日本人は民度が高い? いや、日本でも社会への怒りは、暴動・略奪・放火になる

日本人は民度が高い? いや、日本でも社会への怒りは、暴動・略奪・放火になる

気づいていると思うが、すでに日本ではこの10年から20年の間に極度の格差が容認される社会に変質している。金持ちは超金持ちになり、貧困層は極貧となり、そんな姿が当たり前だと誰もが思うようになっている。貧困層は政治の無策によってますます増えて、怒りはやがて暴走する。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

今の政治システムはこのまま推移するなら崩壊へ

日本における「貧困」は、正確に言うと「相対的貧困」を現している。そして、相対的貧困とは何かと言うと、「世帯の所得が全国の世帯所得の中央値の半分以下である世帯」を指す。

日本で言えば、254万円が等価可処分所得が中間値なので、127万円未満が「貧困層」であると言える。2023年7月4日、厚生労働省は2021年の相対的貧困率を『国民生活基礎調査』で発表しているのだが、これによると15.4%となっていた。世帯で言えば、約1400万世帯が相対的貧困状態にある。

相対的貧困率は、2000年は10.5%だったのだが、これが2010年には12.3%となり、2020年には15.7%になっている。

高齢者や若者の貧困はよく取り上げられるのだが、もはや貧困は全世帯で広がっている「社会病」である。弱肉強食の資本主義は格差を拡大させており、ここに少子高齢化や、雇用環境の変化が加わってきている。

弱肉強食の資本主義というのは、「勝者総取り」の世界である。弱者に配慮することなく、勝者ががっぽりと利益を持っていく。そして、「金持ちになれないのは頭が悪いから」とか「キャリア構築が下手だから」と自己責任論にすり替えて、格差を正当化する社会である。

そういう社会を批判することはできるが、もはや変えることはできそうにない。だから、これからも大量の貧困層が生まれてくるのである。

彼らは低所得にあえぎ、生活苦に苦しんでいる。そのため、彼らは自分たちの苦境の元凶となっている政治に牙をむくようになるだろう。今の政治システムは、このまま推移していくのであれば崩壊するのは間違いない。

簡単に言えば、「自民党なんかはもう支持されない」ということである。それもそうだ。自分たちの生活を悪化させるばかりの政治政党を支持するのは自傷行為と同じなのだ。支持するのは馬鹿げてると思うなら、ある日いきなり支持が消えて政治システムそのものが崩壊してもなんら不思議なことではない。

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なぜ、そういう光景が広がると私はわかったのか?

「政治家が馬鹿ばかりだ」と国民が思いはじめると、政権は脆弱になる。脆弱な政権は短命で終わる。短命政権を繰り返すうちに、今度は政治システム全体が崩れ去る。そういうときがくる。

その過程で社会も荒れ果てていくだろう。日本ではここ数十年、抗議デモが起きても暴動・略奪はなかったが、そのうちに暴力の行使が起きはじめる。放火が起こることもありえる。今のまま社会が悪化していくならば時間の問題だ。

「いや、まさか今の日本で暴動・略奪・放火など……」と思う人もいるかもしれないが、私自身は「貧困が蔓延したらどこの国でも起きているのだから日本でも起こる」と考えている。

貧困が蔓延すればするほど社会不安は大きくなり、抗議は苛烈になるからだ。

何かきっかけがあると、それを起爆剤として一瞬にして押さえきれない規模の暴動となっていく。貧困から抜け出せない彼らにとって、社会は「敵」となるのだ。敵は破壊されて当然なのである。

これに関連するが、「日本で貧困が広がると社会の底辺部ではドラッグやストリート売春する光景が見られるようになる」と私は何度も何度も繰り返してきた。こうした光景は2022年あたりから、トー横界隈のオーバードーズや大久保公園のストリート売春によって成就した。

なぜ、そういう光景が広がると私がわかったのかというと、貧困国ではどこもそういう光景が底辺にあったからである。私はその貧困国でスラムにいたのだから、目の前で何があったのか見て「知っている」のだ。

