人間は「違い」に対する拒絶感をどうしても克服できないという冷徹な現実

人間は「違い」に対する拒絶感をどうしても克服できないという冷徹な現実

人間はさまざまな理由で特定の人間を排除したり差別したりする。人種が違うと言って差別し、国が違うと言って差別し、同郷ではないと言って差別し、文化が違うと言って差別し、知らない人間だと言って差別する。性別が違うと言って差別し、障害があると言って差別し、貧しいと言って差別し、宗教が違うと言って差別し、同性愛だと言って差別する。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

新型コロナウイルスが排除や差別を生み出している

新型コロナウイルスがアジアで広がるにつれて、世界各国で東アジア人が排除されたり、差別されたりするようになっている。

たとえば、フランス・パリ郊外の日本食レストランの窓に「コロナウイルス、出ていけ」と落書きされたり、面と向かって「俺に近づくな、ウイルス野郎」と言われたりしたという事象が次々と上がっている。

ニューヨークではアジア系の女性を見た黒人男性が「俺に近づくな」と女性を罵りながら殴りつけるような事件も起きていた。

イタリアのサンタチェチ―リア国立音楽院は「すべての東洋人へのレッスンを中止する」と発表して「それは差別ではないのか」「いや自己防衛だ」と問題になった。

ドイツではアジア人が電車やバスに乗ると、まわりの白人がみんな席を立って消えてしまったり、あからさまに嫌悪の表情を浮かべたりしている。またアジア人が近づくと無言で去って行ったりする。また欧米各国でアジア人はタクシーも乗車拒否されるようになっている。

私自身は現実主義者だ。中国でこのような激烈な疫病が流行したら世界中が東アジア人を警戒し、排除・拒絶・差別につながるというのは「必ず起こり得ること」として最初から想定内の範囲に入れている。

アフリカでエボラが流行したら世界中の人々はアフリカ人を避けるだろうし、欧米で黒死病みたいなものが流行ったら世界中の人々は欧米人を避けるだろう。そういうことだ。明らかに自分たちと違っている対象は警戒するのである。

排除が極端になり、その排除が根拠なく固定化されると差別になる。差別はなくなると思うだろうか。

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差別を生み出す根本となるのは、違うという感覚

人間はさまざまな理由で特定の人間を排除したり差別したりする。人種が違うと言って差別し、国が違うと言って差別し、同郷ではないと言って差別し、文化が違うと言って差別し、知らない人間だと言って差別する。

性別が違うと言って差別し、障害があると言って差別し、貧しいと言って差別し、宗教が違うと言って差別し、同性愛だと言って差別する。差別する理由は山ほどあって、どこかを改善しても、また新しい何かで差別が生み出される。

この差別を生み出す根本となるのは、「違う」という感覚である。白人社会の中で、黒人や黄色人種が入り込めば、肌の色が「違う」という感情が拒絶感につながり、差別となる。

また相手が貧しくて、自分たちよりも劣っているという感情が入り込めば、やはりそこに拒絶感が生まれ、差別となって排除されていく。学歴の違いという些細なものでさえも、いつしか差別になっていく。

差別と言えば、インドのカースト制度は今も隠然と残っており、低カーストやダリットと呼ばれる人々が社会から見捨てられているのがよく知られている。

インドの凄まじい現状と、そんな中で売春ビジネスをして生きる女性のことはこちらに書いた。インドは差別意識があまりにも剥き出しだ。(売春地帯をさまよい歩いた日々:インド・バングラ編

「自分と違う」という現象は、ある人々にとってはとても興味深く、深い関心を呼び起こし、理解することによって感銘を受けたり影響を受けたりするものだ。しかし、逆に別のある人々にとっては、激しい嫌悪と拒絶感を生み出す。

嫌悪や拒絶感の根本にあるのは「違い」を認められない人間感情なのである。

海外に出たことのある人は、必ず自分の国籍や肌の色で何らかの差別を受けることになる。遅かれ早かれ、そういった不愉快な出来事に遭遇する。違いを受け入れてくれる人もいるのだが、逆に排除する人もいるからである。

