日本

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◆新宿歌舞伎町でストリート売春をしているタイのレディーボーイたち

かつての歌舞伎町は、チンピラやヤクザが徒党を組んで道を塞ぐように闊歩するような街だった。 ところが今では、人々を威嚇して歩くアンダーグラウンドの人間たちがすっかり姿を消してしまって、観光客と客引きとホストが目立つ奇妙な街に変身した。 また、ホテルが林立した区域に入ると、昔は中国・台湾・韓国・タイ・フィリピンの女たちが立ちん坊をしている姿も普通にあったのだが、こうした外国籍の女たちも激減して目立つほ […]

◆遊郭反対運動に深く関わって日本を変えようとしていた人々の正体

関西には「飛田新地」や「松島新地」という歴史ある売春地帯が今も生き残っている。 こうした地区の歴史を、いまや絶版になったいくつもの書籍を取り寄せて読み耽っていると、遊郭は常に遊郭閉鎖を求める声が巻き上がって何度も何度も存続の危機に陥っていたことが分かる。 そして、この「娼売は悪」「遊郭は許しがたい性の堕落」「風紀の乱れの増長」「遊女は奴隷契約の被害者」と激しく攻撃して遊郭や売春の根絶を訴えていた「 […]

◆東電エリートOLが夜は売春婦。あの女性の闇を当時の資料で振り返る

今日、調べたいことがあって、昔の資料をあれこれ引っ張り出して調べていたのだが、その時にひとりの女性の雑誌の資料を手元に残していることに気がついた。長い間忘れていたひとりの女性の顔が、白黒コピーの写真で浮かび上がった。 1997年3月19日、京王井の頭線神泉駅近くのアパート『喜寿荘』で殺された女性だ。 彼女の名前は渡辺泰子と言った。 昼間は東京電力のOL、夜は売春婦として生活していたことが明らかにな […]

◆野崎幸助。結婚して3ヶ月後、何者かに覚醒剤を盛られて絶命

2018年5月24日に、和歌山県で77歳の資産家の男が死んでいる。この男の名前は野崎幸助。自宅の寝室のあるイスの上で全裸の状態で死亡していた。苦悶の表情を浮かべ、もがき苦しんだ跡があった。 第一発見者は22歳の妻・須藤早貴だった。55歳も年下の妻でふたりは結婚して3ヶ月目だった。22歳の若妻が死体を発見したときはすでに死後硬直が始まっていた。 すぐに救急車を呼んで病院に運ばれたが、蘇生することはな […]

◆大久保公園にずっといる「正体不明の女たち」は誰だったのか?

青山に用があったので夕方までそこにいたのだが、ふと歌舞伎町に寄りたくなった。電車で新宿まで行き、東口の改札から歌舞伎町に向かってゆっくりと歩いた。 歌舞伎町は相変わらず観光客でいっぱいだ。中国語や韓国語があちこちから聞こえてくる。キャリーバッグを引きずりながら歩いている女性もいる。彼女は家電メーカーの紙袋も抱えているので、すぐに中国人だというのが分かった。 中国人の「爆買い」はもうあまり話題になら […]

◆大阪・京橋。ヤク中のチンピラも集まる飲み屋の密集地域

インターネットで大量の記事をぼんやりと読んでいると、大阪の繁華街で日曜日の昼間に発砲事件があったというのを目にした。2018年2月18日のことだ。どこの繁華街なのかと地名を見たら「京橋」とあった。 警察官が不審なチンピラもどきの男たちを職務質問しようと声を掛けたら、ひとりの男が突然バタフライナイフを取り出して暴れ出し「撃つなら撃ってみろ」と威嚇した。 東京で「京橋」と言えば一流企業の本社が建ち並ぶ […]

◆ヨコハマメリー。誰でも自分の輝いていた頃は忘れられない

横浜ニューテアトルで、10月に映画『ヨコハマメリー』を再上映するという情報を聞いた。この映画は2006年に制作されたもので、もうずいぶん昔のドキュメンタリー映画となったが、今でも根強く上映されているというのが感慨深い。 『ヨコハマメリー』については、ブラックアジアでもずいぶん昔に取り上げたことがある。(ヨコハマメリー。日本の戦後が生み出した哀しい女性の物語) ヨコハマメリーは実在の女性である。終戦 […]

