調整型の政治家や協調型の政治家では、左翼・リベラル集団の「お前はレイシスト、極右、差別政治家」という罵倒を恐れて何も手を付けない。妥協する。今までずっとこのパターンにやられてきた。だから、この流れを断ち切るには強硬右派が求められる時代となったのだ。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
移民は国家を蝕む錆のようなものだとハンガリー首相は言った
多文化共生を旗印にして移民・難民を大量に受け入れてきたリベラルのEU(欧州連合)は、それがゆえに国家が混乱していき、ついに草の根から「反EU、反グローバル化、反移民・難民」を主張する政党や人物が立ち上がる局面に入っている。
フランスではエリック・ゼムールが台風の目になってきているのだが、それだけでなくEUのほぼすべての国でマスコミが「極右」と吐き捨てる議員や政党が伸張してきているのである。
実際のところ、グローバル化と多文化共生を強制しているエスタブリッシュメントやマスコミは「極左」とも言うべき存在であり、極左から見ると穏健な中道派も極右に見えてしまうのだろう。
今や、反グローバル化、反多文化共生を支持する人たちは自分たちが極右だと言われてもまったく動じなくなった。
多文化共生を「強制」する極左に対する激しい反発がフランスでもドイツでもイタリアでも生まれている。移民・難民の受け入れを強力に推進してきたドイツの「リベラル」であるメルケル政権も消え去った。
ハンガリーはオルバン・ヴィクトル氏が長らく首相を続けているのだが、このオルバン氏は明確なる反リベラルである。
オルバン・ヴィクトル氏は、「民族的同質性が経済的な成功の鍵」「あまり混ざりすぎるといろいろな問題が生まれる」「移民はハンガリーをゆっくりと、しかし確実にむしばむ、錆《さび》のようなものだ」と公然と言っている。
多文化共生などと言う「きれいごと」など最初から失敗するのはオルバン・ヴィクトル氏は分かっていたのである。
ブラックアジアでは有料会員を募集しています。よりディープな世界へお越し下さい。
「何を言われても動じない強いリーダー」が求められる時代
欧州の人々はもう増え続ける移民や、多文化共生というきれいごとには心の底からうんざりしている。だから、これに反対する人物が次から次へと現れてEUを大きく揺るがしているのである。
多文化共生を推進するエスタブリッシュメントやマスコミの強烈な支配を打破するためには、豪腕で強権が取れるリーダーが必要だと人々は気付くようになった。
調整型の政治家や協調型の政治家では、左翼・リベラル集団の「お前はレイシスト、極右、差別政治家」という罵倒を恐れて何も手を付けない。妥協する。今までずっとこのパターンにやられてきた。
だから、この流れを断ち切るには「何を言われても動じない強いリーダー」が求められる時代となったのだ。
こうした「何を言われても動じない強いリーダー」が真っ先に現れたのは、驚くべきことにアメリカの方だった。ドナルド・トランプという型破りな大統領は今までのアメリカにはなかった荒々しい大統領であった。
アメリカ人もまた極左の多文化共生の押し付けにうんざりしていた。それを打破するために、乱暴でも何でもいいからドナルド・トランプという凶器を必要とした。
残念ながらトランプ大統領は志半ばで大統領から下ろされた。しかし、ドナルド・トランプのようなタイプでないと極左が支配する社会は壊せない。
だから今、世界各国でリベラル化による混乱が増長すればするほど、それを跳ね返す「反リベラルの豪腕型リーダー」が世界中のあちこちで出現するようになってきているのだ。そして、その存在が当たり前になりつつある。
インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきたカンボジア売春地帯の闇、『ブラックアジア カンボジア編』はこちらから
多国籍企業群が「グローバル化・多文化共生」を押し進める理由
左翼・リベラル集団が多文化共生を無理やり国民に押し付け、それに従わない人間を「差別主義者だ、レイシストだ、排外主義者だ」とレッテルを貼って攻撃する。
さらに左翼・リベラル集団はその国固有の大切な文化を嘲笑し、公然と貶めるので、政治的には物言わぬ大多数の国民は彼らに拒絶心をも持つようになっている。今の世界は左翼・リベラル集団と右翼・保守集団の容赦ない潰し合いなのである。
この潰し合いは今のところ圧倒的に左翼・リベラル集団の方が有利である。なぜなら、この「グローバル化・多文化共生」を押し進めているのは他ならぬ多国籍企業群であり、彼らの強大な資金力と影響力が裏側にあるからだ。
