なるべく嫌われないようにして生きるスタイルは、これからどんどん難しくなる。なぜなら、現在はグローバル化にして高度情報化社会で、会ったこともない人間からもグローバルに憎悪され、それがインターネットで可視化される社会だからだ。
人間には人それぞれ意見や立場や主張がある。それは今までも対立や衝突を生み出してきた。
今と昔とが違うのは、今の時代はグローバル化とインターネットの定着で、対立や衝突がグローバルに広がるようになったという点だ。
何も主張しなくても、いかなる敵対行為をしなくても、たとえば私たちが「この国に属している」というだけで、嫌われるという事実もある。民族対立は人間の歴史を貫いて続いている。
拭い難い民族間の憎悪というのは、実のところ世界中でありふれたものだ。民族間だけでなく、人種間でも、宗教間でも、政治間でも、あらゆるものが対立要素となってすべての民族に憎悪を生み出す。
そして、その憎悪はグローバル化によって人々が混ざることによって深刻化し、さらにインターネットによって可視化される。グローバル化と高度情報化が対立と憎悪を増幅し、拡大再生産させるのである。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。
人「自分たちと違う者」と対立していた
現在、EU(欧州連合)は深刻な政治的分断、国民分断が起きている。大量に流れ込む難民の扱いを巡って、移民容認派と反移民派が互いにまったく妥協することのない対立を繰り広げている最中だ。
アメリカでも、南米やイスラム諸国から大量に入り込んでくる移民を巡って国民が反目し合っているし、以前から一向に解消されない人種対立もある。白人と黒人が互いに罵り合っている。
世界はグローバル化して、国家間対立・人種対立はより先鋭化した。
もともと西欧の人々は、東欧の人たちを激しく嫌う。東欧の人たちはロマやイスラム系難民を激しく嫌っていた。ユダヤ系は今もキリストを殺した民族だとしてあちこちの国の保守系キリスト教徒に偏見を持たれている。
そのユダヤ人は、パレスチナ人を「テロリスト」だと批判して攻撃し、イスラム系パレスチナ人を攻撃するユダヤ人を今度はイスラム社会全体が憎悪する。そうした連鎖があった。
さらに資本主義は経済格差の分断をも生み出している。
貧困層は富裕層を憎み、富裕層は貧困層を軽蔑する。格差が広がれば広がるほど対立は決定的になって、もはや修復もできないほどの社会の亀裂となった。
世界は「自分たちと違う者」と対立している。
しかし、今まで「自分たちと違う者」は、物理的に分断されて滅多に出会うことがなかった。相手のことはよく知らなかったし、会うこともないのだから関心すらも持たなかった。
相手が自分をどう思っているのかも、どんなことを言っているのかも何も知らなかった。だから、やり過ごせていた。
ところがグローバル化がやってきて、ヒト・モノ・カネが全世界で交わるようになっていき、インターネット化によって情報すらも共有されることになった。すると人は、突如として「自分たちと違う者」を発見し、出会うことになったのだ。
そこから不幸が始まった。
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誰もが誰かに嫌われる荒廃した社会が到来した
「人とつながる」というのは、良いことばかりではない。なぜなら「友達とつながる」だけでなく、「自分たちと違う人間」「自分たちの価値観と相容れない人間」ともつながることを意味しているからだ。
つながった結果、今まで知ることのなかった自分に対する憎しみや反対意見や拒絶を、人々はワールドワイドに、リアルに、生々しく突きつけられるようになった。そして、人は突如としてこの世の中に自分に対する憎しみや憎悪が満ち溢れていることに気が付いたのだ。
ここ最近、全世界で憎悪が満ちるようになったのは、驚くべきことではない。それは、グローバル化と情報化が突き進んだ社会がもたらした負の側面である。
人は会わなくてもいい人と出会うようになったのだ。人は知らなくてもいいことを知るようになったのだ。
インターネットがなかった時代、人は自分の身のまわりのほんの小さな世界で生きていた。そのため、人は小さな世界でこじんまりと生きていた。
ところが今はインターネットがあってSNSがある。自分が何気なくつぶやいたひとことは場合によっては数十万人、数百万人が目にすることになる。その結果、何気ない「ひとこと」がまったく意見の違う人間の目にも触れるようになる。
