日本

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◆中国人の「爆買い」に占拠された大阪・道頓堀を歩いてみた

ここ数年前から中国人による「爆買い」が目立つようになって、日本のメガシティを抱える東京、大阪、福岡は中国人だらけになってしまった。 「爆買い」とは今さら説明するまでもなく、中国人による大量消費である。彼らがイナゴの大群の如く日本にやってきて、薬から日用品から電化製品からトイレの便座まで、買って買って買いまくる。 もちろん、これは日本経済に寄与する。そのため、多くの店がこの爆買いを呼び込もうとして看 […]

◆「竹の塚」のリトル・マニラ。フィリピン女性は今もいる

東京都足立区の東武伊勢崎線に「竹の塚」という駅がある。公団住宅や都営住宅が建ち並ぶこの界隈は、2005年ほどまでは「リトル・マニラ」と呼ばれていた場所だった。 フィリピン女性は1980年代から年間8万人以上もの規模で日本のアンダーグラウンドに入り込んでいて、彼女たちは1990年代には「じゃぱゆきさん」と言われるようになっていたのは記憶にある人もいるかもしれない。 足立区は2005年まで大量のフィリ […]

◆原爆が投下された広島の惨劇は、いよいよ重みを増していく

閲覧注意 1945年8月6日、リトルボーイと呼ばれたウラニウム型原爆が広島上空高度約600メートルの上空で爆発した。 これによって爆心地500メートル圏内が一瞬にして吹き飛び、燃え上がっていった。 この圏内にいた人のほとんどは即死、即死を免れてもその後の数ヶ月で放射能症で死亡している。死亡率は99%。 この1%の中には、燃料会館の地下室にいたことで奇跡的に生き残った野村英三氏がいる。ただ、原爆の爆 […]

◆中国地方最大の歓楽街である広島の「流川」を歩いてみる

岡山県・広島県・山口県・鳥取県・島根県の5県をまとめて中国地方と言うが、この中国地方の中で最も人口も多く、栄えているのが広島県だ。 広島は1945年8月6日に壊滅的打撃を受けたが、そもそも原爆の目標になったのも、広島が軍港であり、大日本帝国軍の広島大本営が設置されていた場所だったからである。 中国地方で最も重要な都市が広島だったわけで、戦後もまた広島が中心であることには違いない。 そして、この中国 […]

◆からゆきさん(6)彼女たちの優しさはどこから来たのか?

明治・大正・昭和と連綿と続く日本の近代史の闇で、貧困のあまり国外で身体を売る女たちがいた。「からゆきさん」と呼ばれた女たちだ。 彼女たちは長崎県南島原にある口之津港(くちのつこう)から密航して東南アジアや東アジアに流れていったことが記録されている。 明治35年から明治44年までの福岡日日(にちにち)新聞の10年間の記事を統計した著述家の森崎和江は、その多くが長崎県島原地方の女性と、熊本県天草地方の […]

◆かつて売春地帯だった新大久保を、12年ぶりに訪ねてみた

日本がまだ貧しかった明治・大正・昭和初期にかけて、「からゆきさん」という海外出稼ぎに向かう女性たちがいた。これについては、ブラックアジアでも取り上げた。以下のものだ。 ■ からゆきさん  (1)シンガポール史の裏面に、明治の女性の影  (2)日本人墓地に記されたからゆきさんのこと  (3)セックスに対する爆発的な需要があった  (4)二木多賀次郎と、村岡伊平治について  (5)400年の歴史を持つ […]

◆からゆきさん(5)400年の歴史を持つ傾城局はやがて国辱に

日本はかつて「赤線地帯」や「遊郭」という名の売春地帯が存在していたが、この政府黙認の売春地帯というのは、いつから存在していたのだろうか。 歴史をずっと辿っていくと、実は鎌倉幕府に行き着くのだが、時の政府が公式に売春ビジネスを許可して税金を取ったというのは、1521年の足利幕府の時代ではないかと言われている。 足利幕府12代将軍であった足利義晴(あしかが・よしはる)は、増え続ける売春ビジネスを見て、 […]

