「人を信じるのは美しい」と言っている人は、詐欺師でも悪人に見えない

「人を信じるのは美しい」と言っている人は、詐欺師でも悪人に見えない

詐欺師ほど「人を疑うな」「友情、友好、友愛」と他人を諭す。人を信じさせれば、詐欺師の自分も信じてもらえて騙しやすくなるからだ。暴力団ほど「暴力反対」と他人に言う。他人に暴力を放棄させれば自分が暴力を振るえるからだ。

カルトの教祖ほど「神を信じろ」と他人に説教する。他人が神を信じたら「自分こそが神だ」と宣言すれば相手は自分の思うとおりになるからだ。

「一見、良いことを言っているように見えて、実は裏には別の意図がある」というのは、悪人が常に使う手口である。

「人を信じるのは美しい。人を疑うのは汚い」というのは正論に聞こえるが、それを裏のある人間が強要してきたら正論は単なる騙しの道具になる。

悪人が他人を騙すために「人を信じろ」と諭しているのだから、言うがままに人を信じていると、あっさりと騙されて、すべてを奪われていく。

「相手を信じる」というのは美しい言葉であり、理想だ。

しかし、現実には利己主義・拝金主義・強欲主義の塊のような人間がたくさん集まっている。強欲な人間が、あの手この手で他人から奪おうとするのが、現実社会のリアルな姿なのである。


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

悪人ほど美辞麗句や理想を語りたがる

「人を信じるのは美しい」というのは間違いない。しかし、簡単に人を信じてしまったら、社会の犠牲者になる。悪人はいずれやって来る。

だから、普通の常識を持った人間であれば、他人を信じたいと思いながら、他人には一定の警戒心を持って生きている。この「警戒心」こそが悪人たちにとって、最も邪魔なものだ。だから、悪人たちはこのように言う。

「人を信じるのは美しいのに、あなたは他人を疑って生きている。間違っている。人を信じなさい」

そうやって彼らは自分を信じさせて、相手をカモにしていく。

つまり、「人を信じるのは美しい。人を信じなさい」と建前や理想を他人に語りたがる人というのは、その人自身が裏のある人間である可能性がある。

悪人ほど美辞麗句や理想を語りたがる。その理由は明らかだ。それは、要するに相手から「疑う心」を奪い取るためのテクニックなのである。

どこかのインチキ宗教の教祖も、美辞麗句を語って自分を信じさせている。もちろんそうやって自分を信じさせて、信者の財産を根こそぎ奪うためだ。

建前や美辞麗句をこちらに押しつけてくる人間というのは、本当のところを言えば、非常に危険なタイプの人間であることも多い。

他人にタカリをして寄生虫のように生きている人間は、相手に「仲良くしよう」と友好を押しつけてくる。タカリ屋には食いついた相手を離さないための方法論が「仲良くしよう」という言葉なのである。

友好を押しつけ、相手がそれを渋々でも受け入れている間、悪人はずっとお人好しに寄生できる。相手が嫌がっても「仲良くしようぜ。友好関係を維持しろ」と友情の押しつけをする。

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弱者になりすまして何を叫ぶか?

やむにやまれぬ事情で生活困窮して生活保護を受けている人もいる反面、わざと働かないで生活保護を不正受給をするクズのような人間もいる。

本当に困った人にとって、生活保護は一縷の望みであるにも関わらず、それを不正受給する一部のクズのために生活保護というシステムは崩壊の危機に瀕している。

こうした生活保護に寄生する悪人どもは、自分が弱者になりすまして「弱者を守れ」と叫ぶ。

よくよく考えれば、本当の弱者というのは、自分が弱者であることを恥じてそれを隠そうとする。間違えても「自分は社会的弱者だが、世間は弱者を守れ」と叫ばない。

そんなことを叫んで社会運動している暇があるのなら、一日でも早く仕事を見つけてまっとうに暮らせるように努力する。あるいは、心情的に、世間に迷惑をかけないように慎ましく目立たないようにする。

しかし、弱者を装ってタカリをする人間は逆だ。

「弱者を守れ」と声高に叫び、「弱者の人権を保護しろ」と役所の職員を恐喝し、もっと金をよこせと声を荒げて「要求する」のである。

「弱者を守る」というのは、当たり前のことであり、これは誰も否定することができない。だから弱者を装っている悪人は、ことさらに建前や理想を他人に語って、カネを奪い取るのである。

「人を信じろ」「弱者を守れ」という正論は、悪人の手にかかるとそれ事態が相手からカネを毟るための「ワナ」となる。それは、正論を無理やり相手に押しつけて、自分の都合の良いように相手を動かすテクニックである。

宗教ビジネス、弱者ビジネス、人権ビジネスというのは、こうした「理想の押しつけ」「善意の押しつけ」によって成り立っている。

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悪人が善人に見え、善人が悪人に見える理由

「人を信じるのは美しい」という人と、「人を簡単に信じてはいけない」という人がいたら、どうしても「人を信じるのは美しい」というメッセージを発した人の方に好感度が集まっていく。

「人を信じるのは美しい」と言っている人は、一見すると悪人に見えないからだ。悪人どころか、とても善良な人に見える。

逆に、私のように「人を簡単に信じるな」と言っている人は、猜疑心の強い、邪悪で心が狭い人のように見える。本当は善人であっても、そのメッセージから悪人のような印象に見える。

詐欺師の方が善人に見えてしまうというのは、別に不思議なことではない。

詐欺師は信用されなければ商売にならないから、必要以上に信用されるために外見を飾り言葉を飾るからだ。こういった人間は、必要であれば整形手術で顔を変えてしまうことさえ平気で行うだろう。

肩書きや経歴を詐称する人もいる。一流大学に出たことにしたり、高度な資格を持っていることにしたり、一流企業に勤めていたことにしてしまい人々を騙す。たとえそれが嘘でも、そのように振る舞っていれば人々が騙されることを悪人は知っているのだ。

内面が真っ黒な人間ほど、外見を飾って飾って飾りまくる。だから、外見を飾り、美辞麗句を語り、善意を声高に要求する人間は危険なのである。

詐欺師の方が世の中にはウケが良く、現実主義者は疎まれるのは、このあたりに理由がある。

「人を信じろ」「誰とでも仲良くしろ」「弱者を守れ」と他人に強制しながら、その陰で悪事を働く人間も増えてきている。「悪人ほど美辞麗句や理想を語りたがる」理由や、悪人どものテクニックは、もっとよく知られ、研究されるべきだろう。

最近は「友好」だの「未来志向」だの言って、いかにも善人面をして美辞麗句を語る悪人が図に乗りすぎている。日本人は騙されすぎではないだろうか。(written by 鈴木傾城)

フランク・アバグネイル。天才詐欺師と呼ばれた男。パイロット・医師・検事補・証券ブローカーに成りすまして、次々と周囲の人や銀行などの公的機関を信用させていた。他人を簡単に信じていたら、騙される。

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