「正義を強調すればするほど世の中は悪くなる」
このように言えば、驚く人もいるかもしれない。「正義が勝つと世の中は良くなる」という結論以外に何かがあると思っている人はほとんどいない。しかし、本当のことを言えば「正義を強調すればするほど世の中は悪くなる」のだ。
子供の頃から、繰り返し繰り返し「正義のために悪を滅ぼす」ことを強調するマンガやドラマや映画を見てこなかっただろうか。いや、今になっても、そんなものを見ている人もいるのではないだろうか。
これは、子供たちに「ヒーローが、正義のために悪を滅ぼすのは徹底的に正しい」という刷り込みのようにも見えるのだが、この刷り込みが好まれるのは、それが人類が太古の昔から培ってきた行動様式だからである。
悪が勝つような物語は子供向けに推奨されていない。いや、大人向けでも嫌われる。受け入れられない。一般的には、正義のヒーローが悪を完全に滅ぼして、物語はやっと終わるのである。
日本だけではない。世界中どこの国でも正義のヒーローが悪をなぎ倒す映画やドラマが崇拝されていている。勧善懲悪は永遠のテンプレートだ。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。
敵はひとり残らず滅ぶことを望む
「子供に暴力を見せたいでしょうか?」と問うと100%の親が「そんなものは見せたくない」と言う。しかし「正義のヒーローが戦って悪を倒すものを見せたいでしょうか?」というと「見せたい」と言うはずだ。
「正義のために悪を滅ぼす」ストーリーは、正義のヒーローが悪に対して「暴力」で抹殺するのが王道だ。暴力反対を叫ぶ人も、なぜかマンガやドラマや映画で悪人が一片の容赦もなくぶち殺されるのを見て喜ぶ。
暴力は誰がふるっても暴力なのだが、ヒーローが暴力をふるうと人々は奇妙なことにそれを暴力として認識しない。そして、政府もまた「正義のために、ヒーローが暴力をふるって相手を抹殺する」という暴力ストーリーに国民が熱狂するのを止めない。
それを許容し、時には推奨もしている。
「ヒーローが暴力をふるって相手を抹殺する」というのは、客観的に考えると暴力礼賛をしているストーリーである。にもかかわらず、国も親もそれを子供に許容するということは、どういうことなのか。
それは、そもそも人類は本能的に「自分の敵はひとり残らず滅ぶことを望んでいる」からだと言うしかない。
個人でも自分に害を為す人間は物理的に消えて欲しいと願う。家族でも、組織でも、地域でも、国でも、「そこ」に所属している人は、「そこ」に危険を与える相手を一掃したいと思う。
自分を脅かす存在は、誰にとっても「悪」になる。悪を遠ざけるだけでは危険が去らないのであれば、悪は滅ぼす対象になる。相手を滅ぼすには大義名分がいる。
それが「自分たちは正義、相手は悪」という二元論である。
絶対的な正義を強調すると、必然的に二元論に行き着く。つまり「正義の側」と「正義ではない側」とに二分する。水と油のように、それはくっきりと別れ、違う世界になる。
二元論に陥ると、どうなるのか。相手を受け入れる余地が、完全になくなっていく。相手は悪なので「滅ぼす対象」となるのである。
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対立する相手が「完全なる悪」になる
自分が正義の側に立っていると思うと、必然的に相手は「正義でない側=悪」というシンプルな構図に行き着く。自分が正義だと強調すればするほど、対立する相手が完全なる悪になる。
(2)私と敵対する相手は悪だ。
(3)悪は倒さなければならない。
(4)相手を滅ぼすのは正当な行為だ。
自分が正義の側にあると思えば思い込むほど、正義のために相手を破壊しようという動機(モチベーション)が上がっていく。
暴力が正当化され、暴力が崇高なものになっていく。あるいは、相手(悪)を破壊することが、使命感溢れる行為へと祭り上げられる。
