日本では、ここのところ刺殺事件が続いている。名古屋の路上でひとりの男が知人を執拗に殴打して最後にドスを突き立てる事件も起きていたし、新宿のマンションで女性がホストを刺して血まみれにする事件も起きた。
このどちらの事件も現場の生々しい動画や写真が撮られていて、インターネットに出回った。(ブラックアジア:名古屋で起きた刺殺事件と新宿で起きた刺傷事件でリアルを知る日本人)
さらに、間髪を入れずに川崎市登戸でひとりの男がスクールバスを待っていた小学生らを包丁で次々と刺さしていくという事件も起きた。犯人は「引きこもり」の男だった。(ブラックアジア:川崎連続殺傷事件。岩崎隆一の起こした凄惨な殺人は社会に対する復讐か?)
その興奮が覚めやらぬうちに、今度は東京都練馬区の住宅街で、76歳の父親が同居する44歳の息子を刺殺するという事件が起きている。
父親は熊澤英昭という農水省元次官であり、日本のエリートであると言えるが、その子供は家に引きこもってゲームばかりしており、とがめられると家庭内暴力を引き起こしていた。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。
死ぬ最期の1秒まで子供に責任を持て?
「引きこもり」の問題が次々と表面化している。引きこもりは、親の死、親への虐待、親の子供殺害、子供の自殺、子供の衝動殺人、遺体放置、ホームレス化……等々、ありとあらゆる問題を引き起こす。
それは、引きこもりの子供の面倒を見る親が高齢化して、いよいよ引きこもりをしている子供が「終わり」を意識するようになっているからでもある。
引きこもりになってしまった子供を何もしないで放置していると、子供はもう自立することは不可能になってしまう。「社会が悪い、時代が悪い、親が悪い」とつぶやきながら、意味もなくずっと引きこもって出てこなくなってしまうのだ。
人生は自分の思う通りにいかず、誰もが何らかのハンディを持って生きなければならない。しかし、社会で挫折して引きこもりになってしまう人間もいる。
普通の人は、自分の食い扶持は自分で稼がなければならないので、否が応でも働いて稼ぐしかない。いつまでも打ちのめされている暇はない。
ところが、親が自分の子供を「一時的な措置」と思って自宅の一室に引きこもるのを許してしまうと、子供はその状況に依存する。このまま何もしなくても食べていけると思うようになるのだ。
そして、親の無償の援助に慣れていくに従って、引きこもりになった人間はそこから完全に抜け出せなくなってしまう。自ら「無力であり続けること」を選んでしまうのである。
すべての親は子供が自立し、自分の手で夢や希望や自分らしい生き方をつかみ取って欲しいと願っている。しかし、「一時的に」と思った援助に子供が依存し、それに慣れすぎてしまうと、すっかり自立する気持ちは失せる。
熊澤英昭が殺した引きこもりの息子は、ツイッターでこのように毒づいていた。
「勝手に親の都合で産んだんだから死ぬ最期の1秒まで子供に責任を持てと言いたいんだ、私は」
図らずも、この息子の父親は、死ぬ最期の1秒まで子供に責任を持ったことになる。
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「援助を受け続ける」方向に最適化
ボディービルダーは、筋肉を強靱なものにするためには、筋肉に負荷をかけなければならないことを知っている。逆に筋肉を使わなければどうなるのか。
たとえば交通事故で半年寝たきりになった人は、うまく歩けなくなってしまう。うまく歩けないどころか、まったく歩けなくなってしまう人すらもいる。
なぜなら、半年も歩かなくなることで身体はその筋肉が無用であると判断して、足の筋肉が極度に衰えてしまうのである。
片足にギブスが入った人は、数ヶ月後にそれを取り外したとき、左右で足の太ささえも違ってしまうことに気付くだろう。ギブスで固められて使えなくなった筋肉は、明らかに退化して細くなってしまうのである。
リハビリをしなければ、二度と歩くことができなくなることすらもある。
