日本人が「多文化共生は暴力を増幅する装置である」と気づいた時はもう手遅れ

日本人が「多文化共生は暴力を増幅する装置である」と気づいた時はもう手遅れ

多文化共生では対立が発生するのは避けられない。にも関わらず、日本政府はまったく「多文化共生」を止めようとしない。それが何をもたらすのか考えることもせず、ひたすら外国人を日本に連れてきて定着させようとしている。日本社会が荒廃するのは避けられない。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

日本で「また原爆を落としてやる」と言った黒人

5月中旬。ある黒人YouTuberが東京の地下鉄内で日本人に「ヒロシマ、ナガサキを知ってるか?」「また原爆を落としてやる」などと発言して炎上したことがあった。

その後も、この黒人はしゃあしゃあと日本国内を「観光」して回っていたのだが、上野アメ横商店街でライブ配信している時に、通行人の男に「なめんじゃねえぞコラ」と罵倒されて頬を平手打ちされることになった。

このような動きを私は興味深く見ていた。

世界中でなし崩しに行われている「多文化共生」は、こうした人種間・民族間・宗教間の対立を激しく燃え上がらせ、衝突に向かわせる。世界中で当たり前に起きている「多文化共生による衝突」が日本でも起こり得ることを示した事件でもあった。

日本だから平手打ちみたいなもので済んでいたが、違う国ではそれこそモブ・ジャスティス(集団リンチ)にかけられて半殺しにされたり、殴り殺されたり、生きたまま燃やされたりしたかもしれない。

そういえば、ロシア国内で「ウクライナ万歳」とか言って動画を撮っていた人間が通行人に殴る蹴るの暴行を受けるという事件もあった。止める人がいなければ、この男は死んでいたはずだ。

日本で「また原爆を落としてやる」と言っている黒人は、他の国では同じことをしたら殺されてもおかしくなかったのである。実際、SNSではこの黒人に対して「殺されてしまえ」と罵倒している言葉も多くあった。

多文化共生が進めば、こういう例が日常となる。いずれ、人種間・民族間・宗教間の対立で日本も殺人事件が起こったとしても私は別に驚かない。

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政治家は「共生しない人間たちが悪い」と責任を転嫁する

多文化共生で起こる衝突は、最終的には殺し合いにまで進んでいく。それもそうだ。多文化共生では対立が発生するのは避けられないからだ。

にも関わらず、日本政府はまったく「多文化共生」を止めようとしない。それが何をもたらすのか考えることもせず、ひたすら外国人を日本に連れてきて定着させようとしている。

岸田首相は外国人留学生を「日本の宝」とか言い放って数々の優遇措置を留学生に与えているし、さらに最近では在留期間に上限がなく、家族も帯同できる在留資格を、これまでの2分野から11分野に広げた。

5月にはコロナも5類に移行して、再び大量の外国人観光客をインバウンドで受け入れるようになっているのだが、日本政府は当初のインバウンド6000万人計画を狂気のように進めていくだろう。

日本政府は日本を完全なる移民国家にする気で満々なのである。

全世界で多文化共生が軋轢と対立と衝突を引き起こして社会をボロボロにしているのを見て見ぬふりをして、一心不乱に多文化共生を進めていく。それが今の政治家たちのやっていることだ。

多文化共生が国民に強制される社会になって起きるのは、対立と憎悪と暴力の先鋭化である。

しかし政治家は、実際にそのような荒廃した社会になっても絶対に責任を取らない。「共生」できないものを押しつけて、社会がむちゃくちゃになっても「共生しない人間たちが悪い」と責任を転嫁するだけだ。

対立になったら共生を受け入れない自国民を「差別主義者、レイシスト」として罰するような社会を作り上げるはずだ。間違いなくそうなる。今でも、そうなりつつあるからだ。

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憎悪とひとことで言っても、その種類は1つではない

現在は、この対立を一瞬にして増幅するSNSというシステムもある。憎悪が行き着くところには暴力が待っているので、SNSは最終的に暴力の世界を生み出していく。多文化共生が進めば、日本でもあらゆるSNSで人種間・民族間・宗教間の対立が吹き荒れる。

