いつの時代でも不確実性は高く、世の中が安定的に見通せる時代など一瞬足りとも来ることはない。今後も不確実性が増すのは確実だ。社会環境が自分の有利なほうに変化してくれればいいのだが、世の中で起こり得る「予期せぬ出来事」はだいたい自分に不利になる。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
自分でもどうしようもないことに翻弄されるのが人生
人は誰でも「これからもずっと仕事を続けたい」とか「将来はあれをしたい、これをしたい」とか「将来はどこに行きたい」などの目標や計画を持つ。将来設計や長期目標を立てて日常を過ごす。
しかし、世の中はいろんなことで事態が急変する。私の知り合いの中には、前途洋々だったのに今はうつ病で苦しんで何もできなくなった人もいるし、頭脳明晰で行動力もあるのに長期治療を要する病気になってしまって仕事ができなくなった人もいる。
彼らは能力も行動力もあったのだ。しかし突如として降りかかってきた病気で、思う通りの人生を描けない状態になってしまった。
「人生は思い通りにならない」とはよく言われることだが、たしかに人生は不確実極まりないことの連続である。
誰もが自分の将来の計画を立てるとき「自分が病気になる」という事態は想定していない。しかし誰でも病気になるし、場合によっては日常生活が送れないような事態にもなり得る。しかし、それを想定するのは難しい。
病気もそうだが、事故もまた予期せぬ出来事の最たるものだろう。
私も以前に半年寝たきりになるくらいの事故に遭っているのだが、そうなるまで自分が交通事故に遭うなど想定したこともなかった。交通事故の後にもすぐ激しい頭痛やめまいが止まらなくなり、突発性難聴にも見舞われて、結局は3年ほど人生のブランクを作った。
今でもあのときのことを思い出す。そして、そのたびに「人生には必ず不確実性がついて回る」と考える。私だけでなく誰でも「自分では、どうしようもないことに翻弄される」ということである。
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どんな思慮深い人であっても将来は読めない
何かの宗教に洗脳された人、社会的な経験値が低い人、認識がゆがんでいる人は、「未来は決まっている」と思い込むことがある。
しかし、「未来は決まっている」などあり得ない想定だ。そんなわけがない。もし100歩譲ってそうだと仮定しても、自分がその「決まった将来」がわからないのであれば、結局は何も決まっていないも同然である。それならば、「人生は死ぬほど不確実である」ことを認めるしかない。
どんな聡明でどんな思慮深い人であっても、将来は絶対に読めない。
自分は今の仕事がいつまで続けられるのか、自分の収入がどうなるのか、これからの経済がどう動くのか、株価がどう動くのか、国の将来がどうなるのか、何ひとつ確実なものはない。
自分が病気になるのかならないのか、事故に遭うのか遭わないのか、いつ死ぬのか、それもわからない。人は誰でも自分のことが一番で、24時間365日寝ても覚めても自分のことを考えているのに、それでも自分のことがわからない。
当然、自分のまわりにいる人たちのことも何ひとつわからない。誰と友情が育まれ、誰と友情が壊れ、誰と愛し合い、誰と憎み合い、誰とつながり、誰と切れるのか、私たちは何も分からない。
信用していた人にこっぴどく裏切られることもあれば、何とも思っていなかった人が重要な人であったことを知ることもある。
環境ひとつ取っても、近いうちに不意に自然災害で自分が被害に遭うこともあるかもしれない。日本はいつか国家を崩壊させるくらいの超巨大地震に見舞われる可能性が非常に高いのだが、それがいつになるのかも誰も分からない。
明日かもしれないし、30年後かもしれない。超巨大地震で自分が生き残れるのか死ぬのかもわからない。どれくらいの被害が自分に及ぶのかもわからない。わからないから、人々は今日も明日も普通の生活をしているのである。
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「予期せぬ出来事」はだいたい自分に不利になる
いつの時代でも不確実性は高く、世の中が安定的に見通せる時代など一瞬足りとも来ることはないと私は確信している。今後も不確実性が増すのは確実だ。
ここ数年を見ても、コロナ禍によるパンデミックで世界は激変したし、そんな中でロシアによるウクライナ侵攻や中国経済の減速やイスラエルによるガザ侵攻など、さまざまな要因によって経済的な不安定化が増した。
とくに地政学情勢の緊張は深刻になるばかりだ。欧米とロシア、欧米と中国、イスラエルとイスラム国家、中国と台湾など、一歩対応を間違うと一気に世界が混乱する。いったん混乱が広がると、世界はドミノ倒しのように安定を失う。
アメリカも来年は大統領選挙の年となるのだが、高齢のバイデン大統領が勝つとは限らない。もしバイデンが負けるのであれば、2024年は波乱の一年になる。ちなみに、バイデンが勝てるかどうかアメリカでも評価が割れている。
そんな中で、人工知能によるイノベーションが凄まじい早さで進んでいる。これも、社会や経済に大きなパラダイムシフトを起こす可能性が高まった。うまく波に乗れる人もいるのだが、それよりも取り残されてしまう人の方が多いだろう。
そんなわけで、今後も不確実性は増すばかりであり、私たちの人生も含めて「予期せぬこと」が次々と襲いかかってくる可能性は間違いなく高いのだ。
社会も不安定化し流動化して不確実性が高まるし、私たち個人の人生にも個人的な不確実性が起こり得るわけで、来年は今年と同じように生きられるとは限らない。
社会環境が自分の有利なほうに変化してくれればいいのだろうが、世の中で起こり得る「予期せぬ出来事」はだいたい自分に不利になると相場が決まっている。
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もっとも変化に適応したものが生き残る事実
「不確実であれば、不確実であることを見越して準備しておけばいい」という人もいるのだが、人生は不確実要素があまりにも多すぎてすべてに対して予防も準備もすることなどできないのが現状だ。
それではどうしたらいいのか?
これに関しては、答えは明確であると私は感じている。それは「柔軟性を保つ」ことである。計画が変わることや予測が外れることがあることを受け入れ、そのつどもっともベストな選択と可能性をさぐってやるべきことを調整していく。それに尽きるのではないだろうか。
この柔軟性は、ダーウィンの進化論にも通じるものだと思っている。ダーウィンは著書『種の起源(種の起源・上・光文社古典新訳文庫)』の中で『地表に生息する無数の生物は、新しい構造を獲得することで互いに闘争し合い、最も適応したものが生き残る』と述べている。
わかりやすく要約すると「もっとも変化に適応したものが生き残る」ということなのだ。現状は刻々と変化していくのだから、何が起きているのかを把握し、変化に対応した新しい知識やスキルを獲得しながら「適応」していくのである。
どのみち不確実性は避けられないのだから、予期せぬことがおきても「適応」していくしかない。
何か目標を持っても、将来設計を持っても、次から次へと予期せぬことが起こる。場合によっては目標を修正せざるを得ないこともあれば、将来設計を新たに考えなければならないこともある。
私たちの人生は、常に何が起こるのかわからないままだ。しかし、予期せぬことが起こったのであれば、そこでどう適応できるのか、それが重要になってくる。私たちは、そういう事実を見越して、新しい年を考える必要があるのだろう。
ダーウィンの進化論「もっとも変化に適応したものが生き残る」
⇒『社会環境の変化への対応』なんですが、年齢を重ねる度にシガラミ、固定観念で失われていくので、城傾さんの記事『私の知らない世界』で補いたいと思っておりますので、来年も新しい記事の更新を毎朝、楽しみにしていきますので、よろしくお願いいたします。
私もしがらみだらけです。
こちらこそよろしくお願いします。