「援助を受け続けると無力化する」というのは、言って見れば社会的に「寝たきりになっている」のと同じ状況である。
あまりにその状況が長く続くと心身は無意識に「何もしなくても生きていける」と判断するようになり、「援助を受け続ける」方向に最適化してしまう。
「援助を受け続ける方向に最適化する」というのは、要するに自立しない方向に最適化するという意味でもある。
自分がこうなったのはすべて「他者のせい」にして、「自分はその犠牲者や被害者である」と訴えることで自立しない方向が成し遂げられる。
「自分がこうなったのは親が悪い、学校が悪い、まわりにいる人が悪い、社会が悪い、国が悪い、環境が悪い、時代が悪いので、自分はその犠牲者であり被害者だ」
引きこもりが犠牲者や被害者になることに成功したら、このように続ける。
「勝手に親の都合で産んだんだから死ぬ最期の1秒まで子供に責任を持てと言いたいんだ、私は」
地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから
100万人以上の引きこもりが路頭に迷う
外部からの援助に寄生して自立をしない方向を決意した引きこもりは、徹底的に自分を弱者に見立ててそれを強調する。そして、自立を強制する親や社会に「理解がない」と攻撃する。
そうやって自立することを忘れると、最後には完全に自立できない人間になっていく。社会性を忘れると、社会に戻れなくなってしまうのである。自分で自分をそこに追いやってしまうのだ。
人間は、本来は自分の望む生き方を誰かに与えてもらうのではなく、自分でつかみ取らなければならない。つかみ取ろうと必死になって這い回り、泥の中でもがくのが人生だ。
しかし、親に依存し、寄生することに成功してしまうと、そうした本来の自分の可能性を自分で封じ込め、ただ無為に暮らして自分の可能性を自分で腐らせてしまう。
問題を抱えた子供を思いやり、支援し、援助するというのは、親にとっては「良かれ」と思ってする自然な行為だ。子供が食べていけなければ、ひとまず自分の家で傷が癒えるまで保護しようと思う。
子供の引きこもりが長引いても「しばらくは、そっとして上げよう」と考える。しかし、子供をいつまでもだらだらと引きこもらせて自立を喪失させてしまうのは、最終的には子供を台なしにしてしまう危険な行為でもある。
引きこもりを許すことによって当人の自立を奪い取るというのは大きな罪であり、社会的損失でもある。そうした状況は今すぐ打ち切って、自立に向けて対処すべきだ。
良かれと思って続けた行為が子供の将来を奪い取るというのであれば、親にも責任がある。
子供が自立できていた時、もしかしたら素晴らしい貢献が社会に対して為されたのかもしれない。しかし、子供が親の過剰な援助によって無気力化されると、その貢献は失われる。
そろそろ日本は引きこもりを生み出さない環境を整備すべきだ。たとえば、1年以上の引きこもりは行政が親から問題を引き継ぐような措置等を考えるべき時期に来ている。
これから親の経済的体力が消失していき、100万人以上の引きこもりが路頭に迷う時代がやってくるのだから……。(written by 鈴木傾城)
熊澤英昭。引きこもりの息子を殺して逮捕された。引きこもりの息子は、ツイッターでこのように毒づいていた。「勝手に親の都合で産んだんだから死ぬ最期の1秒まで子供に責任を持てと言いたいんだ、私は」
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そろそろ日本は引きこもりを生み出さない環境を整備すべきだ。たとえば、1年以上の引きこもりは行政が親から問題を引き継ぐような措置等を考えるべき時期に来ている。これから親の経済的体力が消失していき、100万人以上の引きこもりが路頭に迷う時代がやってくるのだから。https://t.co/77So1SyS0l
— 鈴木傾城 (@keiseisuzuki) June 2, 2019
