
経済格差は昔からあったが、それがますます先鋭化しているのが現代の資本主義社会である。日本でも「上級国民」と「貧困層」で固定化されつつある。開いた経済格差は縮められないので、固定化されて身分制度のようになる。そして、最後に衝撃的な身分が生み出される。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
「上級国民」と「貧困層」の固定化
数年前、「1%の金持ちと99%の貧乏人」の存在が強調されて、世界で経済格差が凄まじく広がっている実態が問題になったことがあった。最近は、もう誰もこの「1%の金持ちと99%の貧乏人」の問題を口にしない。
この問題は解決したのか。まさか。現在は世界で経済格差がどんどん広がっていて、もう富裕層と低所得層の乖離は埋められないほど大きなものになってしまっている。解決するどころか、問題はどんどん拡大しているのが現状なのである。
世界の貧困率は上昇しているのだが、株式市場も上昇したので富裕層の資産は増えている。その結果、「上位1%の富裕層が得た資産が、残る99%の獲得資産の約2倍にのぼる」という凄まじい状況になっている。
ちなみに、アメリカの巨大ハイテク企業の経営陣の報酬額は約30億円から600億円とされている。底辺のマニュアル通りに働くだけのマックジョブに就いている人たちの年収が300万円程度だから、その差が凄まじいものであるのは理解できるはずだ。
日本でも経営者で億単位の年収を得る人は多くなったが、同時に使い捨ての非正規雇用者で年収が186万円程度の人も約1200万人になっている。
こうした格差は昔からあったのだが、それがますます先鋭化してひどくなっているのが現代の資本主義社会であり、富裕層はより強力な政治力と権力を持って貧困層の収入を減らして自分たちの収入を拡大させていく。今ではこのような格差について「経済暴力」と呼ばれるほどになっている。
そして、それは「上級国民」と「貧困層」として固定化されつつある。開いた経済格差は縮められないので、固定化されてその財力が親から子に継承される。これが最終的には身分制度になる。
身分制度は是正されなければ社会に柔軟性が生まれない。しかし、いったん経済格差や身分制度が生まれると、上級国民には「それを解決したくない理由」が生まれるようになってくる。いったい、それはどういうことなのか?
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頂点にいる上級国民には楽しい制度
経済格差は「1%の金持ちと99%の貧乏人」のピラミッド構造を生み出し、それがそのまま上級国民と貧困層で分断された身分制度となる。
貧困層は社会がゆがんでいると考えて改善したいと思うかもしれないが、ピラミッドの頂点にいる上級国民はそう思わない。なぜなら、その格差社会で自分たちは有利な立場にいて、既得権益が享受できるからだ。
誰もが自分たちを敬ってくれる。誰もが自分たちを特別扱いしてくれる。やりたいことは、ほぼ何でもできる。自分が働かなくてもカネで誰かを働かせられる。カネで何でも解決できる。たっぷりと資金を持った上級国民には、これほど楽しいことはない。
格差社会はピラミッドの頂点にいる人たちは「楽しい制度」なのである。富裕層はその気になれば、一年中ハワイでもグアムでも行って遊んでいても暮らせる。旅行ばかりしていても問題ない。
富裕層の男はどんな美しい女でも財力にモノを言わせて手に入れることもできる。富裕層の女性も、靴でもカバンでもブラジャーでも何でも、倉庫いっぱいに買い揃えることができる。
望むのであれば、フィリピンの独裁者だったマルコス大統領の妻イメルダ夫人がそうしたように、靴を3000足も集めることも可能だ。そして、宮殿のような家に住み、下の身分の人間をあたかも奴隷のように使うことができる。
自分がそんな立場になれば、この経済格差のピラミッド構造は「長持ちさせなければならない」と思うはずだ。逆に身分制度が是正されたりしたら困るのである。
