信じられないかもしれないが、世の中「前向きな考え方が大嫌い」な人も大勢いる

信じられないかもしれないが、世の中「前向きな考え方が大嫌い」な人も大勢いる

「街で見かける自分と同年代の女の子はみんな小顔で可愛いのに自分はそうではない」とコンプレックスを持ち、自分が好きでなくなり、それがゆえに「こんな自分は死んでしまった方がいい」と心の中で漠然と思う。

そんなコンプレックスをずっと心の内側に秘めながら生きている中で、男に「使い捨てみたいな扱い」をされて精神的ダメージを受ける。そんな中で市販の風邪薬などを過剰摂取《オーバードーズ》して、すべてを忘れようとする。

しかし、オーバードーズが常習化すると、判断力が低下し、感情のコントロールが困難になっていき、それがゆえに、もともと心の中にあった「こんな自分は死んでしまった方がいい」という感情が全面に出ていくことになる。

そうした堂々巡りの心理的な中で、自殺に向かう少女たちも出てくる。

恐らく健全な思考を持った人なら、「人は誰でも完璧ではないのだから、自分の利点を伸ばせばいいではないか」とか「死んだつもりで視点を変えて別の考え方や生き方を模索すればいいではないか」と思うはずだ。

しかし、世の中は前向きな人ばかりではないし、信じられないかもしれないが「前向きな考え方が大嫌い」な人も大勢いるのだ。事実、私の知り合いの女性のひとりは「前向きに頑張っている人が馬鹿馬鹿しく見える」と言ったことがある。

「前向きとか楽観的とか、大嫌い」

別に驚くべきことではないのだが、夜の世界に生きている人たちや社会の底辺で生きている人たちにとっては、彼女のような考え方をする人はかなりの割合でいるのだ。表社会で生きている人であっても、口には出さないもののひそかにそう考えている人は間違いなくいるはずだ。

史上空前の大天才であったアイザック・ニュートン

「前向きになる、楽観的になる、良い方向に考える、明るく振る舞う」というのは、人生を豊かにする秘訣であると、よく強調されている。つまり、これらのふるまいや態度を選び取るのは、その逆を選び取るよりも利益があるのだ。

ところが、そうであっても心理的に「前向きになる、楽観的になる、良い方向に考える、明るく振る舞う」が死ぬほど嫌だという人もいる。

前向きな考え方ができるかどうかは、もともと持っている気質だとか、育った環境などに起因するものであって、それが有利だからそちらの気質に変わろうと思っても変えられないというのもある。

たとえば、史上空前の大天才であったアイザック・ニュートンは、暗く、怒りっぽく、猜疑心が強く、執念深く、偏屈で、批判的で、笑うこともないような性格であったというのはあまりにも有名だ。

人と関わるのも嫌いで、女性と話すのが嫌いすぎて何かを伝える時は紙に書いて渡すほど話したがらなかった。正式な場でもそのような調子で、勝手にひとりで帰ったりすることもあった。

天才的な科学者ではあったが、50代になった頃には強度のうつ病になって精神状態が落ち着かなかった。しかも、ニュートンは凄まじく几帳面で、それが几帳面でない他人に対する拒絶につながっていた。

たまたまニュートンは天才的な知能指数を持っていたので、そういう性格でも何とかなった。社会はニュートンの天才性を必要としていた。しかし、普通の人がニュートン並みの性格だったら、社会から孤立し、困窮し、知らないうちに孤独死しているような人になっていただろう。

ポジティブだったら得するかもしれないが、それでもポジティブであることを誰もが選べるわけではないのは、誰もが自分や自分のまわりの人を見て、理解できるはずだ。

史上空前の大天才であったアイザック・ニュートンは、暗く、怒りっぽく、猜疑心が強く、執念深く、偏屈で、批判的で、笑うこともないような性格であったというのはあまりにも有名だ。

「お前なんか生まれなければ良かった」

前向きに考えることができない人を「おかしい」と思ってしまうのは、もともと前向きになれる気質や生活環境があったからだとも言える。

子供時代に虐待を受けていたとか、困窮で悲惨な目に遭っていたとか、差別されて育ったとか、その他もろもろのトラウマや心の傷を経験している人は、その経験があるがゆえに過去にとらわれ、前向きになることができなくなることがある。

最近、子供を理解しないで、虐待や、育児放棄や、無視《イグノア》に走る親のことを「毒親」と称するようになっているのだが、毒親に育てられた子供というのは、ネガティブな思考になったり、悲観的な見方になったり、自己否定的な性格になることが多い。

親からさんざん否定され続けてきたので、もはや自己否定が人格になっているのだ。私のかかわったあるセックスワーカーは「親に、お前なんか生まれなければ良かったと言われた」と述懐した。

「お前なんか生まれなければ良かった」というのは子供が立ち直れないほど深く傷つける言葉であるはずだし、そんなことは絶対に言ってはいけないはずだ。ところが思慮のない親は、平気でそう罵るのだ。これは毒親の定番のセリフでもある。

子供にとって親は愛する存在である。そして、何があっても自分を守ってくれる存在でもある。それが子供の成長の中で人への信頼に結びつく。しかし、毒親を持つ子供は「自分が愛する人は、必ず自分を傷つけてくる」という学習をする。

自分が好きな人は、自分を傷つける人。

そう学ぶことがいかに破滅的なことであるのは分かるはずだ。好きになったら傷つけられるのであれば、「好きになる」という前向きの感情に対して疑念どころか拒絶心すらも覚えるだろう。

子供にとって親は愛する存在である。そして、何があっても自分を守ってくれる存在でもある。それが子供の成長の中で人への信頼に結びつく。しかし、毒親を持つ子供は「自分が愛する人は、必ず自分を傷つけてくる」という学習をする。

傷つけられるなら、最初からそんなものは求めない

好きになったら傷つけられる。それを学習すると、「好き=前向き・楽観的・幸福なこと」だから、「前向きになったら傷つけられる」「楽観的になったら傷つけられる」「幸福を求めたら傷つけられる」と思うようになっても当然だ。

傷つけられるなら、最初からそんなものは求めない。

セックスワークを選択する女性の中には、幼児・少女時代に何らかの家庭でトラウマになるような仕打ちを親からされたことがあったりする。「前向きな考え方が大嫌い」というのは、往々にしてそういう女性である。

前向きな考え方をすることが求められる状況や環境にいなかった。前向きになったら傷つけられる。だから、前向きになれないのだ。

「自分だけ損している」「自分だけ踏み躙られている」「自分だけいつもうまくいかない」「自分だけ何をやっても駄目だった」「自分という存在は求められていなかった」という体験だけが積み上がっているので、もはや前向きになるということが絶対にできない体質になる。

自傷(死の予行練習)や、OB(一時的な死)や、自殺(リアルな死)という手段を選ぶ10代、20代の大半は、みんな「前向き」や「楽観的」という言葉や行動に拒絶感を示すだろう。

そんなわけで、そこらの自己啓発の本に「前向きになろう」とか「楽観的にいよう」とか書いてあっても、「前向きとか楽観的とか、大嫌い」という人にはまったく無意味なものなのだ。

私のまわりは「前向きとか楽観的とか、大嫌い」という人が比較的多い。彼らは成功に惹かれない。彼らは一生、前向きと楽観を手にいれることはないだろう。逆のものに惹かれているのだから。

私のまわりは「前向きとか楽観的とか、大嫌い」という人が比較的多い。彼らは成功に惹かれない。彼らは一生、前向きと楽観を手にいれることはないだろう。逆のものに惹かれているのだから。

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