学校は社会は理不尽であることを教え、自分たちには敵があることを教えろ

学校は社会は理不尽であることを教え、自分たちには敵があることを教えろ

意味のない怒りもある。一方で社会正義としての「必要な怒り」もある。しかし「みんな仲良く」みたいな教育があまりにも徹底され、怒りを持つのはいけないという教育がされ過ぎると、若者はうまく怒りを表明できなくなる。そして、あきらめた若者の中に希死念慮が生まれる。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

面倒を避け、対立を避け、トラブルを避ける生きかた

著書『病み、闇。ゾンビになる若者、ジョーカーになる若者』の中で、「死の恐怖が希薄な若者たち」という章で、あっさり自殺していく若者たちが出てきていることを取り上げた。

自殺配信した少女もいたのだが、彼女は横浜駅と海老名駅を結ぶ相鉄線の瀬谷駅でカメラを設置して、電車がきたら何の逡巡も見せずにあっさりと飛び降りて死んだ。普通、死の恐怖というものがあれば、そんな簡単に死なない。

しかし、彼女は本当に「死の恐怖が希薄」であったように見えた。書籍『病み、闇。』の中ではそういう話を冒頭に取り上げた。

日本の若年層が心身に大きな問題を抱えるようになっているというのは、臨床にかかわっている医師たちが十年以上も前から報告している。若者たちは、2000年代に入った頃から、あきらかに精神的に変わってしまったという。

「何とか立ち直ろうとする力が落ちている」
「悩む力が落ちている」
「主体的に動く力も落ちている」
「疲れない付き合いだけに限定する」
「漠然たる不安を抱えている」

そのような傾向が強くなっているというのだ。これらに共通するのは、面倒を避け、対立を避け、トラブルを避け、自分が傷つかないように自我を必死に守り、傷つくくらいなら何もしないことを選択する受動的な生きかたである。

全員が全員そうではないが、若年層にそうした傾向が出てきているということは、教育の現場がそのような若者たちを作っているということでもある。

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世の中には怒りを持たなければならない場面もある

今に始まったことではないが、日本の教育というのはもともとそういう面がある。それが、いよいよ強烈に若者を縛るようになり、若者はもうそれを服従するかのように受け入れるようになった。

「面倒を避け、対立を避け、トラブルを避け続ける若者たち」が大量に産まれているということは、教育の現場で若者たちがそのようになることを求め、もう若者が反抗できないほどまで、それがうまく機能するようになっているということだ。

今の教育は「正しいことを信念を持って訴えなさい」という教育はしていない。あるいは「自分が考えていることが何かをはっきりと主張しなさい」という教育もしていない。

「みんな仲良くしなさい、協調性を持ちなさい」という面をことさら強調し、逆に強い信念や自分の主張をしないように抑える教育が意識的にも無意識的にも為されている。

人間社会は集団生活の場だから、ある程度は同調性や協調性がなくては困る。しかし、だからといって100%それで押し通すと自分という存在が消えてしまう。

協調性を強く押しつける教育では、信念や主張のような強いものを表に出したら怒られるので表に出せなくなり、それが習い性となって身につく。

あまりにも協調性ばかりを教育で叩き込まれていくと、当然だが「怒り」を出すこともできなくなっていく。怒りは協調性を破壊し、同調を乱すものだからである。

しかし、人は理不尽なことをされたら怒りを感じるものだ。社会の不正にも怒りを感じるはずだ。弱い者がいじめられていても怒りを感じる。そして、間違ったことがまかり通っているのを発見しても怒りを感じて当然だ。

あるいは、自分が、自分の家族が、自分の国が、おとしめられていても激しく怒りを感じるはずだ。自分や自分の家族や国が他国の人間に馬鹿にされてヘラヘラ笑っているような人はまともではない。

意味のない怒りもあるのだが、一方で社会正義としての怒り、正当防衛としての怒りもある。世の中には、怒りを持たなければならない場面もある。

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理不尽でも黙って指示に従うのが正しい生きかたか?

