インド圏では「高貴なもの」と「不浄なもの」が明確に分けられる文化的な癖のようなものがある。
たとえば右手は高貴なものを扱う手で、左手は不浄なものを扱う手であると決められている。牛や猿は高貴な動物であって、犬は不浄な動物だ。
こうした「高貴なもの」と「不浄なもの」の区分は人間にも当てはめられ、司祭は高貴な人間でありダリットは不浄な人間であるとされる。(ダリットの女たち(1)いまだレイプされ続ける女性のこと)
これらの区分けはヒンドゥー教から来ているのだが、このヒンドゥー教では「ある女性」を不浄なものとして扱う。ある女性とはどんな女性か。
それは、「生理中の女性」である。
ヒンドゥー教の本場であるインドでは、生理中であっても女性が特に差別を受けることはない。ところが、インド北部のネパールでは、生理中の女性に対して激しい差別感が持たれるようになっていた。そして、どうなるのか。