私は長らくセックスワーカーと一緒にいることが多かったのだが、歓楽街ではことさら派手な服装をした女性や、極度に性的な格好をしている女性が大勢いて、それが当たり前になっている。
そうした女性と並んで歩いていると、彼女の注目を浴びる視線が尋常ではないものであることが隣にいる私にもわかる。もう、まわりの人たちが全員が全員、じっと彼女を「凝視」するのだ。
それこそ100人から200人ほどが、みんないっせいに注目しているような状況だ。「なるほど性的な格好というのは、これほどまで注目を浴びるのか」と、隣にいる私も実感する。
もう25年以上も前の話だが、池袋でセックスワークをしていた超ド派手な格好のパナマ女性と一緒に山手線に乗ったことがあった。褐色の肌の外国人というだけでも目立つのだが、彼女は下着が見えるギリギリのミニスカートに、盛り上がった胸を誇示するような黒い服で、誰が見てもセックスワーカーであるのが一目瞭然だった。
そんな女性と一緒に電車に乗ったときも、ホームにいた人たちから電車に乗っていた人たち全員がこちらを見ていたのがわかった。
彼女が真夜中の歓楽街やラブホテル街にいたら、これほど注目はない。そこにいるのは裏社会の人間たちばかりであり、その世界は派手で性的なのが当たり前だ。しかし、その格好で表社会にいくと、もう異次元の注目を浴びる。
性的な格好というのはどれほど強烈な注目を浴びるのか、私はそういう女性と一緒に歩く機会を何度も得て、嫌というほど知った。
なるほど、これほどの注目を浴びるのであれば、その中で危ない男が10人も20人も寄ってきて、わいせつやセクハラやレイプのような犯罪に巻き込まれたとしても不思議ではないと感じた。
性的本能を刺激された男たちは、女性の服装や下着のことなど何も知らないはずだ。しかし、彼女が「性的なアピールをしている」のはわかっている。実際、性犯罪に巻き込まれたとき、彼女たちは自業自得なのかどうか、今も論争は絶えることがない。