富裕層は自分たちの財力や権力を誇示できる「下の人間」が必要なのだ。低所得層がいなくなったら困る。だから、経済格差や身分差別を解決したいなどとは思わない。むしろ、極限に達するまで身分が固定化した社会が続けばいいと願う。
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固定化したら、変革は不可能
社会で影響力を持っているのは貧困層ではなく、上級国民だ。彼らは政治家に金で影響力を及ぼし、莫大な資金で世論を動かし、政治家をコントロールして自分たちの都合の良い法律を作ることができる。
だから、いったん身分が固定化して上級国民が実権を握ったら、貧困層がそれを変革することは不可能になる。上級国民は上級国民のまま、貧困層の人々は貧困層のままという社会が続いていく。
上級国民は、「貧困なのであれば、一生懸命に働いて金持ちになればいい。我々を恨むのは筋違いであり、努力が足りないのだ」とうそぶく。
しかし、あまりにも格差が広がった場合、それは現実的ではない発言となる。上級国民はカネでカネを生み出すことができる。10億円あれば、それを配当率3%の株式に投資しているだけで、年間3000万円の配当が転がり込んで来る。
しかし貧困層はどれだけ必死で働いても、せいぜい300万円だか400万円程度の年収にしかならない。それが数年続くだけで、ますます格差が広がるというのは、誰が計算しても分かるはずだ。
このような中で、徒手空拳で成り上がれる貧困層はごくわずかであり、貧困層の多くは貧困層の人生で終わる。こういった社会の変革は、最後には社会転覆を伴った暴力的な「革命」しかなくなる。
もちろん、富裕層は自分たちが貧困層の上に君臨していたら不満を持たれることは承知している。では、どうするのか。経済格差や身分差別を解決するのか。いや、そうではない。もっと良い方法がある。
歴史を見ると、上級国民が貧困層の不満を解消するには、貧困層よりもさらに下の「極限の極貧層を作る」のである。つまり、下にはさらに下があるという社会にする。そして、「その極貧層は人間扱いしなくてもいい」という暗黙の了解を作る。
そうすると、貧困層は「自分たちよりも下の人間がいる」と精神的な安定を得られるし、何かの鬱憤があったら極貧層にぶつけることもできる。上に刃向かうより、下をいじめた方が楽だからだ。
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不満のはけ口が用意される
今の弱肉強食の資本主義は、最後に必ず「身分制度を作り出す」というのは覚えていた方がいいかもしれない。最初に持てる者と持たざる者が分かれていく。次に、それが自分の子供、孫へと継承される。そうやって経済格差は固定化する。
そして、経済格差の中では「極限の極貧層」が社会不満や閉塞感の「はけ口」のために作られていき、彼らにはどんな虐待をしても許されるようになる。
学校でも会社でも、まるで決まっているかのように、必ず「とことんいじめられる弱者」が生まれて、容赦なく集団でいじめ抜かれる。社会システムは、常に極限の弱者を生み出し、その弱者が「不満のはけ口」になる。
上級国民はあえてそれを容認して、下の人間たちの不満の矛先が自分たちに向かってこないようにする。上に刃向かうのではなく、下をいじめるように誘導する仕組みができあがる。
上級国民が登場して彼らが強大な権力を持つと、極限の貧困者は「わざと作り出される」のである。これは衝撃的かもしれないが、避けられないことでもある。
実際、どこの国でも格差が極まった社会システムがあった国では、何のために生まれて来たのか分からないような、いじめられるだけの人生を送っている身分の人たちもたくさん存在した。
インドでは、カーストにも入れてもらえない「不可触民(ダリット)」という存在があった。不可触民は「サブ・ヒューマン」とも言われている。欧米では黒人を「サブ・ヒューマン=人間ではない」と断定して、奴隷にした歴史もある。
不可触民とは触ることができないほど穢れた人を言い、サブ・ヒューマンとは人間になりきれてない人を指し、スレイブとは奴隷を意味し、非人とは「人に非《あら》ず」と断定された人を言う。これらの言葉は、激しい人格否定を現している。