ある発言が、それらの人たちの感情を害するようになると、やがては激しく炎上するようになっていく。
良いことでも悪いことでも、加速度的に拡散していくのが情報化社会だ。どちらかと言えば、悪いことの方が拡散しやすい傾向にある。そのため、有名無名に関わらず、すべての人が敵を作り、激しい勢いで自分を嫌う人が膨れ上がっていくのを目撃することになる。
グローバル化社会というのは、グローバルで自分を嫌う人を生み出す社会ということだ。情報化社会というのは、自分がいかに嫌われているのかを知ることができる社会ということだ。
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相互理解や共生共存は絵空事でしかいない
グローバル化と情報化が突き進む社会においては、誰かに嫌われ、憎まれ、攻撃されることを前提に生きなければならない。この事象に関しては、すべての人が巻き込まれる。
誰もが、誰かに嫌われる荒廃した社会が到来しているのだ。
グローバル化すればするほど人は異質と混じり合うようになる。情報化社会になればなるほど対立と衝突と憎悪が互いに飛び交う荒んだ世界が広がる。グローバル化した社会はこれからも続くので、社会はより憎悪によって荒んでいく。
憎悪が飛び交う中では相互理解や共生共存は絵空事でしかない。
こうした憎悪にまみれた世界では、憎悪や批判や中傷や罵詈雑言を浴びても何とも思わないか、もしくはうまく対処できる人間だけが生き残る。
感受性の強い人や、自分に敵意や憎悪や中傷を向けられると夜も眠れなくなるような人は、生き方や考え方を変えなければならない。
敵意や憎悪や中傷が渦巻くのだから、繊細な感受性のままではとても生き残れない。憎悪の中で生き残る体質に自分を変えていかなければならないのだ。
憎悪にまみれた相手に対して好かれようと思っても、それは無駄な努力だし意味がない。日本が折れれば「弱い相手」と見なされて、よけいに踏み込んできて相手をつけ上がらせることになる。
憎まれている上に価値感を共有していないのであれば、相手との相互理解や共生共存は絶対に得られない。より対立していき、禍根を残すだけだ。
もう社会は明確に「対立と衝突が避けられない時代」に入っているのだから、自分を憎悪の中で生き残る体質にしていく努力は必須のものだ。情報化時代というのは、憎悪を浴びる社会なのだから……。(written by 鈴木傾城)
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もう社会は明確に「対立と衝突が避けられない時代」に入っているのだから、自分を憎悪の中で生き残る体質にしていく努力は必須のものだ。情報化時代というのは、憎悪を浴びる社会なのだから……。
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民族間の憎悪というのは、ありふれたものだ。その憎悪は、人々がグローバルに出会うことによって表面化・深刻化し、インターネットによって可視化される。グローバル化とインターネットが対立と憎悪を増幅し、拡大再生産させる。そして民族間の断絶は修復不可能になる。https://t.co/Utp8rIYKps
— 鈴木傾城 (@keiseisuzuki) 2019年1月4日
「憎悪にまみれた相手に対して好かれようと思っても、それは無駄な努力だし意味がない。日本が折れれば「弱い相手」と見なされて、余計に踏み込んできて相手をつけ上がらせることになる」
・・・まさしく、今の韓国・中国・北朝鮮ですね。日本人は「嫌われたくない」という意識が強いために強く批難できないと思われ、舐められ続けているのだろうと思います。
日本人は周りの人たちに嫌われることをとても恐れる人が多いと思います。さらに、分かり合えば誰とでも仲良くなれるはずという平和ボケじみた感覚を持つ人も少なからずいるのではないかと思います。
しかし、世の中にはどうしても自分とは意見・価値観などが合わないために嫌われてしまうことも数多くあるのが現実です。また、どうにもならないほど危険な人たちも数多くいます。
無闇に嫌われるようなことはしてはいけないと思いますが、嫌われることは避けられないものと考え、またそれらに上手く対処もできるようにしていかないといけないと同じく思いました。