しかし、「みんな仲良く」だとか「人類みな兄弟」みたいな教育があまりにも徹底され過ぎて、何があっても怒りという感情を抑えなければならないと教育されたらどうなるのか。

「怒りを感じたらいけない……」
「理不尽なことをされても仲良くしなければ……」
「自分が我慢しなければ……」

このような思考回路になっていくのは容易に推測できる。とにかく協調性を崩さず、その場を丸く収めることばかり求められるようになり、不安の中で生きるしかなくなってしまう。

「みんな仲良く」を基本として教育するのは間違っていない。子供に対立と暴力を教えるのは教育ではない。強調性は生きるためには必要不可欠なものだ。

しかし、小学生・中学生でしっかりと基本を教えたら、それを踏まえた上で、高校生からは「信念を持つ」ことや「主張する」こともしっかり教えないと社会に対応できない若者が続出することになる。

ただ「面倒を避け、対立を避け、トラブルを避け続ける」だけしか学ばないで義務教育を終われば、面倒や対立やトラブルだらけの社会では押し潰される。そして、自分が社会に合っていないと自分を責めて、生よりも死に惹かれるようになっていく。希死念慮が育っていく。

本来は、世の中が理不尽なことや危険なことを教えるべきだ。そして、その中で押し潰されないようにする方法を教える必要がある。そうしないから、若者たちはどうしたらいいのか分からずに、最初から最後まで自分を殺して生きることになってしまう。

なぜ、「正しいことを主張する」ことを教えないのかというと、今の学校は若者をサラリーマンにするための養成学校のようになっており、「主張するより上司に従うこと、客に従うこと、同僚に従うこと」が優先されるからである。

「上司の命令が理不尽でも、黙って指示に従うのが正しい生きかただ」というのを学校から教わかって社会に出て、サラリーマン社会でクビにされないようにしているのだ。

相手がどんなに理不尽なことをいってきても、自分の主張は殺してひとまず謝罪したり賠償したりするように教えている。こんな生きかたを義務教育で徹底されたら、誰でも主体性を失って流れるように生きるしかない。

本当に、こんなことでいいのだろうか。

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「怒りをうまく表明する練習」が必要ではないのか?

日本の教育は、社会が理不尽であり混乱しており暴力的なものであることを教えない。まるで世界は「人類みな兄弟」みたいなユートピアであるかのような前提で「みんな仲良く」「平和がすべて」と教え込む。

だから、多くの日本人は社会に出て突如として理不尽が自分に降りかかったとき、自分の主張はしないで、対立もできないで、ひたすら低姿勢で謝ることしかできない。

「怒り」という感情を去勢され、闘争心という牙を抜かれてしまったので、何もできずに右往左往するだけになる。戦うことができない。

現状を変えるには教育を変える必要がある。社会は理不尽であることを教え、自分たちには敵があることを教え、敵には強く対抗しなければ国が滅びることを教えなければならない。

理不尽には戦い、守るべきものは戦って守ることを教えなければならない。理不尽や社会不正に怒りを感じることは自然なことであることを教えなければならない。

怒りという感情があるから、世の中が間違っていたら是正しようとする力が生まれ、また間違った社会から自分が立ち直るためのエネルギーが生まれる。

怒りがあるから、現状を変えるために強く悩み、考え、主張するエネルギーが生まれる。怒りがあるから、現状を変えようとする強い力が働き、主体的に動けるようになる。

怒りがあるから、どんな力強い敵にも対抗できるエネルギーが生まれ、怒りがあるから漠然たる不安を吹き飛ばすエネルギーが生まれる。

今の教育は若者たちから「怒り」という感情を奪い取っており、だから若者たちはもはや現実社会で生きる夢も希望も失ってしまい、ファンタジー(虚構)の世界に逃げるしかない。

「生まれ変わったら、ああだこうだ」「異世界がどうしたこうした」「転生した」とか、そういうのはすべて「現実世界に対応できないのでファンタジーに逃げたい」という心境が映しているものなのだろう。

そういうのに感化されると、結局「死の恐怖が希薄な若者たち」が量産されることになる。ファンタジーは、ただの妄想にすぎない。ファンタジーの世界で強くても、現実社会で何もできなければただの弱者である。

現実で戦わなければ敗者と化す。現実で戦うためには闘争心が必要だ。闘争心は、まず「怒り」を感じるところから始まる。

だから、この「死の恐怖が希薄な若者たち」を現実に引き戻すには、まずは「怒りをうまく表明する練習」をして、その上で「自分の意見を主張する訓練をする」ことではないかと思うようになっている。

そろそろ日本人は自分の人生から「怒り」を奪われていたことに気づいてもいい頃だ。怒りという牙を取り戻せば、自分自身が秘めているパワーも取り戻すことができる。

【ado】病み、闇。
『病み、闇。ゾンビになる若者たち、ジョーカーになる若者たち 日本の裏側は背筋が寒くなる』(鈴木傾城 著)

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