引きこもりや5080問題は他の国ではどうなっているのかなあとチョット調べてみたら、どこの国や地域にもあるにはあるが我が国は人数が突出しているみたいです。あと質。心的外傷や精神的な疾患による外出恐怖症や対人恐怖症などで引きこもってしまう、これはご本人や支えるご家族等に対する社会行政のケアと医療がぜひ必要ですが、我が国ではそれとは別の、パラサイト型が大変多い。我が国はパラサイトができやすい環境なのでしょう。宿主なくして寄生は成り立たないのだから。
寄生が、存在の、生存の一形態として組み入れられ成立するためには
1.宿主の存在と、なおかつ宿主の世代交代による存続が保証されていること(不死の生物はいない)
2.寄生するものが宿主の生存と世代交代に不都合を生じないこと
3.直接的間接的に宿主もしくは生態系に何らかの寄与のあること(迂遠でも、また、有形の利益でなくともよい)
上記を満たす場合、寄生の存続、更には寄生者自身の世代交代も可能になる。ただしその評価は寄生者が決定するものではない。
とまあ、上記は私の自論ですが、寄生でちゃんと存在はるのはものすごくハードル高いと思いますよ。私にはいろんな意味で到底無理だから地味に自活してます…
目の前にエサがあれば当然のように食べ、腹が満たされれば後は何も考えず、エサがなければ恨むだけでは、良くて宿主もろとも滅びるのは当然です。人は誰も一人では生きられない、それはその通り。だがそのココロは人はみな持ちつ持たれつ、です。持つことなく持たれるばかりでは生きられない と言い換えてみてはいかがでしょう。
百万人超の中には実は立つ力のある人もたくさんいるはずです。大抵は寄生で存在張るのは無理と思います。自立を許さない環境にいるなら逃げる努力をし、そうして何とか立とうとする者にはどういうわけかどこぞから、さあ立ちたまえと助けの手がのびてきます。求めればなおさらです。
自分で自分を憐れむのでなく、何を恨むでもなく、自分で自分を最期に誇れるだろうと思う道を選択する決意と努力をすることが人の尊厳、自由だと思います。
諦めないでください。
次官と言えば省庁の実質トップです。
そんな超エリートの遺伝子を継いでいるはずなのに、引きこもりとは…。
登戸事件を受け、人様に迷惑かける前に自らの手で息子を始末したようですね。大変同情致します。
これは日本特有の問題ではなく、アメリカも同様のようです。
ただ日本と大きく違うのは向き合い方です。
30歳ニートの息子を相手取って両親が自宅退去訴訟を起こし、息子を追い出した報道を聞いた時は衝撃を受けました。
強制的に息子を依存症から切り離したご両親の勇気ある決断は称賛に値します。
この点はアメリカを見習うべきと思います。
>「勝手に親の都合で産んだんだから死ぬ最期の1秒まで子供に責任を持てと言いたいんだ、私は」
親に寄生しておいてなんにもできない甘ったれのくせに口だけはいっちょ前ですな。
こういうのがいるから引きこもりは嫌いなんですよ。
はっきり言って親も悪い。甘やかし過ぎです。
放り出せばいいんですよ。ホームレスでもなんでもさせろ。みんなそうやって生きてるんやから。
子供を育てる親の悩みは尽きません。
「子供を持って初めて親の恩を知る。」と言いますが、まったくその通りです。
初めて赤ちゃんを産んだお母さんは、始終ミルクを人肌に温めて飲ませるのは大変だと思うのですが、それはまだほんの子育ての大変さの入り口に立っていたに過ぎないと直ぐに分かります。
歩き出すと目が離せなくてなんでも口に入れるし、危なくて仕方が無く気が休まる時がありません。夜中に突然泣き出すと睡眠不足になり、泣きたいのはお母さんの方です(笑)。
小学校に行くようになるといじめられないかとか、勉強について行っているのかとかまた違う悩みが出てその内に思春期になると取扱注意になります(笑)。
大学まで学費を親が払ってやって、卒業まじかになっても就職先が決まっていない私の長男にはその吞気さに驚きましたが、就職課長のお世話になってやっと入社出来た時まで、子育ては本当に大変でした。
まだ妻は専業主婦でしたからマシですが、これが共働きともなると女性に負荷が一気に増しますから修行のようなものです。