◆大阪の鶴橋。コリアンタウンのノスタルジックな現在の光景

大阪の環状線のひとつに「鶴橋」という駅がある。大阪人にとってもこの街は異質だと言うのだが、その理由はこの街は韓国人と北朝鮮両方を含む朝鮮民族の比率が高いからだ。 環状線「鶴橋」の駅の近辺に来ると、すぐに気付くのが焼き肉の匂いである。近辺には焼き肉屋が密集していて、この街独特の雰囲気がすぐに感じ取れる。 駅周辺は、非常にごちゃごちゃとしている。 この街に降りたって私がすぐに感じたのは、雰囲気は東京で […]

◆「あの子が欲しい」花いちもんめ、という子供の唄の哀しさ

日本人は高度成長期を迎えてから現在まで、後進国や新興国から見ると、過剰なまでの豊かさを享受してきた。多くの人はこの時代しか知らないので、日本は昔から豊かだったと思い込んでいるが、本当はそうではない。 実感として知りたければ、1950年から1960年代の日本映画を観ればいいかもしれない。 この頃に作られた映画は、どの映画を観ても、そういった貧困だった頃の日本をきちんと映し出している。 もともと日本は […]

◆からゆきさん(4)二木多賀次郎と、村岡伊平治について

シンガポールのシンボルは「ライオン」だ。だから、マー・ライオンがシンガポールの観光名所になっている。しかし、シンガポールにはライオンがいたわけではない。シンガポールにいたのは「虎」のほうだ。 1870年頃のシンガポールは重要な港町ではあったが、それでもシンガポール全体が都市だったのかというと、まったくそうではなかったようだ。 「付近はまだ草茫々としていて、虎も折々出て人をさらひ、鰐は少しも珍しくな […]

◆からゆきさん(3)セックスに対する爆発的な需要があった

シンガポールは1819年にイギリスの領土となっている。 そして、イギリス人のトーマス・ラッフルズのインドと中国を見据えた自由貿易政策が行われて、当時の企業が続々とそこに拠点を構えるようになっていった。 この頃のシンガポールは、アジアでも有数の港町として名を轟かせていた。 活況に沸き、次から次へと植民地労働の出稼ぎの男たちが流れて来るようになっていた。 出稼ぎの多くの男たちは、まずはシンガポールに上 […]

◆からゆきさん(2)日本人墓地に記されたからゆきさんのこと

シンガポールの日本人墓地には「からゆきさん」と呼ばれていた日本人娼婦たちの墓がある。 かつて、バッタンバン船(と呼ばれていた)で死ぬような思いをしてやってきた貧しい女性たちは、この熱帯の地で売春をして生きていた。 その証(あかし)がシンガポール日本人墓地にあった。 この墓地の説明によると、1870年頃から日本人女性がシンガポールに現れるようになったと書かれている。 1870年当時と言えば、その3年 […]

◆からゆきさん(1)シンガポール史の裏面に、明治の女性の影

シンガポールは清潔で最先端の国だが、この国にも売春地帯がある。それは政府公認の売春地帯であり、今でもそこでは哀しい目をした女性たちが立っている。 こういった女性たちの姿については、ブラックアジア第二部で詳しく触れた。(ブラックアジア第二部) そこに立っているのは、スリランカ女性、インド女性、インドネシア女性、タイ女性、ラオス女性、ミャンマー女性、そして中国本土の女性たちだ。 シンガポール自体は多民 […]

◆明治・大正時代の日本の少女は、このような顔や身体だった

1870年〜1920年の日本と言えば、明治・大正時代に当たるが、この当時の日本は、まだ多くの国民が非常に貧しい時代であり、日本のあちこちに遊郭が存在し、海外へは「からゆきさん」が出ていた時代だ。 貧しさゆえの売春、売春のための海外渡航……。 そんな時代があったということは私たちは歴史の教科書で知ってはいるが、この当時の日本女性たちはどのような女性だったのかは、あまりイメージできないのではないか。 […]

◆ヨコハマメリー。日本の戦後が生み出した哀しい女性の物語

1945年に日本が敗戦した後、アメリカのG.I.たちが日本に入ってきたが、そのときに彼らの相手をした売春女性たちは「パンパン」と呼ばれて同じ日本人に忌み嫌われた。 今まで鬼畜米英と言っていた人間に媚びを売って、身体を預け、カネを得る。苦々しい思いで見ていた人間も多かったのだろう。だから、パンパンというのは今でも侮蔑言葉である。 このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。お願い ログイン. あ […]