まだ詳細はわかっていないが、1970年代の連続企業爆破事件で指名手配中だった男が、警視庁に確保されている。
桐島聡《きりしま・さとし》、70歳。
男は神奈川県藤沢市内の小さな工務店に20年から30年ほど働いていた男で、まわりには「内田洋」と名乗っていた。70歳だったが極度に痩せていて、80代くらいに見えるほど老け込んでいたようだ。
路上で倒れているところを救急車で運ばれたのだが、胃がんの末期で余命は数ヶ月あるかないかであるという。本人は保険証もない中、自費で治療を受けていたのだが、余命を告げられると「最期は本名で迎えたい」と述べて、自分が指名手配犯の桐島聡であることを名乗った。
現在、警察が病院内で事情聴取をしているのだが、本人しか知り得ない事件のことや家族関係が合致することから、本人に間違いないとされている。
桐島聡が所属していたのは「東アジア反日武装戦線」という極左テロ集団の「さそり」班であった。
この組織は「大日本帝国がアジアでいかに帝国主義的な悪行を行っていたのか」を研究し、戦後もアジア侵略に加担していると決めつけた企業にテロを仕掛けていく危険極まりない暴力テロ集団であった。
このグループの中の「狼」班が編纂《へんさん》したのが『腹腹時計』というゲリラ戦法と爆弾製造を書いた地下書籍であった。今でも非常に有名な地下出版物でもある。1970年代の連続企業爆破事件も、この『腹腹時計』の製法によって作られた爆弾が使われた。
桐島聡は連続企業爆破事件のほぼすべてに関わったとされるが、一緒に行動を共にしていた黒川芳正は無期懲役になっているので、桐島聡も逮捕されていたら同じ刑罰であった可能性がある。
しかし、桐島聡は1975年から逃亡を続け、2023年まで足取りがつかめなかった。