人間社会は避けられない対立や衝突で成り立っているので、あなたがすべきこと

人間社会は避けられない対立や衝突で成り立っているので、あなたがすべきこと

何らかの組織に属している人は、ひとり残らず意見の相違や分断や内部抗争に巻き込まれる。仲間から裏切られることも普通にある。誰ひとりとして、この醜悪な世界から逃れられない。それが人間社会の「常態」なのだから、仕方がない。それならば、いったいどうしたらいいのか。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

どんなに穏和な人であっても必ず混乱に巻き込まれる

私は自分の身のまわりが平穏で平和で平安になるとは思っていない。短い期間であればそういうものは手に入るのかもしれないが、人間社会は避けられない対立と衝突で満ち溢れている。どんなに穏和な人であっても必ず巻き込まれる。

人間は考え方がそれぞれ違うのだ。家族であっても考え方は違う。そして、家族の中でも意見が対立し、それがこじれたら喧嘩になる。

家族は血でつながっているのは間違いないが、こじれても結びつきが切れないので愛憎の深さは外から窺い知れないものと化す。

思想を同じくする集団、たとえば同じ神を信じて同じ教団に属している人たちですらも内部で対立や衝突が発生する。些細な意見の相違や解釈の違いなどが分断を生み出すのである。

そして、いつしか派閥ができて内部抗争が起こったりする。場合によっては組織が割れるほど対立が深まったりする。

共産主義のように厳格な教義を持って思想のベクトルも同じであったとしても、やはり組織の中で強烈な対立と衝突が発生して、それぞれが分離して互いに抗争して潰し合いをしたりする。

内部でも当初は強かった結束も綻びるようになって粛清が始まったりする。「内ゲバ」は血の制裁と化して虐殺へとつながっていく。どんなに素晴らしい組織でも、その内部には不協和音があり、そして対立と衝突で壊れていく。

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きれい事で世の中が渡っていけるわけがない

こうした問題が発生するのは、人にはそれぞれ自分の立場があり、思惑があり、野心があり、保身があり、さらには一緒にいる人間への嫉妬や猜疑までが重なるからだ。

その上、人は誰でも他人に対する好き嫌いや無意識な苦手意識などもあったりする。集団の中で発生するのは個性のぶつかり合いなのである。個性の強さでのし上がることができる人も入れば、逆に個性の弱さで潰される人も出てくる。

こうしたすべての要因がぐちゃぐちゃに煮詰まっていくことによって、人間と人間の間には軋轢が発生して止まらなくなっていくのである。そして、見える形でも見えない形でも、避けられない対立と衝突で満ち溢れていくことになる。

どんなに仲の良い友人やパートナーであっても、無風であり続けることはない。壊れる時は壊れるのだ。

人間というものがそういうものであると分かっていたら、平穏で平和で平安であることを目標にしても意味がないことが分かるはずだ。そんなものは望んでも得られない。

だから、私自身も自分の身のまわりが平穏で平和で平安になるとは思っていない。むしろ、常に対立と衝突の渦中にあるのが平常であると考えて生きている。きれい事で世の中が渡っていけるわけがないのである。

もちろん、誰も対立まみれの世界で生きたいと思っているわけではないし、大部分の人はできるだけ協調と共感と平穏を長く維持したいと思うので、毎日が殺し合いになることはない。

嫌なことがあっても飲み込むし、何か言われても聞き流すことにするし、合わない人は避けることによって事態を悪化させないように努力している。そうした努力が功を奏している間は、一触即発をはらみながらも、何となく組織もうまく回っているように見える。

しかし、何かきっかけがあると不協和音は一気に噴き出て、対立と衝突が表に出てくるようになる。

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そういう世界に自分を順応させるしかない

もともと私は組織に属さないで、東南アジアのアンダーグラウンドをフラフラしながら生きてきた人間なので、組織内の対立や衝突とは無縁ではあった。

それでも「人間社会」という共同体に属しているのだから、私自身も対立と衝突から逃れられることはない。何らかの表現活動をすればするほど、あるいは主義主張が強ければ強いほど風当たりも強くなるのは当然だ。

社会とはそういうものなのである。

何らかの組織に属している人は、ひとり残らず意見の相違や分断や内部抗争に巻き込まれる。仲間から裏切られることも普通にある。誰ひとりとして、この醜悪な世界から逃れられない。それが人間社会の「常態」なのだから、仕方がない。

悪口や個人攻撃や根も葉もない噂、あからさまな批判などが渦巻いていて、すべての人にそれが降りかかる。

それならば、いったいどうしたらいいのか。私たちは「そういう世界」で生きる術《すべ》を身につけるしかないのである。「そういう世界」を変えるのではなく、そういう世界に自分を順応させるしかない。

逃げ回っても仕方がない。

最も重要なのは、「人間社会は避けられない対立と衝突で満ち溢れている」ということを、しっかり認識し、しっかり見つめ、何をどうしても絶対にそこから逃れることはできないという現実を徹底的に自分に叩き込むことだ。

自分自身は愛情深くて優しい人間で、そういう人がまわりに多かったとしても、「人間社会」はそうではなく、「共同体」も「組織」も対立と衝突があって当然なのだと本能レベルで自分の脳裏に刻んでおく。それがスタートだ。

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「適者生存」という言葉を覚えておかなければならない

人間社会がそういう仕組みであることが理解できたら、今度はそこから目を背けたり避けたりするのではなく、あえてそういう世界で生きられるように自分を慣らしていく。つまり、避けられない対立と衝突に慣れていく。

一番まずいのは、そこから逃げたり隠れたりすることだ。

批判されたり、争いに巻き込まれるのを恐れて、自分が標的にならないように、目立たず荒立てず息を殺して耐えようとする人もいる。それは自分だけが苦痛に耐える哀しい生き方でもある。

しかし、どんなに目立たないように隠れても、人間は生きている限り誰かの目に止まる。そして、聖人君子だろうが清廉潔癖だろうが品行方正だろうが、絶対に存在を批判され、攻撃される。そこから逃れられない。

逆に逃れようとすればするほど、面白半分に叩かれて潰される。人間関係でノイローゼになったり、うつ病になったりするのは、そういうこともあるからだ。

人間社会・組織・共同体が対立で成り立っていて誰もがそこから逃げられないのであれば、それに向き合って慣れるのが最も良い生き方となる。「適者生存」という言葉を覚えておかなければならない。

『最も強い者が生き残るのではなく、 最も賢い者が生き延びるのでもない。 唯一、生き残るのは変化できる者である』

これが生き残る生物の真実なのだ。人間社会が対立と衝突の世の中ならば、自分がその世界に合わせて変化し、適応し、順応し、適者生存していけばいいのである。逃げるのではない。世の中に合わせて変化することを意識する。

世の中のあり方を理解して、そこに自分を慣らしていく。表に出る。開き直る。自分を隠さない。殺さない。批判の対象なること、攻撃の対象になること、対立に巻き込まれることに日頃から慣れておく。

そうやって適者生存しておく。

そういうのは嫌いだと言っても始まらない。誰もが嫌いだが避けられない。そういうもので満ち溢れている。だから、今から少しずつでも小さなところから批判や対立や衝突を浴びる「練習」を重ねて、自分を慣らしていけばいい。

それをするかしないかで、適者生存できるかどうかが決まる。これは、とても重要な「生き残るためのスキル」である。

書籍
『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』

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