(この記事は2016年1月26に書いたものです。鈴木傾城の憂慮は大久保公園に大量の日本人女性が立つようになって成就したのだと思います。改めて読んでみて下さい)
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ニューヨークは超富裕層と極貧層がモザイクのように散らばって住む大都市であり、それはそのままアメリカの凄まじい格差社会を示す光景となっている。
そこでは黒塗りのリムジンが走るわきで、盗んだショッピングカートに汚れた毛布や衣服を入れてよろよろと歩くホームレスの姿がある。
セーフティーネットのない「自由な競争社会」が辿り着いたのが、このような社会だった。自由な競争社会というのは、数十年経つと勝ち組と負け組をはっきり分断させるようになる。
そして、勝ち組に属する人々は資産や人脈や教育環境を最大限に生かしてますます勝ちやすくなり、貧困層は何もなくしてますます落ちぶれやすくなる。
金持ちの家庭に生まれた子供たちは、最初から親の資産、人脈、生活環境を受け継ぐことができるので、今やスタートからして勝ち組の子供たちが有利な社会になっている。これはフェアとは言えない。
自由競争社会というのは、全員が中流だったときはフェアな競争社会である。しかし、勝ち組と負け組の差が圧倒的になると、「自由に貧困層から奪える」という社会となるのだ。
日本が2000年から取り入れたのが、この自由競争社会である。だから、アメリカの姿は、日本の未来となる。