現代は、平和に向かって突き進んでいるのではない。対立と暴力に向かって突き進んでいる。

多文化共生が世界が広がると、個人も、組織も、宗教も、国家も、自分たちに敵対する存在がそこにあることに気づく。今までの狭い世界では出会うことがなかった「敵」を多文化共生した社会では簡単に見つけることができるのである。

敵対者を見つけたら、どうするのか。多くの人間は自然な感情として相手に対して嫌悪や憎悪を抱くようになる。終わらない口論が始まり、対立が深まる。そして、それは憎悪となる。

敵対者が執拗であったり組織的であったりすればするほど、その憎悪は大きなものに膨らんでいく。SNSはまさに自分に対する憎悪を簡単に発見できる場所なのだ。だから、インターネット社会が突き進めば突き進むほど、そして多文化共生が進めば進むほど、世の中は憎悪と暴力が止められなくなる。

ちなみに、多文化共生で生まれる憎悪は、「憎悪」とひとことで言っても、その種類は1つではない。憎悪にも多くの種類がある。たとえば以下のものである。

1. 人種対立の憎悪
2. 敵対民族の憎悪
3. 敵対国家の憎悪
4. 宗教を巡る憎悪
5. 思想を巡る憎悪
6. 領土を巡る憎悪
7. 文化を巡る憎悪
8. 歴史を巡る憎悪

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日本国内で多文化共生による衝突はいずれ起こり得る

多文化共生の社会は、この8種類の憎悪が複雑に絡み合って相手との対立を増幅させ、共有させ、膨らませ、拡散していく。それぞれの憎悪はそれぞれが輻輳(ふくそう)し、積み重なっていく。

これらは「どちらが正しいか」の問題ではない。アイデンティティの問題だ。そのため、妥協はない。いったん国内でこの8つのうちのどれかで対立と衝突が生まれると、それは野火のように広がって、どんどん状況が悪化していくことになる。

国内でこうした対立が生まれて憎悪にまで進むと、それはなかなか解消されなくなる。憎悪を生み出すすべての問題の根は、自分の民族的なプライドや譲れない信条に関わっているからだ。まさに「アイデンティティ」の問題なのだ。

相手がそれを否定していると、それは自分のアイデンティティを否定されたことになる。だから、それは両者共に譲れないものになる。自分の譲れないものを相手が攻撃してくるのだから、理性的な解決に至るよりも、暴力的な衝突に向かう。

多文化共生の押し付けは、それを「増幅」するのだ。

そのため、本来であれば多文化共生は非常に注意深く、繊細に、ゆっくりと進めなければならないものだ。ところが日本政府は、本当に無造作に日本に外国人を大量流入させて、多文化共生を無邪気に進めている。

わざと後戻りできないように、急いで大量の外国人を連れてきて多文化共生をなし崩しに進めているようにも見える。

とすれば、日本国内で多文化共生による衝突はいずれ起こり得る。民族間の憎悪は日本国内のあちこちで芽を出して育ち、膨張し、それが対立と衝突と激しい暴力を生み出し、最後には血みどろの世界を出現させるのである。

「また原爆を落としてやる」と言う外国人が、多文化共生の波に乗ってやってきて、日本国内で10万人でも100万人でも出現する社会を思い起こしてほしい。それが多文化共生の社会だ。

多文化共生は100%確実に対立と衝突を生み出す。その未来は凄まじい荒廃である。しかし、普通の人が「多文化共生は暴力を増幅する装置である」と気づいた時は、もう手遅れになっているはずだ。

亡国トラップ─多文化共生─
『亡国トラップ─多文化共生─ 隠れ移民政策が引き起こす地獄の未来(鈴木 傾城)』

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