先進国と途上国という概念が時代遅れになっていく理由とは

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今までは先進国に生まれた人間が豊かさを享受できて、途上国に生まれた人間はずっと貧困のままという「国単位での貧富の差」が問題になっていた。

しかし、資本主義社会が徹底化されるに従って、社会の光景が変わりつつある。先進国に生まれても貧困に堕ちる人間が増え、途上国に生まれても豊かになる人間が増えているのだ。

その理由は、資本主義が今までよりもさらに徹底されて、うまく適応して生きられる人と、そうでない人の差が極度に開くようになっているからだ。

資本主義社会と言うくらいだから、現在社会は資本がないと話にならないような世界が出現している。別に金のために生きる必要はないのだが、何らかの形で資本を生み出す能力がなければ生きていけない。

資本を効率的に増やせる人というのは、事業を興せる人、金融リテラシーを持った人、合理的かつ規律的に生きられる人、並外れた知性と学歴を持った人、才能を金に変えることができる人、親の資産を継承できる人などである。

こうした資本主義に有利な特性を持っていない場合、資本を効率的に増やせないか、減らす一方なので、たとえ先進国に生まれ育ったとしても落ちこぼれて貧困化してしまう。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

誰もが資本主義的な特性を持っているわけではない

誰もが資本主義的な特性を持っているわけではない。しかし、本当のことを言えば、それが悪いわけではない。

たとえば私が好きな人たち、その多くは女性だが、彼女たちは資本主義的な特性など何も持っていない。しかし別の重要な特性を持っている。

彼女たちは、愛や、優しさや、相手に対する深い共感を持っている。彼女たちは感受性が強く、まわりを温かい気持ちにするような才能を持っている。心地良く抱擁してくれる。

逆に、朝から晩まで金・金・金と言っているような人や、金を持ってふんぞり返っている人や、金を持っているかどうかで偉いかどうかを決めるような感性を私は好きになれない。

しかし、現代の弱肉強食の資本主義は真逆の評価だ。

愛や優しさをまったく評価せず、品性など欠片もなくても金を稼げる人間が評価される。

愛や優しさがあって金も稼げる人もいるのだが、重要なのは愛や優しさは必須事項ではないということだ。性格が下劣でも冷酷でもサイコパスでも、金を稼げれば現代社会は評価するのである。

資本主義の世界が苛烈になればなるほど、そうした傾向はどんどん強まっていく。

現代社会はグローバル化し、全世界にかつてないほど資本主義が浸透している。そして、インターネットのような社会的基盤が社会全体をフラット化した。

こうしたことから、国と国との競争が企業と企業との競争になり、そして個人と個人の競争へと単位が細かくなっている。

先進国でも貧困層が莫大に増え、一方の途上国では富裕層が莫大に増えた。先進国に生まれようが途上国に生まれようが、関係なくなってきた。

もちろん、先進国の方が社会的なインフラが整っているという点では有利なのだが、そういった部分の違いがテクノロジーの汎用化によって吸収されるようになっており、先進国の圧倒的な優位性は消えている。

途上国でも豊かになる人は豊かになり、先進国でも貧しくなる人は貧しくなる。

すでに、そのような社会に変貌した。

弱肉強食の資本主義。愛や優しさをまったく評価せず、品性など欠片もなくても金を稼げる人間が評価される。

「途上国=貧しい」ではなくなっていく理由とは?

経済的な動きから観ると、もう先進国の人間が一方的に有利だというのはない。

現代社会で起きているのは、たとえ先進国で生まれても持たざる者が大多数になって「先進国=豊かという概念が消える」動きでもある。

「そうは言っても先進国の労働者は賃金が高いのだから、途上国よりも圧倒的に有利なはずだ」という人もいる。

確かにそうだ。しかし、その現象は今後はゆっくりと消えていくことになる。特に移民を大量に受け入れた国から先にそうなっていく。

欧米では国民の反対があっても、今の政治家は怒濤の如く移民を受け入れている。ドイツでも、フランスでも、オランダでも、ノルウェーでも、スウェーデンでも、どこでもそうだ。

多くの移民は低賃金で働く貧困層である。そうすると、その国の労働者の賃金は、いずれ移民の低賃金に合わせられて、そこに収斂していくことになる。

それが嫌なら拒否してもいいが、そうなると雇われないことによって無収入になる。

低賃金層ばかりの国になるというのは、もはやその国が先進国ではなくなっていくというのと同じである。いや、形ばかりは先進国かもしれないが、「先進国=豊か」という概念は確実に消えるのだ。

一方で途上国の方は、グローバル化の波に乗って極度な低賃金の国に先進国の工場が入り込んだり、インターネット化が成し遂げたフラット化によって仕事が舞い込むので低賃金が是正されていく。

国が発展していくと事業家や不動産所有者や株式保有者が莫大な恩恵を得るので先進国の中産階級よりも圧倒的な豊かさを得ることになる。

つまり国は途上国かもしれないが豊かな人も増えるので、必ずしも「途上国=貧しい」ではなくなっていくのである。

そして、どうなるのか。今までは「先進国と途上国」という括りだったかもしれないが、それが「富裕層と貧困層」という括りに変わっていく。

今までは「先進国と途上国」という括りだったかもしれないが、それが「富裕層と貧困層」という括りに変わっていく。
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人を見て豊かかどうかを推し量る時代になった

今までは、たとえばインドと日本を比べて、日本の方が先進国だから「日本のような先進国に生まれて良かった」と単純に言える社会だった。

しかし、もうそのような牧歌的な社会は終わった。

国を見て豊かかどうかを推し量るのではなく、人を見て豊かかどうかを推し量る時代になった。

インドは元々「マハラジャ」のような超金持ちが存在していたが、現在はカーストに関係なく、ビジネスで成功した人々の中から凄まじい富裕層が生まれている。

中産階級もすでに1億人以上もいる。1億人と言えば、インドの人口から見るとまだ10分の1にも満たないが、それでもこの人数は日本の人口に匹敵する数である。

インドで生まれても、金融リテラシーを持ち、合理的に生きることができ、うまくチャンスをつかめた人間から豊かな暮らしができるようになっている。

逆に日本では、就職氷河期や非正規雇用などで貧困に落ちて這い上がれなくなった人が増えた。

「先進国に生まれたから幸せだ」などと言えないような時代になっている。

これからは、もっとその傾向が顕著になっていく。先進国で生まれたからといって、自動的に中産階級や富裕層の一員になることはない。

途上国が底上げされて、先進国が底抜けする。この2つが同時進行していけば、やがて途上国と先進国がさほど差がない世界になっても不思議ではない。

先進国は豊かという概念が消える。
途上国は貧しいという概念も消える。

だから、「先進国と途上国」という括りは時代遅れになって意味をなくしていく。これからは、ただ「富裕層と貧困層」の違いがあるだけだ。

しかし、先進国という概念はまだ消失していない。そして、人々はまだ先進国と途上国という概念を持つ。ということは、まだまだ最終型に到達していないということでもある。(written by 鈴木傾城)

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ムンバイの夜景。途上国が底上げされて、先進国が底抜けする。この2つが同時進行していけば、やがて途上国と先進国がさほど差がない世界になっても不思議ではない。

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