私自身は直感力はほとんどないが、直感が異常に鋭い人がいるというのは認める

私自身は直感力はほとんどないが、直感が異常に鋭い人がいるというのは認める

まるで未来を予知しているかのように何かを悟る人が、ごく少数だが本当にいたりする。私自身はそういう直感力は欠如しているので、あまりに鋭い人は「詐欺師なのか?」と思ってしまうが、よく考えてみると私自身も「虫の知らせ」でリスクを避けた経験がゼロではない。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

「どうして分かったのか」が説明できないのだが分かる

女性は人に関する「読み」が鋭くて、まるで超能力を持っているのではないかと思うほど人の心を読める人がいる。

たとえば、コーヒーを飲みたいと一言も口にしていないのに、私が心の中で「コーヒーでも飲みたい」と思っただけで、なぜか「コーヒーが飲みたいの?」と聞いてくる女性もいる。

私が驚いて「どうして分かるの?」と聞いたら「何となく分かった」というのである。この「何となく分かった」というのが直感と呼ばれているものだ。「どうして分かったのか」が説明できないのだが分かってしまうのだ。

子供を持った女性は、自分の赤ん坊が普段とはまるで何も変わらないのに、なぜか不穏な気持ちになって、あまりにも不安が募るので病院に子供を診てもらったら病気が発覚したということもあったりする。

母親には病気の知識が皆無であり、しかも子供の様子も変わらないのに、そういうことが直感で分かったりする。

これはシャーロック・ホームズが相手を意識的に「観察」して既成事実を積み上げて真理を導き出す帰納法《きのうほう》とは完全に別物である。直感というのは、そうした観察・推測のプロセスをすべて飛ばして、理由もなく結論に直結する。だから説明もできない。

世の中には確かに直感の鋭い人がいる。何かが起きたとき、あるいは誰かを見たとき、その瞬間に口では説明できない感覚が心に芽生え、「何かを感じる」ことができて、適切な判断をする。

もちろん男でも鋭い直感を持つ人がたくさんいる。これは教育だとか性格は関係ない。動物の本能のように、何かを感じ取れるのだ。そんな人が、ごく稀にいる。これは非常に貴重な能力で、もしあなたがそんな能力を持っていたら、大事にした方がいい。

誰もが持っているものではないからだ。

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普通の人が感じない「何か」を感じてしまったりする

直感は磨くことができるようだ。「五感で知覚する」「直感で行動する」「瞬間で判断するゲームやパズルをする」「瞑想する」などのやり方で、意図的に直感を鍛えると、誰もが「ある程度」は直感を鍛えることができるようになる。

しかし、そのようなことをしなくても生まれつき直感が鋭い人も存在する。

たとえば、世の中には文字を見れば色が見えるとか、数字を見れば色が見えるとか、女性を見れば光が見えるとか、独特な「共感覚」を持った人も多い。もしかしたら、直感で世の中を渡っていける人は、他の人とは違う「共感覚」を持ち合わせている可能性もある。

実は普通の人も共感覚を得られる方法もあるのだが、そうではなくて生まれつき共感覚を持っている人もいる。(ブラックアジア:天才が持つ共感覚を手軽に得る方法と、言ってはいけない事

共感覚は誰にも分からない本人だけの感覚なので、実はそれが特別な感覚であると知らないで埋もれていることも多い。

普通の人はニオイを嗅いで色が見えたりしない。しかし、ニオイで色を感じる人もいて、それは明らかに他人とは違うのだが、本人はそれが普通だと思っているので自分の能力に気がつかない。

普通の人は文字や単語を見て、そこから「この単語はこの色が付いている」「この言葉はこのニオイがする」とは思わない。しかし、そう思う人がいて、そういう人は同じ文字や単語を見ても感じる深さが普通とは違うのである。

しかし、なぜこの文字や単語がこの色とリンクするのかは本人にも説明できない。説明できないがそのように感じて文字や単語から、普通の人が感じない「何か」を感じてしまったりするのである。

