シンガポール・チャンギ空港に着いたのは夜中だったが、そのままタクシーに乗り込んで、まっすぐにゲイラン・ストリートへ直行した。
ゲイランはシンガポールの売春地帯だったが、同時にホテル街でもある。運転手も売春地帯に向かう日本人をさほど奇異に感じないようで、黙ってゲイランまで連れて行ってくれた。
ゲイランで適当なホテルに宿を取って時計を見ると、午前二時に近い。ニヤリとした。
ゲイランに立つ女たちが増えるのは、午前一時を過ぎた頃だったから、それはハイエナにとってまったく好都合な時間帯だったのだ。すぐにインド系の女たちが集まっているロロン二〇(二〇番通り)の食堂「三友斉」の裏小道にいく。
久しぶりのゲイランだったが、そこには相変わらずインド・スリランカ系の男女が吸い込まれそうな闇の中でうごめき、それぞれのパートナーを見つけようとしている姿が見えた。
普通の人々は、この通りの暗闇を醜いという。闇の中で、堕落した男女が目だけをギラギラさせてセックスの交渉をする暗い姿は、確かに醜いという表現は非常に適切だと思う。
しかし、すっかり堕落してしまうと、この暗闇から離れられなくなる。セックスを売る女、そんな女にまとわりつく男にとって、この闇は罪もやましさもすべて包み隠してくれる暖かい防御膜みたいなものだった。
夜の帳《とばり》は、昼間は目につくゴミの山を隠してくれる。同様に、貪欲と姦淫の罪を隠してくれるような錯覚を抱かせてくれるのだ。
背の高い女、低い女、太った女、痩せた女、サリーの女、ジーンズの女。スリランカ・インド系の女たちが思い思いの格好をして男を見つめていた。そして、目の前には建物の壁に寄りかかるように、ひとりの痩せた女が立っていた。
それが、リーパだった……
(インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきた売春地帯の闇、電子書籍『ブラックアジア』。本編に収録できなかった「はぐれコンテンツ」を掲載。電子書籍にて全文をお読み下さい)
リーパさんは、どこへ行ってしまったのでしょうか?
捨てられたのか、捨てたのかわからない別れの場合、男側と女側が各々どう思っていたのか気になります。
お互いの思いは、どうだったのか、どう違ったのか。
待つ側と、待たせる側の時間の長さは絶対的に違うと思います。
しかし、何があったのか、わからない、ということが一番苦しいのだということだけはわかる気がします。
「堕ちた女の住む孤島」読後にも思いましたが、奇跡的に心が通ったと思った相手と会えなくなる、理由も行き先も定かではない、その時の喪失感はわかるつもりです。
そして、詮無いことと頭では解っていても、その面影を求めて放浪せずにはいられない。もう二度と会えないんだと自分を納得させるためにも、むしろせずにはいられないんでしょう。
恋愛感情は人生を豊かにしますが、反面人生を半壊しかねない危険なものでもありますね。 oyr
これはつらいですね。何があったのか分からないまま、ずっと相手を思って諦めて去っていく。求めている人が急にいなくなる喪失感は私も過去に経験したことがあります。
ただただ感じるのは寂しさと虚しさ。リーパさん、どこかで幸せになっていればいいですね。
とても好きなご記事です。
現在のご記事とは長さも熱も全く違う、
いつ拝見しても冷めない生々しさや感情が感じられて
お会いしたことのない私でも、まるでリーパさんを思い出せるかのようです。
お子さんと、幸せでいてほしいです。
初めて拝読しました。
東南アジアの女と関わりを持つ同志として、突き刺さる体験談です。
わかっちゃいるけど制御できない溢れ出る感情、痛い程わかります。
彼女と二度と会えないかも知れない…焦燥、慟哭、そして絶望…。
2人で過ごした夢のようなひと時を反芻しては空虚な現実にもがき苦しむ…。
同じ体験をしてきたので、自分を投影しながらあっという間に読みました。
今のブラックアジアでは感じることのない、圧倒的な熱量を持った体験談です。
激情のほとばしる文章は読む者の魂をも揺さぶります。
リーパとの出会いと喪失があって、傾城さんはインド圏へと舵を切ったのですね。
傾城さんの人生の転機となる出来事を垣間見ることができました。
淡々と事実を扱う記事も良いですが、またこうした傾城さんの魂を感じる文章を読んでみたいです。
私は今日ジャカルタへ発ちます。