時代は流れていき、私たちは知らずして取り残されたことに動揺する

時代は流れていき、私たちは知らずして取り残されたことに動揺する

2019年2月11日にドイツの首都ベルリンで映画祭があった。そこでレッドカーペットを歩くひとりの女性の写真があって「ナスターシャ・キンスキー」と説明が書かれていた。写真の女性の顔はまったく見覚えがなかったが、その名前はよく知っていた。

ナスターシャ・キンスキーと言えば、映画『テス』に出ていた女優のはずだ。(ブラックアジア:ナスターシャ・キンスキーが映画『テス』で見せた薄幸の由来

彼女の映画はこの『テス』しか観たことがないのだが、この女優の薄幸のイメージは強く印象に残っている。その後、この映画は折りに触れて何度か観た。堕ちていく彼女の荒んだ姿が好きだった。思い出深い女優だ。

しかし、私が知っているナスターシャ・キンスキーは、彼女がまだ若い頃の姿である。時は永遠にその姿で止まっていた。だから、2019年に59歳になる彼女を見て、私は彼女があの『テス』を演じた女優であることに気付かなかった。

当然だが、彼女は老いて顔も雰囲気も何もかも変わっていた。ただ、うまく年老いていたようで、アメリカの往年の女優たちのように、凄まじい整形の変形は特になくて自然だった。とは言っても、老いたのは間違いない。

現在のナスターシャ・キンスキー

永遠に若さを保てる人はいない

「老化するというのは乾燥することだ」とは多くの医学者が言う通りだ。ギリシャの哲学者であるアリストテレスも「老化とは乾燥への過程である」と喝破した。

私たちは子供たちの肌を見て「瑞々(みずみず)しい」と形容することがあるが、瑞々しいというのは「水々しい」ということでもあり、その言葉の通り子供たちの肌はたっぷりと水分を含んで弾力性もある。

こうした瑞々しさは10代から20代の前半まで続く。

しかし、以後は「瑞々しさ」も「弾力性」も失うばかりになっていく。早い人は20代に入ってからすぐに瑞々しさが消えたと感じさせる人も出てくる。肌の張りが消えてシワが寄ったりするのだ。

これは30代に入ればますます顕著になる。40代に入れば、どんなに注意深く肌の状態に気をつけていた人であっても、もはや瑞々しさも弾力性もかなり失われている。身体の細胞から水分が抜けて、肌がカサカサになっていく。

永遠に若さを保てる人はいない。人は老いていき、若さを失い、やがてこの世から消えていく。永遠は存在しない。女性も美しさを保てない。どんなに美しく、どんなに輝いている女性であっても、やがて気がつかないうちに枯れていく。

少女は、ただ若いというだけでとても美しい。弾けるような躍動感、みずみずしさ、美しさ、可愛らしさ。何もかもが素敵で、とても愛くるしい存在だ。しかし、やがて少女は娘になり、大人になり、老いて輝きを失っていく。

若い頃、どんなに美しかったとしても輝きは永遠ではない。老いは誰も避けられない。それを受け入れなければならない。

それは二度と巡ってくることはない

若さが大切なのは、なぜか。そう問われたとき、すぐにその理由を答えられる人はそれほど多くない。この答えは「永遠ではないから」だ。「若さ」の期間は決まっている。そして、二度と戻って来ない。

若さは永遠ではない。重要なのは、それは自分の人生の中で、たった一度だけの「出来事」であることだ。どんなに金を積んでも、どんなに徳を積んでも、どんなに注意深く過ごしても、若さは消え去っていく。

若さを謳歌できるのは、人生の中で一度きりしかない。この時期は「青春」と言われることもある。

この青春の時代を取り上げた歌や映画は、はち切れるような躍動感があると同時に、いつもどこか物哀しい。それは、若さという時代はいつも思い切り燃焼して、はかなく消えていってしまうからだ。

そして、若いうちは若さが重要だとは思わず無為に過ごし、振り返って初めてそれがかけがえのないほど大切な時間だったことに気付くのである。

皮肉なことに、それを失うと自分の一番輝いていたはずの「若かった時代」に意識が戻っていく。そして、それを追憶する。

忙しい日常の中で、あるいは何気ない光景の中で、若かった自分の姿が頭の中で駆け巡っているのが見えてくる。もう二度と取り戻せない時間であり、細部をたくさん忘れてしまっている。

しかし、そのおぼろげでも残っている記憶の断片が、とても大切なものだったことに気付く。

自分が若かった時代は、まわりの誰もが若かった時代だ。あの頃の人、あの頃の時代を振り返れば、自ずと若かった自分を見つめることになる。それは、もう取り戻せないのだ。だから、自分が若かった頃を想い出すと、それを失ったことに気付いて物哀しい。

 

失ったものを求めて、過去に戻る

女性が若かった時というのは、一番輝いている時である。「若さ」を保っていると言うのは、まさに美しい花が咲き乱れているのと同じだ。咲き乱れた花には、多くの蝶々がやって来る。賑やかで、華やかで、多幸感に包まれている。

生きていることの喜びがそこにある。

しかし、若さは自分が気付かないうちに消えていく。多くの女性は、あるとき自分よりもはるかに若い女性がちやほやされているのを見て、自分の若さの時代が終わってしまったことを知る。

自分と同世代の女優や歌手も、忘れ去られていき、自分の愛した歌も「昔の歌」になっていることに気付く。若さという大切な物が、もう自分の手元にはないことに、ふと気付いてショックを受けることになる。

時代は流れていき、私たちは知らずして取り残されたことに動揺する。「自分は今まで何をしていたのか」と、悲しくなって涙を流す人もいる。それでも、失ったものの痛みを感じながら、今を大切に生きていくしかない。

私が観たナスターシャ・キンスキーの映画『テス』は、調べてみたら1980年の映画だった。私がこの映画を観たのはそのかなり後の話で、もしかしたら1985年あたりだったかもしれない。とすれば、すでにそれから34年も経っている。

34年も経てば、確かに彼女も見分けが付かないくらい変わってしまっていたとしても不思議ではない。そして、彼女が34年の歳を重ねたということは、私もまたそれだけ歳を重ねたということでもある。

そんなことを思いながら、ひとりで嘆息をつく。

昔とすっかり変わってしまったナスターシャ・キンスキーを見ても、美しかった頃の彼女の印象しか頭に残らない。時は流れていったが、想い出はいつでも戻ることができるので、映画『テス』で描かれた彼女の薄幸の顔を想い出す。

失ったものを求めて、過去に戻る。
美しかった過去に戻る。

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