現場では残虐な殺戮行為が起きているのだが、それが思想的には正しいものへとなっていくのである。
このような二元論に行き着き、自らを正義だと狂信すると、自分たちに挑戦してくる国を「正義に挑戦してくる国」だと見なすようになる。正義に挑戦してくる国というのは、当然「正義ではない国」という二元論が働くので、「敵対国は絶対悪だ」という思想になる。
絶対悪なら、どうするというのか。子供向けのヒーローがやっているではないか。絶対悪は徹底的に懲らしめて滅ぼし雄叫びを上げて喜ぶのである。
問題は、こうした二元論による対立と衝突と戦争と虐殺は、テレビのアニメやドラマや映画だけの話ではないということだ。現実もまた「正義」という名の戦争が行われて、戦争に巻き込まれた国民は大虐殺されていく。
世界中で起きているあらゆる戦争は「正義」の名の下に相手を攻撃している。私たちがテロリストと呼んでいる人間たちですらも、彼らは自分たちのやっていることが正義だと思ってテロをやっている。
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日本人は、ぼんやりしない方がいい
正義を強調する人、正義というものが頭にある人は、しばしば自分や自分の属している社会を正義と見なし、それ以外を悪と見なす二元論にとらわれる。
「どちらが正義か?」という問いは、どちらの立場に自分が立つかによって違ってくる。立場が違うと、それが正義にもなるし、悪にもなる。
すべては立場の問題だ。
私たちは冷静な目で歴史を振り返ると、正義を主張していた国や宗教や人たちには、ただ自分たちの存在や立場や主張を正当化しているだけだというのが見えるはずだ。
「正義」という言葉は悪用されやすく、人々は騙されやすい。あまりにも内容のない正義も多い。「正義」を否定する必要はまったくないのだが、「正義」は殺戮を生み出すこともあると理解する必要はある。
日本人は、この点に関してぼんやりしない方がいい。
日本には海を隔てていくつもの周辺国があるのだが、これらの周辺国の政府が「我々こそ正義。日本こそ悪」と決めつけて国民を洗脳した時にどうなるのか想像すべきだ。「日本は悪なのだから滅ぼさなければならない」という方向に傾斜していっても何ら不思議ではない。
正義によって、日本人は殺戮される可能性はゼロではないのだ。相手の一方的な正義の名のもとに激しい暴力が行使され、滅ぼされた国はどこにでもある。
「我々こそ正義。日本こそ悪」と思っている国が日本を滅ぼすことに成功したら、歴史の教科書はこのように書かれるはずだ。
「日本は極悪国家だったので滅ぼされた」
「正義が勝つと世の中は良くなる」と思い込んでいる人は、誰が正義を主張しているのかをよく考えるべきだ。敵対国が正義を主張していたら、私たち自身が滅ぼされる対象になっているということなのである。(written by 鈴木傾城)
世界中で起きているあらゆる戦争は「正義」の名の下に相手を攻撃している。私たちがテロリストと呼んでいる人間たちですらも、彼らは自分たちのやっていることが正義だと思ってテロをやっている。
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日本を敵視する国の政府が「我々こそ正義。日本こそ悪」という国民洗脳に成功したら「日本は悪なのだから滅ぼさなければならない」という方向に傾斜しても不思議ではない。正義の名のもとに日本が攻められる可能性はゼロではない。相手の「都合良い正義」は暴力を招くのだ。https://t.co/SuTrUfdx3L
— 鈴木傾城 (@keiseisuzuki) 2019年4月22日
正義の名の下に戦争で儲けてる大国がありますよね。これも永遠のテンプレですかね。
