不始末の尻ぬぐいをする善意の行動がアルコール依存者をより深刻化させる

不始末の尻ぬぐいをする善意の行動がアルコール依存者をより深刻化させる

野生動物にエサを与えるようになると狩りを止めてしまい、エサに依存するようになる。ほぼ、すべての動物がそのようになっていく。

依存する方が生きる上で合理的であると思うと、動物は本能的に依存する方を選ぶ。狩りをするよりも、依存する方が楽だからだ。誰かがエサを与えてくれるのであれば、危険でつらい狩りをする必要などない。

しかし、野生動物が依存体質になると最後にどうなるのか。

エサを上げるのをやめても狩りをせず、そのまま餓死してしまうこともある。野生に戻れない。いったん「エサをもらう」ということに依存してしまうと、そこから抜け出せなくなってしまうのである。

実は人間でも同じことが起こる。いったん、引きこもりや生活保護に堕ちると、親や国に依存するようになる。そして依存に染まりきると、そこから抜け出せなくなる。

心身のどこが悪いわけでもないのに、働くことができなくなってしまうのである。働くというのは様々なストレスが充満する世界だが、他人に依存して暮らすようになると、そのストレスが耐えられない。

依存が深まると、そこから抜け出せないのである。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

「それ」なしには居られない気持ち

依存から抜け出すには、方法はひとつしかないと言われている。それは、徹底的にどん底にまで堕ちて、そこから本人が心から更生し、本気で助けを求めるようになることだ。

依存症と言えば誰もがドラッグ依存をまず思い浮かべるが、日本では何と言ってもアルコール依存が最も多いし、よく知られている。

アルコール依存症者に寄り添うNGO団体の統計によると、今の日本でアルコール依存症に苦しむ日本人は300万人近くおり、リスクの高い飲酒者も入れると1000万人を超えることが分かっている。

女性の依存症も急増している。アルコール業界は積極的に女性を取り込んでいるし、女性の飲む機会も昔に比べて爆発的に増えている。ワインのようなお洒落なアルコールを好む女性も多い。

アルコールは節度を持って飲んでいれば問題ないのだが、一部の人たちはのめりこみ、回数が増え、他の楽しみがなくなるまで飲み、最終的には「飲みたくない」と思っても飲むようになっていく。

それなしには居られないような気持ちになるのだ。そこからアルコールに対して精神的にも肉体的にも依存するようになっていく。

アルコールにのめり込み10年から15年経つと、生活が荒れていく。性格が変わり、孤立化する。飲みたいがために、平気で嘘をついたりするようになる。誰が見てもアルコールが問題だと分かるので、それを止めさせようとする。しかし、本人だけはアルコールが悪いと思っていないので、やめる気持ちにならない。

そして、飲むために嘘をつき、止めようとする人間に暴力を振るい、最後には開き直って、友人や家族を巻き込みながら破滅に向かって突っ走っていく。

泥酔して次々とトラブルを引き起こす。仕事に行かなくなる。行ってもミスも増え、まともに働けなくなる。責任を持つこともできなくなる。

近所から苦情を訴えられたり、通報されたり、逮捕されたりすることもある。あるいは、アルコールを手に入れるために、家族の金を盗んだり使い込んだりすることもある。

鈴木傾城が、日本のアンダーグラウンドで身体を売って生きる堕ちた女たちに出会う。電子書籍『暗部に生きる女たち。デリヘル嬢という真夜中のカレイドスコープ』はこちらから。

イネイブラー(後始末役)の登場

依存者はありとあらゆる問題を引き起こす。こうした依存者は、その対象に依存すると共にもうひとつ「別のもの」にも依存するようになる。何に依存するのか。それは助けてくれる「人」である。

具体的に言えば、親や妻や家族である。依存者を助ける人間を、治療の現場では「イネイブラー」と呼ぶ。日本語で意訳すると「後始末・尻拭いする役目の人」となるだろうか。アルコール依存で言うと、ほとんどが「家族」の誰かになる。