しかし、上級国民は「人間ではない層」を作り出して、社会に不満が充満したら極貧層をスケープゴートとして差し出してガス抜きをする。
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這い上がるのは難しく落ちるのは簡単
どこでもそうだが、そういった極貧層の身分の女性たちが、強制結婚されたり、人身売買されたり、性奴隷にされたりしている。極貧層は、そのために存在させられていると言ってもいい。残虐だ。
こういった話は、先進国では「前近代的」「他人事」だと考えがちだが、先進国を覆い尽くす経済格差がさらに極まっていったとき、本当に、そう言っていられるだろうか。
その極貧層の人権剥奪は、今後は日本社会にも適応されても不思議ではない。
日本に、こうした極限の極貧層は生まれるのだろうか。たとえば、今の日本はホームレスと言えば「個人」である。しかし、家族みんなが路頭に迷うと、いずれそれが「集団」となって極貧層を構成する核となる。
何も持たない極貧層が個人から家族や集団になったとき、彼らはインドで言うところの不可触民のような身分になってしまうかもしれない。
途上国ではホームレス家族は珍しいことでも何でもない。タイでも、路上で寝る妻に寄り添ってあげている夫の姿を見ることもあった。
大部分の貧困層が経済的困窮から抜け出せずにホームレスとなり、家族で路頭に迷い、そういう人たちを当たり前に見るようになったら、身分が固定されたも同然なのである。今のまま放置していると、日本も最終的にはそういった「身分制度」になるはずだ。
今の日本人はこうした経済格差の残酷さをよく理解していないし、何をもたらすのかを考えることもないので、まさか経済格差が身分制度になるとか、意図的に極貧層を生み出すとか思いもしないのだろうが、それは最後には必ずそうなるのは歴史が証明している。

読んでいて、「インドみたいだな」と思ったらインドの話になりました。
日本もそうなるのではないでしょうか。
旭川の、凍死で死んだ女子への虐めのように、残虐な虐めになるのです。
虐め側には虐めの自覚が無いという所が一番恐ろしかった。
富裕層にはむかつくだけです。
かつての女友達がすっかり変わってしまい、絶交に至りました。
高級車に乗ってる給与を全然上げない経営者とかは
そのうちに刺されたり
バットで殴られたりするんじゃないですかね。
そうなっても彼らが好きな自己責任で片付けられるでしょう。
ダークネスの方で書いてたことですが、貧困層が絶対に避けた方が良いのが『借金』ですね。
これに手を染めると返済時期が来た時点で首が回らなくなりますから。
鈴木さんもおっしゃってますが、将来の利益を生むための借金は「良い借金」で、言い換えれば投資とも言えます。
しかし生活費(光熱費や食費)や、遊行費に使うための借金、あるいは借金を返すために借金をするというのは悪手中の悪手。
遊行費だったら借金ではなく自分で貯めたお金で遊べばよろしい。
光熱費やら食費やらってのは毎月かかるものだし、足りないから借りる、を続けていたら、返済時期が来たら首が回らなくなるのは自明の理。
すっごいドンブリ勘定ですけど、手取り10万の人が家賃3万、光熱費と雑費で4万、食費で3万でギリギリとしたら、これで「足りないから5万だけ借りる。1万円ずつ返済」ってしたら、当然だけど返済月来たら1万円足りなくなる。
足りないからと言っても家賃や光熱費は待ってくれないし、食費を削ると言うのもかなりの苦痛を伴う。
足りないからまた借りる。
そうすると今度は、利息分がどんどん嵩んで行く。
こう言うのを「雪だるま式に借金が増える」と表現しますが、私はもっと直球に「借金根性」と呼んでます。
そもそも利息なしで金を貸してくれる人など、同居家族くらいしかいないでしょう?
友人知人でさえ、「返せるようになったら返してくれればそれでいい」と言われていても、返す際に食事をご馳走するくらいはする。
首が回らなくなったら社会的信用を失ってでも任意整理なり破産なりで踏み倒すしか無いですが、いずれにせよそう言う「悪い借金」をして苦しむのは自分なんだから。
貧困層は絶対に借金をしてはいけないと思います。