戦争するための大義名分探し、うんざりです。原爆にしても「原爆投下した事によって長い戦争が終わりました。めでたしめでたし」みたいな解釈になってるし、二度あることは三度ある。本当に気をつけようと私は思います…
>>これらの周辺国の政府が「我々こそ正義。日本こそ悪」と決めつけて国民を洗脳した時にどうなるのか想像すべきだ。
現実に韓国政府は幼稚園から、ねつ造半日教育を執拗にしています。
曰く「日本に資源を奪われた」「植民地にされて民族の尊厳を奪われた」「20万人の韓国の若い娘を性奴隷にした」最近は「旭日旗はナチのハーケンクロイツと同じだ」「朝鮮人を奴隷のように働かせた」等と教育しているので,愚かな韓国人は「日本は滅びてしまえ、男は皆殺しにして女はすべて性奴隷にする」等と本気で言いだす訳です。
実際は日本が国家予算の数年分の巨費を使って韓国を東洋の最貧国から現在彼らが誇る世界10位のGDPを達成できるようにまでインフラを整えたのですから正に忘恩の徒と言うほかはありません。
言い換えれば日本と言う国が無ければ今でも韓国は東洋の最貧国のままで、国民のほとんどが悲惨な生活をしていたのです。
自分たちが中国の属国で悲惨な目にあっているのを、日本が尽力して独立させても維持できない為に日本は朝鮮から頼まれて併合して日本人にした事を恨み、ユダヤ人たちをガス室に送ったドイツ人をほめたたえる精神構造は人間なら精神科で治療を受けるレベルです。
韓国は親日と言われると社会から排除されるのですから、異常な国家と国民と言うほかはありません。彼らにとって正義は自分の側にあり日本は朝鮮人達を苦しめた悪の国家と思っている事を知る必要があります。
韓国の歴代大統領の末路を見れば、彼らはまともな判断が出来ないだけでなく極めて残虐な民族であることが分かりますから、彼らが我々を敵国と見ているように我々も韓国を敵国と見なければなりません。
その韓国が執念深く切れ目なく日本ディスカウント運動をしているのですから、日本は「遺憾」発言ではなく彼らに痛みを与える実効のある経済制裁をするべき段階に来ています。
「日本には向かうと酷い目にあわされる」と彼らが中国に持っている恐怖の感情と同等になるまで経済制裁をしなければ、愚かな彼らには分からないのですね残念ですが、、、、、、、。
子供達のヒーローである「あんぱんまん」は、愛と勇気しか友達がいません
弱者の命乞いにもは耳をかさず、「あんパンチ!」という暴力で解決します
あぁ、なんて恐ろしい暴力的なアニメでしょう!
速やかに報道を規制し、謝罪と賠償を求めます!(笑)
すべてを引用したくなるほど、含蓄に富む文章です。
私を含め多くの方が見過ごしてきた、人間の普遍的思考の分析です。
人間の歴史は、戦乱期等混沌とした時こそ言った者勝ちな傾向があります。また悪いことに、その戦乱期に国の命運を決するような出来事が起こります。
「勝てば官軍」
これが真理です。
戦争は避けるべきですが、始めたら必ず勝たねばなりません。どんな善行を積んだとしても、戦争に負けたら賊軍扱いを受けるのです。勝てる喧嘩しかしてはなりません。
その為には核武装も止むなしと考えます。
アンパンマンも戦隊モノもそうですけど、大体のヒーローものはヒーローが敵をやっつけてめでたしめでたし、ですからね。
ヒーローだけじゃなくヒロインもの(セーラームーンとか、現代ならプリキュアですか)も、同様ですよね。
魔法騎士レイアースなんかは、本来助けるべき姫が最後の敵だった、初めに倒すべき敵と言われた悪の神官は、実はその姫を愛していて何を犠牲にしても守ろうとしていたという悲劇だったりしますが、それでも最後は神官も姫も殺してしまったことに違いはなく。(続編では主人公たちがそこに葛藤してましたが)
いずれにせよ、「一切の暴力を振るわず、最初から最後まで話し合いで悪い奴を改心させてわかり合いました、めでたしめでたし」なんて作品、今まで聞いたことないですね……戦った末の改心、と言う結末はあっても。