とにかく就職させて引きこもりにならないようにするまでが、親の務めと割り切っていました。就職させてからも妻は甘いので、子供にパラサイトさせないために情け無用のジャンゴで家計に金を入れるよう要求したので数年後彼女のアパートに転がり込み、結果独立させやっと完成形です。
これで長男は片付きましたが、次に次男と続きますから親業は大変です。
その長男も子供が二人生まれてやっと親のありがたみが分かる歳になり今では父の日に毎年プレゼントをするようになりましたから、お題の事務次官よりは上手く子育てが出来たと言うものです。
引きこもり支援の方に話を伺った事があります。
曰く、昨今の社会事情を鑑みて、
親が、あれはダメ、これもダメと指示をしすぎている。
また、トラブルを起こした人、出来事を必要以上に叩く風潮。
だから子供も真似して学校のイジメも陰湿になる。
歪んだ正義感、正しいのだから間違ってないと言い、複数人で袋叩き(精神的に)する。炎上する。
だから何も出来なくなってしまう。
私の子供の頃は何も無かったけど、何でも出来た。
今は何でもあるけれども何も出来ない。
時代が違うのでいくら私が好きな事やればいいじゃんと言っても価値観が違うので、
全く話が噛み合わない。
東南アジアで遊んで来たと行ったらいいですね〜と言うから、
行けばいいじゃん。LCCで往復すれば数万で豪遊できるぜと言っても興味が無いらしい。
話にならんと思いました。
現実世界は「他人のことを考えろ!」とかきれいごとばかり言いつつ
本音は自分さえよければいいという手合いが
いっぱいいますからね。
日本企業に多くいる茶坊主どもとかそうでしょう。
「会社のため」とか言いつつ彼らが考えているのは自分だけ生き残ることだけです。
純粋な者はこの世界では暮らしていけないのかもしれないです。
これからは心と体が頑強な者が生き残ります。
子離れできない親が引きこもりの子どもを擁護してしまうのでは…と思います。
「この子は私が居ないと何もできないの」という承認欲求?支配欲?優越感?を愛と勘違いして先送りしてるうちに手遅れになった…。
共依存の成れの果ての姿なのかもしれません。
>自分がこうなったのはすべて「日本のせい」にして、「自分は日帝の犠牲者や被害者である」と訴えることで自立しない方向が成し遂げられる。
うーん、どんぴしゃに当て嵌まりますね。
家庭内での不始末は家庭内で後始末をするという、
ある意味武士道的精神の影響もあるのではないでしょうか。
本人にけじめをつけさせて追い出しても、
家族全員誰も知らない田舎に引っ越してやり直すも、
つながりというしがらみがありますから行動できなかったのでしょうかね。
追い出しても親子関係はバレてるし息子は何をしでかすかわからない、引っ越してもsns等で追跡されて引っ越し先でウワサされるし、いまさら生活ががらっと変わるような事は避けたい。
ならば殺して出頭すれば影響は自分だけで済む。
モアベターを突き詰めればこういう事もあり得るのでは?
今回は誰が悪いとかでは無くて、誰もがしがらみに縛られて行動できなかった。
選択肢を狭めてしまった。
単純に因果応報、自己責任とは言わないが、誰もがもっと良く考えれば良かった。
後悔先に立たず、今後に活かして欲しいと思いました。
一時的な措置というのは1年が限度だと思うのですよ。
若い頃、海外放浪した後、何をする気も起こらず、1か月ほど家にいたのですが、両親の働けコールに耐えきれず、就職決まらずとも取り敢えずバイトは行きました。小遣い欲しいし。
普通、このくらいはすると思うのですが、、
やはり、今の親は甘いですよ。
この息子には猛烈に腹が立っています。
殺されて当然ですが、殺人の罪を着せられてしまった父親があまりにもかわいそう。
そもそも人間は、生まれる前に天上界で自分から、親になる人に「今度は親になってください」と頼んで生まれてくるんです。
それを忘れて、勝手に産んだからどうのこうの、、、甘ったれていて血管切れそうになりますね。。