完璧主義よりもバージョンアップ主義で突っ走っていく欧米と欧米企業に学んだ

完璧主義よりもバージョンアップ主義で突っ走っていく欧米と欧米企業に学んだ

日本人や日本企業は完璧主義者が多いので乗り遅れる。欧米人や欧米の企業はバージョンアップ主義が根づいているので、あえてリリースして先頭を走る。そして、バージョンアップで対応する。日本人や日本企業がハイテクの世界で「常に出遅れる理由」がここにあるように思う。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

物事を完全に仕上げることにこだわる性格

私は比較的、自分のミスを許容するタイプであると思う。ブログで書き上げる文章は、とにかく大量に書き飛ばして、少々の言い回しがおかしくても、誤字があっても、あまり細かいところは気にしないでアップする。

その上で誤字脱字などを指摘されたらすぐに修正して、折りに触れて文章そのものをバージョンアップしていくという方法を取っている。そういうわけで文章の誤りを指摘してくれる人は大歓迎だ。

欧米の企業もベータ版だとか試用版とか言って、まだ途上のアプリケーションやソフトウェアをどんどんリリースして、バージョンアップで品質を向上させているという手法が一般的になっている。

最近ではMeta社のTwitterクローンである「Threads」もそうだった。Threads は今でも完璧から程遠いが、そのリリースは成功している。

「完璧主義」と対比するものではないが、私はこういうやり方を「バージョンアップ主義」と個人的に言っている。とにかく走り出して、走りながら改善していくのが「バージョンアップ主義」だ。

しかし、こういうやり方は完璧主義の人は激怒する。

完璧主義とは「物事を完全に仕上げることにこだわる性格」を指す。完璧であれば、それに越したことはないが、そこにフォーカスを当てすぎると、どんどん悪い方向に落ちていくこともある。

たとえば、仕事においては細かなミスを許さず、自分自身に過度なプレッシャーをかける傾向がある。「ミスは許されない、ミスしたら誰かに笑われる、自分の能力も疑われる」と思って、ひたすら完璧を目指そうと自らを責め打つのだ。

意外にそういう人は多い。仕事などで納期が守れない人は一定数いるのだが、そういう人は実は二種類あって、ひとつは「いい加減で納期を守らない人」で、もうひとつは「あまりにも完璧主義で自分が納得いかないので納期を守らない人」である。

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完璧主義よりもバージョンアップ主義が合理的?

たしかに、できあがった成果物が最初から超完璧であれば本当に言うことはないのだが、スピード重視の世界で完璧主義であることは仕事の効率を下げるどころか仕事そのものを終わらせられなくなるリスクもある。

完璧主義者は自分に厳しいだけでなく、他人にもひどく厳しいことがある。自分が完璧なだけあって、他人にも自分と同じ完璧性を求めるからだ。常識を超えた完璧を要求された方はたまったものではない。やってもやってもダメだしを食らって終わらないからだ。

これにより、人間関係がこじれたりスタッフを壊したりすることもある。そして、成果が出せずに自壊する。

部下をつぶす上司の多くは完璧主義者の上司である。あまりにも度が過ぎた要求によってプロジェクト全体が崩壊してしまう。

もちろん、完璧主義者の生み出す成果は、場合によっては驚嘆すべきものがあるかもしれない。しかし、適度な柔軟さと自己受容の姿勢がまったくないため、「成果を生み出す」終着点から外れて何も生み出せないまま終わるリスクも高いのだ。

要はバランスなのだが、完璧主義者はあまりにもこだわりが強くなってしまうと、バランスが崩れて自滅していく。

もともとは私は完璧主義の仕事のやり方を好んでいたように思う。しかし、インターネットの世界では完璧であることよりもスピードがあることの方が大切なことに途中で気づいたので、早い段階から完璧主義の仕事や考え方をやめた。

そして、一気にスピード重視のバージョンアップ主義に転換した。これは悪い転換ではなかったと今でも思っている。

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絶対に「完璧主義者がいないと困る仕事もある」

たとえば、ブラックアジアの更新は、初期は一週間に一回だけだった。原稿は早くからできあがっていたが、アップしないで何度も何度も推敲していた。

しかし、それでは今の時代のスピードには合っていないと思って、やや難がある文章であっても書き飛ばして、あとで修正するというやり方に変えた。書きたいことは山ほどあったので、書き飛ばす手法はなかなか自分に馴染んだ。

あとあと気づいたのだが、インターネットではいくらでも文章の変更が可能なので、完璧主義よりもバージョンアップ主義のほうが効率的であり、運営システムとしては合理的だったのだ。

バージョンアップ主義は実にハイテク業界的な仕事の手法であったのだが、なるほどハイテク業界の進化が凄まじく早い理由が私には理解できた。

ハイテク業界は、いつでも「問題があってもあえてリリースして社会を混乱をまき散らしながらバージョンアップで対処する」から進化できていたのだった。

この「問題があってもあえてリリース」の典型は生成AIに関しても言える。AIが生成する成果物は完璧ではない。著作権を侵害している可能性もあるし、生成された内容が間違っていることも多い。画像にしても、やたらと不気味な画像が生成されたりする。生成AIは走り出してみたら問題だらけだった。

日本企業なら「これはダメだ」と破棄しただろう。しかし、欧米の企業は堂々とリリースして社会を混乱させながら、イノベーションを生み出して進化させようとしている。だから、進化が早いのだ。

日本人や日本企業は完璧主義者が多いので乗り遅れる。欧米人や欧米の企業はバージョンアップ主義が根づいているので、あえてリリースして先頭を走る。日本人や日本企業がハイテクの世界で「常に出遅れる理由」がここにあるように思う。

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バージョンアップ主義のほうが心地良く感じる

ただ、誤解がないように言っておきたいのだが、絶対に「完璧主義者がいないと困る仕事もある」ということだ。

完璧主義からバージョンアップ主義に転換するためには、修正やバージョンアップが許される環境の話であり、すべてにそれが適応できるわけではない。

人の安全や命にかかわるような仕事の場合は、二重にも三重にも完璧主義が求められて当然である。本当の意味の完璧主義者は、そういう仕事で真価を発揮するのだと私は思っている。

たとえば、最近ではオーシャンゲート社の潜水艇タイタン号が爆縮で乗員・乗客5人が一瞬で死亡する事故があった。悲劇のタイタニック号を観察するための潜水艦もまた悲劇に巻き込まれたわけで、世界的にも大きな話題となった事故だった。

これを見ていると、オーシャンゲート社の技術者がすさまじく完璧主義者で、爆縮が起こらないように何度も何度も検証を繰り返していたら、カネはかかっても人命は助かったはずだと思う。

こうした現場では、バージョンアップ主義は許されないのだ。だから、そういう職場には徹底した完璧主義者がいなければならない。

しかし、スピード重視が尊ばれるようなハイテクや情報関連の職場の場合は、些事を詰めていく完璧主義者タイプでは困ってしまう。

私はインターネットで生きている作家なので、スピードが求められた。だからこそ私はバージョンアップ主義に転換しなければならなかったのだが、ある意味それは日本人の完璧主義の気質を断ち切ることでもあった。

今ではバージョンアップ主義のほうが心地良く感じる自分がいる。

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