◆真栄原社交街で働いていたある女性の告白。「新地は懐かしい」と彼女はいった

◆真栄原社交街で働いていたある女性の告白。「新地は懐かしい」と彼女はいった

沖縄の真栄原《まえはら》社交街は、「沖縄の恥部」といわれた背徳区(Red-light District)である。

すでにここは閉鎖されて、かつて「ちょんの間」として機能していた建物の大半も廃屋と化し、かなりの部分が更地となっている。(ブラックアジア:真栄原(まえはら)社交街。「沖縄の恥部」と呼ばれた場所はもうすでに廃墟

この背徳区の全盛期は1960年代後半から1970年代だった。この広大な「ちょんの間」地帯には、全盛期には数百人もの女性が働いていたようで、現在の廃墟と化したエリアからは想像もできないほど盛況であったのが知られている。

この「沖縄の恥部」は内地(本州)の人々にも名を轟かせており、わざわざ県外からも訪れる人も多かった。

しかし、目立つ背徳区は当局も黙っていない。真栄原社交街も例によらず、しばしば摘発も起きていたのだが、実際に壊滅するほどの徹底摘発が行われたのが2009年から2010年あたりだ。

ここから一気に廃れてゴーストタウン化し、10年以上経過した今、もはや復活の見込みはほぼなくなった。

表社会に疎んじられ、歴史の闇に消えてしまった真栄原社交街だが、かつてここで働いていた女性に話を聞くことができた。

彼女と私は、過ごしていた場所はまったく違っていても、共にアンダーグラウンドを生きてきた人間だ。世界観は共有できている。彼女は心を許してくれて、自由に真栄原社交街で生きていた頃のことを話してくれた。

すでに高齢となって真栄原が今はどうなっているのか「まったく知らない」と彼女はいったが、若い頃に働いていた真栄原社交街時代のことを思い出し、「こんな話は今まで誰にもしたことがない」と私に笑った。

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