こういった人が神がかり的に直感力に優れていることが多い。瞬間を読み取って、五感で何かを感じて状況が分かってしまうのである。

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「危ない」とか「やめた方が良い」と五感で感じる

直感は経験則によく似ている点もあるのだが、経験則ともまた違う。

たとえば、普通の人が何も感じなくても登山家は何となく「これから天候が荒れる。山に登らない方がいい」と感じて、それが往々にして当たることも多い。これは経験則だろうか、直感だろうか……。

天気予報が「晴れ」となっていて見渡す限り雲ひとつない天気なのに、山の天気は変わりやすい。普通の人は何も分からない。しかし、登山家は過去に経験した事実から「何となく天候が荒れそうだ」と思う。

これは「過去に経験したことが基盤になっていている」のだから、直感というよりもむしろ経験則であると言ってもいいかもしれない。

直感はそうではない。過去の蓄積もまったく何もないところで、突如として「危ない」とか「やめた方が良い」と五感で感じるのだ。そこには経験則もなければ推理もない。まさに直感でそう思うのだ。

まるで未来を予知しているかのように何かを悟る。そういう人が世の中にはごく少数だが本当にいたりするのである。

私自身はまったくそういう直感力は欠如しているので、目の前でそういう人を見ると「この人は詐欺師なのか?」と思ってしまうのだが、しかしよく考えてみると、私自身も「虫の知らせ」でリスクを避けた経験もゼロではない。

たとえば、2004年のスマトラ島沖地震の前、私は「これからインドネシアに行くか、カンボジアに行くか」と迷っていてギリギリまでインドネシアに行くつもりでいた。

しかし、その時になぜか「インドネシアは何か嫌な予感がする。今回はカンボジアにしよう」と行き先を切り替えた。もし私がインドネシアに向かっていたら、スマトラ島沖地震に巻き込まれていたかもしれない。

私自身は自分の直感が地震を予知だったとは思ったことは一度もない。直感が働いたのか、ただの偶然だったのか私には判定できないが、そういうこともあった。

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直感が異常に鋭い人は、不穏な時代になればなるほど強い

直感が異常に鋭い人は、不穏な時代になればなるほど強いはずだ。

世の中は常に変化している。その瞬間で状況がガラリと変わることすらもある。ごく普通の人は、その瞬間を一瞬にして把握する能力は常識的な範囲でしか持ち合わせていない。

だから、何が起きているのか読み取るため、情報収集をしてみたり、過去と照らし合わせて分析してみたり、あるいは他人に意見を聞いてみたりして「総合的判断」をしようとする。それが普通の人の普通のやり方だ。

恐らく「総合的判断」で、それなりの正しい解答は出てくるだろう。私もそうしている。その世界のプロであればあるほど、過去に照らし合わせて「経験則」で何かを感じることもあるかもしれない。

しかし、常に経験則が働く場面で世の中が激動するわけではない。判断の前提としていた状況が変わっているのに総合的判断を当てはめると、間違った判断になっている可能性がある。

世の中が激動すればするほど、総合的判断が間に合わない。時間をかけてじっくりと分析すればするほど、間違うということになってしまうのである。

世の中が誰も経験したことのない想定外の出来事で混乱した時、総合的判断は役に立たない。物事を判断するのに経験則は役に立たないし、誰かに聞いて回るということもできない。

そうであれば、何か起きた時には、その瞬間に直感で判断しなければならない。判断にかける時間などないから、直感で行動するしかない。だから、直感力が優れているというのは、不穏な社会でこそ生存率を高めるのだと思う。

何度も言うが、私は直感力はほとんどない。だから、物事の判断では考えて決める。直感はほとんどアテにしない。自分には直感力が欠如しているのは分かっているので、アテにできないのである。

直感力の優れた人は、私にとっては「異人種」みたいなものだが、しかし間違いなくそういう人がいるというのは認めている。

果たしてあなたはどうだろうか?

『5秒ルール―直感的に行動するためのシンプルな法則(メル・ロビンズ)』

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