1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから

差別されるセックスワーカーの悲哀を見てきた

タイは寛容な国として知られているのだが、この国には差別がないのか。

タイ人はとても柔軟で、誰でも受け入れる包容力があって、流れ者にはとても居心地が良い。あまりの優しさと包容力の深さに、抜け出せなくなるような安心感が社会にある。

しかし、このタイでも差別意識はある。私は売春に従事する膨大な女性に出会ってきたが、彼女たちはそのビジネス故に、そして貧しさ故にあまり良く思われていないのは、部外者である私も徐々に知るようになった。

タイは階層社会だ。上流階級と貧困階級はまったく違う世界に生きている。その中で夜の女というのは、最底辺のそのまた下のクラスに見られているというのは、一緒にいる私でさえも肌感覚で分かるようになった。

そしてタイは学歴社会でもある。学歴のある人間とない人間の差はあまりにも明確に線引きされており、学歴のない人間はどれだけ有能でも出世できないという社会でもある。

現在のシンガポールは多民族国家だが、それでは差別がなかったのだろうか。私はあるスリランカ女性が好きになって、彼女としばらく一緒にいたことがある。(ブラックアジア:リーパ。ゲイランの街に立つ女の凶悪な目付きに惹かれた

ところが、私の泊まっていたホテルの中国系シンガポール人は、彼女のことを「ダーティー・ブラック・スキン」の女だと言って侮蔑した。「薄汚い黒い肌の女」だというのである。

そして、「そんな女をこのホテルに連れ込むな」と私に言い放った。客の私にそのようなことを言い放つのだから、その差別感情に私はショックを受けるしかなかった。

カンボジアではどうだったか。カンボジア人は昔から激しい差別感情をベトナム人に持っているのは有名な話だ。

そのカンボジアの売春地帯では、貧しいベトナム女性が大量に売られて売春していたのだが、それがまたベトナム人差別を増長させていた。

私が売春で生きているベトナム女性と一緒にプノンペンの街を歩いていたら、あるカンボジア人の老人が彼女にツバを吐きかけた。街を歩いているだけの女性に向かって、ツバを吐くという行為にその拒絶感の強さが窺い知れた。

地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから

理解? 配慮? そんなものはどこにもなかった

貧しいというのは差別につながる。売春ビジネスもまた差別につながる。だから貧しいセックスワーカーが置かれている立場というのは、どこの国でも激しい差別の渦の中にある。

バングラデシュでも貧しいセックスワーカーは激しい差別の中にあって、彼女たちが病気になっても医者は診察を拒絶し、彼女たちが死んでも葬儀屋は葬儀を拒み、共同墓地での埋葬すらも断られる。

スリランカで私が売春する貧しい女性と一緒に店に入ったら、私たちの目の前にいたテーブルのスリランカ人は彼女を見て途中で席を立って消えていった。

普通のスリランカ人が彼女を見る侮蔑の表情、そして一緒にいる私に対する嫌悪の表情はとても深い断絶に思えた。スリランカ社会が彼女を見る「冷たい目」はすべて真実である。恐ろしほどの冷たさであった。

彼女たちは、そういった拒絶感を朝から晩まで受けている。どこの国に行っても、私が好きになった夜の女たちの99%は社会から嫌われ差別されていた。

理解? 配慮? そんなものはどこにもなかった。ある時は陰湿に、ある時は露骨に、差別感情がそこに見出された。それが現実だ。

アジアの底辺で、社会から拒絶されながら生きている女性たちの姿を見て感じたのは、人間は「違い」に対する拒絶感をどうしても克服できないという冷徹な現実だったのである。

人は多様であり、人種も、人生も、考え方も、非常に大きな違いが存在する。その「違い」の中に対立や拒否感が生まれると、それが差別という感情になって育っていく。どうあがいても、人間はそこから逃れられない。

この「違いを排除する」という人間社会にある感情は、やがては深い対立を生み出すことになる。現代社会はこの感情を消す処方箋を持っていない。今回の新型コロナウイルスも、そうした人間のある一面を浮き彫りにさせている。

果たして、人類は処方箋を見つけることができるのだろうか。

『コルカタ売春地帯: インド最底辺の女たちとハイエナの物語(鈴木 傾城)』

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