◆タイ女性はセラピストという名目で日本の闇に潜んでいる

1980年代以後、強い経済成長を成し遂げてジパング(黄金の国)と呼ばれた日本に、多くの東南アジア女性が働きにやってきていた。 こうした女性たちは、いつしか「ジャパゆきさん」と呼ばれるようになるのだが、ジャパゆきさんの主流になったのが、東南アジアではタイ女性とフィリピン女性だった。 台湾女性、中国女性、韓国女性、南米女性も多く紛れ込んでいたが、圧倒的だったフィリピン女性とタイ女性の前には霞んで見えた […]

◆遊郭で使われていた隠語と「あげまん・さげまん」のこと

大阪のドヤ街あいりん地区の中には「飛田新地」と呼ばれる特殊な売春地帯がある。 この飛田新地の外れには「百番」と呼ばれるかつての遊郭を利用した建物が料亭として経営されている。観光客もやってきて、それなりに繁盛しているようだ。(傾城フォト(百番より)) 「百番」はとても威風堂々とした建物で、夜にこの建物を見ると惚れ惚れして見つめてしまうしかない。昔の日本の建物は美しかったのだ。 かつて、日本には「遊郭 […]

◆18歳から34歳までの独身者の42%が童貞の時代になった日本

日本ではすでに中年童貞が珍しくなくなっていると言われているのだが、2016年9月15日に国立社会保障・人口問題研究所が発表した調査でも、さらにこの傾向が深まっている。 今回は2015年6月に行われた調査の結果だが、18歳から34歳までの独身者5276人が回答したところによると、セックスの経験がない人間は、 男性 42% 女性 44.2% だったと言われている。これを30歳から34歳に限って見ても、 […]

◆中国人の「爆買い」に占拠された大阪・道頓堀を歩いてみた

ここ数年前から中国人による「爆買い」が目立つようになって、日本のメガシティを抱える東京、大阪、福岡は中国人だらけになってしまった。 「爆買い」とは今さら説明するまでもなく、中国人による大量消費である。彼らがイナゴの大群の如く日本にやってきて、薬から日用品から電化製品からトイレの便座まで、買って買って買いまくる。 もちろん、これは日本経済に寄与する。そのため、多くの店がこの爆買いを呼び込もうとして看 […]

◆からゆきさん(6)彼女たちの優しさはどこから来たのか?

明治・大正・昭和と連綿と続く日本の近代史の闇で、貧困のあまり国外で身体を売る女たちがいた。「からゆきさん」と呼ばれた女たちだ。 彼女たちは長崎県南島原にある口之津港(くちのつこう)から密航して東南アジアや東アジアに流れていったことが記録されている。 明治35年から明治44年までの福岡日日(にちにち)新聞の10年間の記事を統計した著述家の森崎和江は、その多くが長崎県島原地方の女性と、熊本県天草地方の […]

◆かつて売春地帯だった新大久保を、12年ぶりに訪ねてみた

日本がまだ貧しかった明治・大正・昭和初期にかけて、「からゆきさん」という海外出稼ぎに向かう女性たちがいた。これについては、ブラックアジアでも取り上げた。以下のものだ。 ■ からゆきさん (1)シンガポール史の裏面に、明治の女性の影 (2)日本人墓地に記されたからゆきさんのこと (3)セックスに対する爆発的な需要があった (4)二木多賀次郎と、村岡伊平治について (5)400年の歴史を持つ傾城局はや […]

◆からゆきさん(5)400年の歴史を持つ傾城局はやがて国辱に

日本はかつて「赤線地帯」や「遊郭」という名の売春地帯が存在していたが、この政府黙認の売春地帯というのは、いつから存在していたのだろうか。 歴史をずっと辿っていくと、実は鎌倉幕府に行き着くのだが、時の政府が公式に売春ビジネスを許可して税金を取ったというのは、1521年の足利幕府の時代ではないかと言われている。 足利幕府12代将軍であった足利義晴(あしかが・よしはる)は、増え続ける売春ビジネスを見て、 […]