実は、この「イネイブラー(後始末役)」がいることによって、依存者は依存が治らなくなる。

・野生動物は、エサをくれる人がいると狩りをしない。
・依存者は、助けてくれる人がいると立ち直らない。

依存者は、自分を見失って失敗する。しかし、自分がどんな失敗をしても「イネイブラー」が後始末をしてくれるので致命的にならない。それを繰り返すうちに、依存者は対象物に依存すると共にイネイブラーにも依存するようになる。

トラブルを片付けてくれる。問題を起こしても代わりに謝ってくれる。金がなくなっても金を与えてくれる。それこそ失禁しても、それをきれいにしてくれる。何をしても、イネイブラーがすべて面倒を見てくれる。

だから、「何とかなる」と思って依存が治らないどころか、むしろ前よりもひどくなってしまうのである。

最悪のケースになると、「さっさと助けろ」とイネイブラーに八つ当たりしたり、暴力を振るったりするケースもある。助けられて当然という気持ちになり、自分の問題なのに助けないイネイブラーに問題があると思うようになるのだ。

イネイブラーがいなければ一瞬にしてどん底に堕ち、どん底に堕ちることによって逆に立ち直りも見えてくるのだが、どん底がどこまでも見えないので、立ち直ることもない。

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依存者はいつまでも立ち直れない

何かに依存してボロボロになっていく人を見るのはつらいことだ。その人が家族の一員であれば、なおのことそうだ。しかし、そうした依存者を中途半端に助けると、依存者がイネイブラーに抱きついてより状況が悪化する。

しかし面白いことにイネイブラーになる人は、その状況が分かっていないことが多い。なぜなら、イネイブラーは忍耐強い人が多く、依存者を助けることは当然であり、義務であると心から考えているからだ。

依存者になっているのが家族であれば、それこそ自分を犠牲にしてまで依存者を助け、とことん問題の尻ぬぐいをする。

依存者はいったんどん底に堕ちて、そこから自分で立ち直ろうとしなければ依存は治らない。しかし、イネイブラーは全身全霊で依存者がどん底に堕ちるのを阻止する。つまり、依存者が自力で立ち直ろうとする「きっかけ」を奪ってぬるま湯に浸らせたままにする。

イネイブラー本人は善意で依存者を助けようとしているのだが、その善意がアダになって依存者はいつまでも立ち直れないという状況に陥る。

もっともイネイブラーがそうするのは、依存者が逮捕されたり、事件を起こしたり、自殺したり、殺されたりすることもあるからだ。

必ずしも依存者を助けないのが「正しい結末」を生み出すと約束されているわけではない。依存者は自暴自棄になった挙げ句、自殺してしまうことも往々にしてある。そうなれば「あの時に助けて上げていれば良かった」ということになる。

しかし、そうやって助けていると、依存者はいつまで経っても治らない。依存者が本当に依存から立ち直れるのかは誰にも分からないことである。

助けるべきなのかどん底に堕ちるまで見捨てるべきなのか、日本のみならず、世界中でジレンマに追い込まれ、ひどい状況の中で苦しんでいる人たちがたくさんいる。

この世には陥穽がたくさんあり、そこに堕ちる人は必ずいる。あなたの大切な人も、堕ちるかもしれない。そして、あなたは大切な人に同情してイネイブラーになってしまうかもしれない。(written by 鈴木傾城)

依存者はいったんどん底に堕ちて、そこから自分で立ち直ろうとしなければ依存は治らない。しかし、イネイブラーは全身全霊で依存者がどん底に堕ちるのを阻止する。つまり、依存者が自力で立ち直ろうとする「きっかけ」を奪ってぬるま湯に浸らせたままにする。イネイブラー本人は善意で依存者を助けようとしているのだが、その善意がアダになって依存者はいつまでも立ち直れないという状況に陥る。

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