ……