大きな言葉(標準語・国語・公用語)が、まわりの言葉を乗っ取っていくのだ

大きな言葉(標準語・国語・公用語)が、まわりの言葉を乗っ取っていくのだ

標準語が地方の言葉をどんどん乗っ取って消している。言葉も影響力のある「大きな言葉(標準語・国語・公用語)」が、まわりの言葉を乗っ取っていく。方言は標準語に駆逐されている。そして、それは悪いことであるとは思われていない。これは誰かが意図的に行っていることではなくて、自然に起きている現象だ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

昔ほどの「こってりとした方言」は消えつつある

近ごろはやたらと関西に行く機会が増えて、関西の方言の魅力にどっぷりと浸っている。しかし、関西弁を話す話者に聞くと、若い人ほど意識して標準語を話そうとして昔ほどの「こってりとした方言」は消えつつあると私に言う。

先日も西成区で23歳と29歳の男性と話をしていた。このうち、23歳の若者の方は滋賀県出身で生粋の「関西人」なのだが、話をしてみると大阪弁よりも標準語のようなニュアンスが強かった。

「丁寧語を話そうとすればするほど標準語になる」

彼はそう言って笑った。標準なんか話したら独自の個性が失われるのだから「もったいない」と思うのだが、標準語を話す方が個性になるのだろうか。

実は大阪だけではなく、どこの地方でも若者になればなるほど方言と標準語を使い分けるようになっており、方言を話すとしても濃厚な方言を話す若者は激減している。方言は「薄くなっている」のである。

すでに高齢者が話す純度の高い方言を若者が聞き取れないこともあるほど方言が薄くなっている地方もある。東北地方でも津軽弁は特に難解だと言われるのだが、高齢者の話す津軽弁がすでに若者は聞き取れなくなっているのだという。

東北でも、九州でも、沖縄でも、そうした傾向が報告されている。

標準語が地方の言葉をどんどん乗っ取って消している。言葉も影響力のある「大きな言葉(標準語・国語・公用語)」が、まわりの言葉を乗っ取っていく。方言は標準語に駆逐されている。そして、それは悪いことであるとは思われていない。

これは誰かが意図的に行っていることではなくて、自然に起きている現象だ。人々は影響力のある言葉を話したいと思う。そうすれば、多くの人とコミュニケーションが取れて自分の世界が広がるからだ。つまり有利になるからだ。

ひとつの国の中で、最も大きな言葉というのは「標準語」である。だから、人々は無意識に標準語を選ぶ。

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スカルノが夢見た「ひとつの国家、ひとつの言語」

日本だけでなく、世界中でその国の言葉は「国際語」である英語の影響を大きく受けると言語学者は確信している。すでに日本語の中にも外国語が混ざり、置き換えられ、取り込まれているのだが、それはより加速する。

グローバル社会も多文化共生も強制されているのだから、言葉もまたグローバルな影響を強く受けて徐々に変質していく。

ヨーロッパでもローカルな言語が消失している。その流れを敢えて止めたり逆行したりする人も少ない。大勢が話す言語に吸収された方が暮らしやすいからだ。

東南アジアで言うと、シンガポールは公用語を英語に定めたので、シンガポール人はみんな英語を話す。親が福建語を話していようが、タミル語を話していようが、マレー語を話していようが、外では英語を話す。

それが長く続くと、シンガポール人は誰もが「英語しか」話せなくなる。ローカルな言語が、どんどん国の定めた「公用語」に収斂されていき、公用語ではなくなった言葉は話者が減り、静かに消えていく。

インドネシアはマレー語を「国語」にした。インドネシアは島がたくさん集まってひとつの国家になった島嶼国家であり、当然だが島ごとに民族も言語も文化も伝統も、まるで違っている。

しかし、スカルノ大統領は「ひとつの国家、ひとつの言語」を提唱し、それまでインドネシアではマイナーな言語であったマレー語を国語として定め、国民に教育した。

大多数のインドネシア人にとって、マレー語=インドネシア語は「外国語」だ。いくら公用語がマレー語になったとは言っても、父母や祖父母が話す言語を簡単に捨てられない。しかし、「国語」以外の言葉の影響力はゆっくりと薄らいでいく。

強制的に消される言語もある。

最近は中国共産党が内モンゴル自治区の子供たちに強制的に中国語で教育をするという方針を決定して、モンゴル語を消そうとする動きを加速している事件があった。モンゴル人は激しく反撥しているが、もし中国語が強要されると、モンゴル語は静かに内モンゴル自治区から薄らいでいくことになる。言語の強制抹殺を中国は行おうとしている。

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結局は「大きな言語」は決定的な影響力を行使する

いくつもの言葉を話すバイリンガルな人がいる。しかし、自分の生活の中で、違う言語が入り交じってバイリンガルになるというのは、本来は非常に面倒なことである。

そうなると、人間はよく話される言葉の方を選んで、そうでない言葉の方は自然と話さなくなっていく。つまり、少数言語の方が捨てられる。

インドネシアでは、そういうことが実際に起こった。インドネシアには、約300種類の民族言語がある。私は最初、300種類の言語とは言ってもこれは方言のようなものだと思っていた。

ジャワ語もスンダ語もインドネシア語とそんなに変わらないもので、若干語尾が違ったり、アクセントが違ったりするようなものなのだろうと根拠もなく思っていた。

しかし、そうではなかった。代表的なジャワ語にしても、マレー語とは語順も違えば、独自の文字さえある。マレー語が分かっていてもジャワ語はまったく別の言語として考えなければ理解することができない。

スンダ語もそうだ。発音が違うどころか、インドネシア語とはまったく単語も違い、インドネシア語にはない発音さえあるという。

「テリマカシ(ありがとう)」はスンダ語では「ハトゥル ヌフン」、「マアフ(すみません)」は「ハプントゥン」、「ブラパ・ハルガニャ?(いくらですか?)」は「サバラハ・パガオスナ」と、基本的なところでさえ、完全に違う。

いくら「ヌガラ・サトゥ(一つの国家)」と言っても、言語が違い、文化が違い、生活が違い、考え方が違い、住んでいる場所も違っているのだ。

しかしながら、結局は「大きな言語」は決定的な影響力を行使するので小さな言葉を消していく流れが自然に起こる。「マレー語」という大きな言葉が国語となり、それが小さな言葉を飲み込んで消している。

言葉は変わっていく。現代はそれが凄まじいスピードで起こっている。たくさんの言語があっても、グローバル化という巨大な流れの中では、一番大勢が話す言語に少数話者の言葉が吸収されていく。

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全世界を統一するような超巨大国家が誕生したら言葉も統一か?

世界中のそれぞれの言語で「話者が少ないところ」から淘汰されてしまい、その国の大きな言葉に吸収されていく。そして、その国語も英語のような超巨大な国際語に飲み込まれて、どんどん姿を変えていくことになる。

世界の言語は互いに互いを影響し合うが、最も巨大な影響力を持つ国の言葉がそれぞれの弱小国家の言葉を飲み込む。現在はアメリカが全世界をコントロールしている超大国だから、英語が国際語として全世界を席巻している。

英語は凄まじく強い。英語は、ますます多くの国に取り入れられて、国際語としての役割を強めていくことになる。世界中で、言葉が強者の話す言葉に統一されていくのは間違いない。

言葉が統一されていくと、通じる部分が多くなる。便利になる。世界が単一言語しかなかったら、世界中どこでも話が通じるし、ビジネスも交流も進むだろう。

しかし、全世界の言葉を英語が乗っ取るまでアメリカという国が長らく世界の覇権を持っているのかどうかは分からない。人間の歴史の中で覇権国家は次々と変わった。諸行無常であり、盛者必須である。

とすれば、アメリカも100年後あたりには没落し、その後は英語圏ではない国が覇権を取ることもあるかもしれない。もし、仮にそうした事態が起こると、今度は新しく台頭した国の言葉が「大きな言葉」になって、他国の言葉を侵略していくことになるのだろう。

逆に全世界を統一するような超巨大国家が誕生したら、その時こそ人類の言葉は統一に向かうのかもしれない。

しかし、人類はいまだかつて「世界統一国家」を持ったことがない。そもそも、世界統一国家なるものは誕生する可能性はあるのだろうか……。

資本主義は、莫大な富と影響力を持った存在がどんどん他国の富を吸い上げる現象を引き起こすので、最終的には世界統一国家みたいなものが生まれても不思議ではないという気もする。しかし、私が生きている間はそんなものはないのだろう。仮に生まれるとしても、恐らく気が遠くなるほど遠い、はるか先の話だ。

それまでは、少数話者の言葉が「大きな言葉」に飲み込まれながらも、依然として言葉は混沌としたままなのだろう。私自身は、あっちこっちの言葉が全部違っていた方が面白いと思っているが……。

売春と愛と疑心暗鬼
『ブラックアジア的小説 売春と愛と疑心暗鬼 信じていいのか、信じない方がいいのか?(鈴木 傾城)』

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