◆大阪の鶴橋。コリアンタウンのノスタルジックな現在の光景

大阪の環状線のひとつに「鶴橋」という駅がある。大阪人にとってもこの街は異質だと言うのだが、その理由はこの街は韓国人と北朝鮮両方を含む朝鮮民族の比率が高いからだ。 環状線「鶴橋」の駅の近辺に来ると、すぐに気付くのが焼き肉の匂いである。近辺には焼き肉屋が密集していて、この街独特の雰囲気がすぐに感じ取れる。 駅周辺は、非常にごちゃごちゃとしている。 この街に降りたって私がすぐに感じたのは、雰囲気は東京で […]

◆「あの子が欲しい」花いちもんめ、という子供の唄の哀しさ

日本人は高度成長期を迎えてから現在まで、後進国や新興国から見ると、過剰なまでの豊かさを享受してきた。多くの人はこの時代しか知らないので、日本は昔から豊かだったと思い込んでいるが、本当はそうではない。 実感として知りたければ、1950年から1960年代の日本映画を観ればいいかもしれない。 この頃に作られた映画は、どの映画を観ても、そういった貧困だった頃の日本をきちんと映し出している。 もともと日本は […]

◆からゆきさん(4)二木多賀次郎と、村岡伊平治について

シンガポールのシンボルは「ライオン」だ。だから、マー・ライオンがシンガポールの観光名所になっている。しかし、シンガポールにはライオンがいたわけではない。シンガポールにいたのは「虎」のほうだ。 1870年頃のシンガポールは重要な港町ではあったが、それでもシンガポール全体が都市だったのかというと、まったくそうではなかったようだ。 「付近はまだ草茫々としていて、虎も折々出て人をさらひ、鰐は少しも珍しくな […]

◆からゆきさん(3)セックスに対する爆発的な需要があった

シンガポールは1819年にイギリスの領土となっている。 そして、イギリス人のトーマス・ラッフルズのインドと中国を見据えた自由貿易政策が行われて、当時の企業が続々とそこに拠点を構えるようになっていった。 この頃のシンガポールは、アジアでも有数の港町として名を轟かせていた。 活況に沸き、次から次へと植民地労働の出稼ぎの男たちが流れて来るようになっていた。 出稼ぎの多くの男たちは、まずはシンガポールに上 […]

◆からゆきさん(2)日本人墓地に記されたからゆきさんのこと

シンガポールの日本人墓地には「からゆきさん」と呼ばれていた日本人娼婦たちの墓がある。 かつて、バッタンバン船(と呼ばれていた)で死ぬような思いをしてやってきた貧しい女性たちは、この熱帯の地で売春をして生きていた。 その証(あかし)がシンガポール日本人墓地にあった。 この墓地の説明によると、1870年頃から日本人女性がシンガポールに現れるようになったと書かれている。 1870年当時と言えば、その3年 […]

◆からゆきさん(1)シンガポール史の裏面に、明治の女性の影

シンガポールは清潔で最先端の国だが、この国にも売春地帯がある。それは政府公認の売春地帯であり、今でもそこでは哀しい目をした女性たちが立っている。 こういった女性たちの姿については、ブラックアジア第二部で詳しく触れた。(ブラックアジア第二部) そこに立っているのは、スリランカ女性、インド女性、インドネシア女性、タイ女性、ラオス女性、ミャンマー女性、そして中国本土の女性たちだ。 シンガポール自体は多民 […]

◆明治・大正時代の日本の少女は、このような顔や身体だった

1870年〜1920年の日本と言えば、明治・大正時代に当たるが、この当時の日本は、まだ多くの国民が非常に貧しい時代であり、日本のあちこちに遊郭が存在し、海外へは「からゆきさん」が出ていた時代だ。 貧しさゆえの売春、売春のための海外渡航……。 そんな時代があったということは私たちは歴史の教科書で知ってはいるが、この当時の日本女性たちはどのような女性だったのかは、あまりイメージできないのではないか。 […]

◆ヨコハマメリー。日本の戦後が生み出した哀しい女性の物語

1945年に日本が敗戦した後、アメリカのG.I.たちが日本に入ってきたが、そのときに彼らの相手をした売春女性たちは「パンパン」と呼ばれて同じ日本人に忌み嫌われた。 今まで鬼畜米英と言っていた人間に媚びを売って、身体を預け、カネを得る。苦々しい思いで見ていた人間も多かったのだろう。だから、パンパンというのは今でも侮蔑言葉である。 コンテンツの残りを閲覧するにはログインが必要です。 お願い Log I […]