日本で貧困が広がるのであれば、「あの光景」が日本に現れるのは必然であるとずっと考えていた。オーバードーズやストリート売春は起こるべくして起こっている事態であると言える。

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日本でも社会への怒りは、暴動・略奪・放火になる

そうであれば、「貧困」と「格差」が広がった先に起こるのは「騒乱である」と言うのは誰でもわかるのではないだろうか。抗議デモは暴力的抗議デモになる。社会への怒りは、暴動・略奪・放火になる。テロも続出するだろう。

「絶対にそうならない」とか言っている人は、甘いと思う。

私が「日本で貧困が広がると、若者が路上でドラッグに溺れてストリート売春をする社会が登場する」と主張したら、「いや日本ではそういう光景は登場しない」と言っている人も多かったように思う。「大げさだ」とも言われた。

しかし、私自身はまったく大げさだとは思わなかったし、むしろ確信に近い気持ちでそうなると思っていた。貧困による底辺層の「絶望」は、どこの国でもドラッグと売春に向かうのである。

とすれば、貧困による底辺層の「怒り」は、間違いなく、暴動・略奪・放火・テロになっていくだろう。「日本人は民度が高い」とかそんなのは関係ない。這い上がれない貧困にいると、「社会を破壊したい」という復讐感情のほうが強くなるのだ。

「そういうのが起こるのは途上国だけ」と考えるのも間違っている。アメリカを見てみればいい。アメリカで頻繁に起きている暴動は、戦争でも起こっているのかと思うくらいの激しい暴力である。略奪も放火も当たり前にある。

アメリカは世界最大の資本主義社会である。しかし、アメリカは世界でも有数の「貧困」と「格差」と「人種差別」がある国でもある。

経済格差と貧困問題が深刻化して、黒人やヒスパニック層が深刻な貧困に転がり落ちていき、それに続いて今や白人たちも貧困とは無縁でなくなっていった。だから、社会への怒りは、暴動・略奪・放火になるのだ。

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その時点でもう「民度」も何もなくなっていく?

気づいていると思うが、すでに日本ではこの10年から20年の間に極度の格差が容認される社会に変質している。金持ちは超金持ちになり、貧困層は極貧となり、そんな姿が当たり前だと誰もが思うようになっている。

一億総中流社会の幻想は完全に瓦解している。

これから富裕層はもっと金持ちになっていく。金持ちのスケールが想像を絶するものになる。一方で、貧困層も増えていき、彼らは住むところすらも確保できずに社会の裏側で見捨てられてさまよいながら呻吟《しんぎん》する。

「富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる」とは聖書の言葉なのだが、弱肉強食の資本主義の中ではそれが暴走してしまうのだ。

こういった社会の中で貧困層に落ちると、もはや二度と浮かび上がれない可能性が高まるので、その時点でもう「民度」も何もなくなっていく。自暴自棄になり、破壊衝動に駆られるようになり、社会の破壊を潜在意識で望むようになるのだ。

格差は最終的には「1%の超富裕層と99%の超貧困層」に分離させる。1%は限りなく少ないので一般人とは分離された場所で暮らすようになり、存在はあっても見えなくなってしまう。

その結果、まわりは99%の極貧層ばかりとなり、皮肉なことに「平等な貧困社会」が到来する。これが、真っ先に実現化したのがアメリカだったが、グローバル化を取り入れた社会は、どこの国でも同じになる。日本もまたそうなのだ。

だから、日本でも社会への怒りは、暴動・略奪・放火になると言っているのだ。抗議活動は起こるたびに死者や逮捕者が数十名出るような大きなものになるだろう。

とは言っても、まだ実感できない人のほうが多いと思う。しかし、貧困がもっと深まっていけば、私が何を言っているのか理解できる人も増えてくるはずだ。

絶対貧困の光景
『絶対貧困の光景 夢見ることを許されない女たち(鈴木 傾城)』

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