なぜ多国籍企業群が「グローバル化・多文化共生」を押し進めているのかというと、単にその方が企業は儲かるからだ。
・グローバル化とは、安い労働力を「外」に探しにいくこと。
・多文化共生とは、安い労働力を「外」から連れてくること。
安い労働力を使うことができれば、そのコスト削減で浮いた金はすべて内部留保として企業の利益に付けられる。そして、その利益は経営者と株主が山分けすることで自分たちに莫大な金が転がり込んでくる。
この「金儲け主義」で自分たちの懐が潤うのであれば、「グローバル化・多文化共生」は彼らにとっては「良い政策」なのである。だから、多国籍企業群は絶対にこの政策をやめることはない。
世界中のすべての既存政治家はこうした多国籍企業群の金で動かされているので、当然のことながら既存の政治家もまた「グローバル化・多文化共生」を賛成する側になっていく。
1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから
今、強硬右派がどこから台頭していくのかを注視している
左翼・リベラル集団もまた「グローバル化・多文化共生」に賛成するのは、それによって資本主義社会が大混乱し、荒廃し、成り立たなくなっていくのが分かっているからである。
最終的に「資本主義は駄目だ」という方向になったら、そこで革命を起こして資本主義を打倒し、共産主義の社会を樹立させることができるようになる。多国籍企業群は自分たちの利益のため、左翼・リベラル集団は自分たちの革命成就のために、それを進めている。
多国籍企業群と左翼・リベラル集団は目的としている内容が違うのだが、いずれにしても「グローバル化・多文化共生」を進めるのはどちらにもメリットがあるので、共闘しているのである。
これによってダメージを受けているのは普通の国民だ。
普通の国民は、ただ自分たちの社会が継続して欲しいと思っているだけなのだが、グローバル化と多文化共生で生活をめちゃくちゃにされている。しかし、誰がそれを進めているのかよく分かっていないし、なぜ勝手にそれが進んで止まらないかもよく分かっていない。
しかし、それが進むことは自分たちにとっては良くないことであるのは分かっているので、とにかくそれを破壊してくれる存在を今、切に求めているのである。だから、世界中で強硬右派のリーダーがあちこちで台頭することになる。
強硬右派のリーダーによってグローバル化と多文化共生を打破したいと国民は願っている。日本もいずれはこうしたリーダーが徐々に台頭していくことになる。だから私は今、強硬右派がどこから台頭していくのかを注視している。
移民は国家を蝕む錆のようなものである。これを打破するための「何を言われても動じない強いリーダー」が求められている。
ひょっとしたら一定の年齢以上の方々にしか過去の状況が伝わらないかも、と思いつつ…
先の対戦後、我が国では「革新」と「保守」の陣営が政界をはじめ各界でせめぎ合っていた、ということになっています。
革新側は、東京裁判史観が全面的に正しいものとして、旧来の日本のあり方は全て否定、国柄なんてものは捨て去ってもいい、むしろそうすべきという立場。
保守側は、戦前戦中のヒステリックな全体主義体制はよくなかったとしつつも、守るべき伝統は大切にして、変えるべきものは調整を図りながら漸進的に社会改良しようという立場。
革新側は自分達を、体制側である保守から理不尽な攻撃を受けても屈せず社会改革に邁進する正義の革命家である、と思い込んでいたのですが、はたしてそうだったでしょうか?
革新側の理念は、戦勝国連合が我が国を弱体化し国柄を破壊するために政治や教育の体制に強制的に植え付けてきたものです。そして、ごく普通の日本人が「国柄は守るべき」とか「東京裁判は公平を欠いているのでは?」等の発言をしようものなら、公職から追放するなどの弾圧を加えました。これは明確に国際法違反であり、たとえ戦勝国であっても許されていない犯罪行為です。
洗脳された革新側は、口では「反米」などと言いながら、その実戦勝国の威光を背負って保守陣営を攻撃し公の場での活動を妨害しました。事実少し前までは「極右」や「ファシスト」というレッテル貼りは、保守側を萎縮させるには有効に作用していましたから。
「体制」側にいたのはいったいどちらだったのか、また「ファシスト」と呼ばれるのによりふさわしい言動をおこなっていたのはどちらだったのか、皆さんで検証していただきたいと思います。