◆真栄原(まえはら)社交街。「沖縄の恥部」と呼ばれた場所はもうすでに廃墟

◆真栄原(まえはら)社交街。「沖縄の恥部」と呼ばれた場所はもうすでに廃墟

沖縄の「二大赤線地帯」として知られていたのは「コザ吉原社交街」と「真栄原《まえはら》社交街」である。コザ吉原については、こちらで現在の姿を紹介した。(ブラックアジア:コザ吉原。かつて沖縄を代表した背徳区は摘発され見捨てられてどうなったか?

世間的にはコザ吉原のほうがよく知られているのだが、規模では真栄原の背徳区も負けていなかったようだ。

ここもコザ吉原と並んで、1945年から1958年までは本当の意味で「赤線地帯」として知られていた。

売春防止法が制定されるようになって赤線地帯は解体されたのだが、多くの店は料亭やスナックやカフェという表看板を付けただけで、実質的には置屋として機能し、コザ吉原社交街も、真栄原社交街も、そのまま置屋が生き残った。

ちなみに、大阪では赤線地帯解体以後は飛田新地・松島新地・今里新地・滝井新地などが「料亭」として生き残ったが、沖縄では「社交街」として生き残った。料亭だろうが社交街だろうが、実態は置屋に間違いない。

真栄原社交街は普天間基地に非常に近い。そのため、多くの米兵が日本人女性を買うためにやってきていたのだが、米兵が事件を起こしたり、轢き逃げしたり、事故が発生したりすると、外出制限令が出ていた。

それが徐々に厳しくなっていくと、真栄原社交街の客はやがて米兵よりも日本人が中心となっていったのだった。それが2009年くらいまで続いた。しかし、やがてここも「沖縄の恥部だ」という声が高まるようになってから一斉摘発が行われて一気につぶされてしまったのだった。

前触れはあった……。

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